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太平洋戦争の末期、アメリカ軍は日本攻略の為に、首都・東京から南に約1,200km離れた或る島の制圧が不可欠との結論に達する。東西8km、南北4kmのこの島は、到る所で地熱が発生し、温泉も湧き出す火山島で、硫黄島と呼ばれていた。
当時のアメリカ軍は連日マリアナ諸島から爆撃機を発進させ、日本本土への攻撃を行っていたのだが、その経路に在り日本の領土で在った硫黄島はアメリカ軍の襲撃を本土に逸早く無線で知らせる”警告基地”の役割を果たしており、それが故にアメリカ軍の爆撃機が本土に到着した時点で、日本側の対空防御体勢が整えられてしまっていた。又、故障の為基地に帰還するアメリカ軍の爆撃機は、硫黄島周辺の空域に居た日本軍のパイロットの格好の標的となり、サイパンの飛行機が硫黄島から飛び立った日本の爆撃機によって破壊されるという状況に在った。そんな背景が在ったからこそ、この島の制圧が日本攻略の為の重要ポイントとされた訳だ。
1945年2月16日、日本軍の守備兵力20,933名の硫黄島に対して、アメリカ軍は空と海から激しい爆撃と艦砲射撃を行い、その3日後には3万人余の兵士が上陸を開始する。第一目標は、島の南部に位置する標高169mの摺鉢山の占領に在り、同月23日にはその頂上に到達、星条旗の掲揚に成功する。
当初は島の制圧に楽観的な思いも在ったアメリカ軍だったが、「此処を死守しなければ、我が国は敗戦を喫す。」と激しい抵抗を続ける日本軍に手を焼く事となる。結局、日本軍は20,933名の守備兵力の内20,129名が戦死、アメリカ軍は戦死者6,821名、戦傷者21,865名という、双方に莫大な被害を与えてこの島での戦いは、開戦から38日後の翌月26日に日本軍の敗戦で幕を閉じる。
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硫黄島の戦いの概略で在る。爆撃の激しさで島の形状が変わってしまったと迄言われる程、凄まじい戦闘が繰り広げられたという。この硫黄島の戦いを題材に、映画俳優でも在り監督でも在るクリント・イーストウッド氏が2つの作品を作り上げた。硫黄島をアメリカの視点から描いた「父親たちの星条旗」、そして日本の視点から描いた「硫黄島からの手紙」がそれだ。今回は先に封切られた「父親たちの星条旗」を鑑賞して来た。
上記した様に、硫黄島上陸から4日後の2月23日にアメリカ軍は、摺鉢山の頂上に”占領の証”たる星条旗の掲揚に成功している。しかし、この”真の掲揚”の2時間後に、再度”別の星条旗”が掲揚されていたのだ。何故2つの星条旗が掲揚されたかと言うと、アメリカの政治家が「己が部屋に記念品として、掲揚された星条旗が欲しい。」と要求した為、それに怒った軍の指揮官が、譲渡用として改めて別の星条旗を掲揚させた為。この偽の掲揚シーンを従軍していたAP通信のカメラマンが撮影し、その写真は全米に大反響を巻き起こす事となる。長期に亘る戦争で人心が逼迫していたアメリカ国民に勝利が近い事を感じさせたのだ。そして莫大な戦費を費やして財政面で逼迫していたアメリカ政府は、星条旗を掲揚した”英雄達”を利用して戦時国債を大量に国民に売り捌き、戦費調達に充て様と企図する。
”戦時国債販売ツアー”の為、戦い半ばで内地に連れ戻された3人の英雄達。しかし真の掲揚者はその後に戦死しており、彼等は”偽の英雄”だったのだ。「未だに戦地では”仲間”が戦っているというのに、自分は偽りの英雄に仕立て上げられ、パーティ等に引き摺り回されている。」と懊悩し、酒浸りになってしまう者。そんな彼に共感を覚えながらも、成り行きに身を委ねてしまう者。そして、偽りの英雄で在る事に然程の罪悪感を覚えず、積極的に”演じ続ける”者。正に三者三様の姿が其処には在った。
「偽りの世界で自らを偽りながらも生きて行ける人間」と「偽りの世界ではどうしても生きて行けない人間」。
3人は国家によって利用され、結局最後は捨てられて行ったと言える。「国家の前では、個人の存在が斯くも小さくて軽いものなのか。」と再認識させられた。「アメリカの正義、日本の悪」を声高に叫ぶ作品では全く無く、この中で描かれているのは国家に使い捨てられた日米の戦士達の哀しみだ。
予想を遥かに上回る素晴らしい作品。「スタンド・バイ・ミー」を見終えた際に感じたものと相通じる余韻が、この作品には在った。総合評価は星4.5。
太平洋戦争の末期、アメリカ軍は日本攻略の為に、首都・東京から南に約1,200km離れた或る島の制圧が不可欠との結論に達する。東西8km、南北4kmのこの島は、到る所で地熱が発生し、温泉も湧き出す火山島で、硫黄島と呼ばれていた。
当時のアメリカ軍は連日マリアナ諸島から爆撃機を発進させ、日本本土への攻撃を行っていたのだが、その経路に在り日本の領土で在った硫黄島はアメリカ軍の襲撃を本土に逸早く無線で知らせる”警告基地”の役割を果たしており、それが故にアメリカ軍の爆撃機が本土に到着した時点で、日本側の対空防御体勢が整えられてしまっていた。又、故障の為基地に帰還するアメリカ軍の爆撃機は、硫黄島周辺の空域に居た日本軍のパイロットの格好の標的となり、サイパンの飛行機が硫黄島から飛び立った日本の爆撃機によって破壊されるという状況に在った。そんな背景が在ったからこそ、この島の制圧が日本攻略の為の重要ポイントとされた訳だ。
1945年2月16日、日本軍の守備兵力20,933名の硫黄島に対して、アメリカ軍は空と海から激しい爆撃と艦砲射撃を行い、その3日後には3万人余の兵士が上陸を開始する。第一目標は、島の南部に位置する標高169mの摺鉢山の占領に在り、同月23日にはその頂上に到達、星条旗の掲揚に成功する。
当初は島の制圧に楽観的な思いも在ったアメリカ軍だったが、「此処を死守しなければ、我が国は敗戦を喫す。」と激しい抵抗を続ける日本軍に手を焼く事となる。結局、日本軍は20,933名の守備兵力の内20,129名が戦死、アメリカ軍は戦死者6,821名、戦傷者21,865名という、双方に莫大な被害を与えてこの島での戦いは、開戦から38日後の翌月26日に日本軍の敗戦で幕を閉じる。
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硫黄島の戦いの概略で在る。爆撃の激しさで島の形状が変わってしまったと迄言われる程、凄まじい戦闘が繰り広げられたという。この硫黄島の戦いを題材に、映画俳優でも在り監督でも在るクリント・イーストウッド氏が2つの作品を作り上げた。硫黄島をアメリカの視点から描いた「父親たちの星条旗」、そして日本の視点から描いた「硫黄島からの手紙」がそれだ。今回は先に封切られた「父親たちの星条旗」を鑑賞して来た。
上記した様に、硫黄島上陸から4日後の2月23日にアメリカ軍は、摺鉢山の頂上に”占領の証”たる星条旗の掲揚に成功している。しかし、この”真の掲揚”の2時間後に、再度”別の星条旗”が掲揚されていたのだ。何故2つの星条旗が掲揚されたかと言うと、アメリカの政治家が「己が部屋に記念品として、掲揚された星条旗が欲しい。」と要求した為、それに怒った軍の指揮官が、譲渡用として改めて別の星条旗を掲揚させた為。この偽の掲揚シーンを従軍していたAP通信のカメラマンが撮影し、その写真は全米に大反響を巻き起こす事となる。長期に亘る戦争で人心が逼迫していたアメリカ国民に勝利が近い事を感じさせたのだ。そして莫大な戦費を費やして財政面で逼迫していたアメリカ政府は、星条旗を掲揚した”英雄達”を利用して戦時国債を大量に国民に売り捌き、戦費調達に充て様と企図する。
”戦時国債販売ツアー”の為、戦い半ばで内地に連れ戻された3人の英雄達。しかし真の掲揚者はその後に戦死しており、彼等は”偽の英雄”だったのだ。「未だに戦地では”仲間”が戦っているというのに、自分は偽りの英雄に仕立て上げられ、パーティ等に引き摺り回されている。」と懊悩し、酒浸りになってしまう者。そんな彼に共感を覚えながらも、成り行きに身を委ねてしまう者。そして、偽りの英雄で在る事に然程の罪悪感を覚えず、積極的に”演じ続ける”者。正に三者三様の姿が其処には在った。
「偽りの世界で自らを偽りながらも生きて行ける人間」と「偽りの世界ではどうしても生きて行けない人間」。
3人は国家によって利用され、結局最後は捨てられて行ったと言える。「国家の前では、個人の存在が斯くも小さくて軽いものなのか。」と再認識させられた。「アメリカの正義、日本の悪」を声高に叫ぶ作品では全く無く、この中で描かれているのは国家に使い捨てられた日米の戦士達の哀しみだ。
予想を遥かに上回る素晴らしい作品。「スタンド・バイ・ミー」を見終えた際に感じたものと相通じる余韻が、この作品には在った。総合評価は星4.5。
ホント、多くの米/日の若者達があの島(行った事ないですけど^^)で散ったのかと思うと、なんとも辛いですね。
「硫黄島からの手紙」早く観たいです。
> 日本軍は20,933名の守備兵力の内20,129名が戦死、アメリカ軍は戦死者6,821名、戦傷者21,865名という、双方に莫大な被害を与えてこの島での戦いは、開戦から38日後の翌月26日に日本軍の敗戦で幕を閉じる。
兵士達は愛国心を持って最前線で戦っているのに、結局政治の駒として振り回される不幸がよく描かれていましたね。
この2部作は今まで以上に戦争について深く考えさせられる作品となりそうです。
弊ブログへのトラックバック、ありがとうございました。
こちらからも、コメントとトラックバックのお返しを失礼致します。
この作品は、戦争とそこにある社会と個々の密接な繋がりを細やかに描いており、争いに対してのクリント・イーストウッド氏の静かながら強い視点を十二分に感じさせられる力作でありました。
また遊びに来させて頂きます。
ではまた。
硫黄島が日本本土の攻撃のための重要な島だというのは聞いてましたが、なぜあのちっぽけな島が、重要なのかは知りませんでした。ありがとうございます。
戦争はもとより、英雄の作られていく過程が新鮮でした。
ドクはけして語らなかったのを、息子さんが徹底的に調べ上げて原作を書いたのですよね。
何十年もたってから真実が明るみに出る。。。
9.11関連の作品もこうして作られていくんでしょうね。
いつかアメリカ側からの原爆がテーマの作品が出来るんじゃないかとも思いましたね。
硫黄島の戦いは以前にも映画になりましたが、今回のは視点を変えて興味深かったです。
なにせ日本軍よりも米軍のほうが死傷者数が多い激戦でした。
続編で渡邊謙が演ずる栗林中将は日本陸軍で一番、ダンディな将校といわれアメリカ留学の経験もあったので主流派から敬遠されてました。
日米双方から同じ舞台を描くのは面白い手法ですね。
日米を問わず、結局下っ端の兵隊達の命は軽く考えられていたというのが良く判りますよね。日本軍の場合は理解していましたが、アメリカ軍の兵隊達も己が送り込まれる場所を知らずに送り込まれていたというのは少々驚きでも在りました。
監督の確固たる信念や信条がこうも明確に描かれた作品を観てしまうと、「女優誰々の濡れ場が見所!」みたいな作品(そういうのも決して嫌いでは在りませんが(笑)。)の軽さを痛感してしまいますね。
クリント・イーストウッドの映画は、見終わるといつも「ズーン」っという気分になり、人間のはかなさや
もろさを考えさせられます。
今回もそのパターンでした。
戦争って何なんでしょうね?
各国のトップがもっとしっかり、且つ穏便に
外交を進めれば、こういった事態にはならないのではないかと思います。もちろん、簡単な話ではないのでしょうが。
相手より上に立つ。相手を陥れる、おとしまえをつける、そんな考えが及ぶから、力づくで抑えてしまうんでしょうか・・・しかも人殺しです。
今の社会は庶民に信用されていません。
当時は「国のため」という人達が沢山いたでしょうが、万一、日本が戦争になったとしても、「国のため」と本気で思える人達がどれくらいいるのでしょうか。
兵士達が報われないのなら、なおさら、戦争なんて
するべきではないです。
クリント・イーストウッドは、そんな想いを代弁してくれたと思ってます。
ブッシュにも是非、見て欲しいですね。