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「高橋昌也さん呼吸不全で死去していた、83歳。」(1月22日、デイリースポーツ)
俳優で演出家の高橋昌也さんが16日午後5時55分、呼吸不全の為、死去していた。享年83。高橋さんは年末年始も元気に自宅で過ごしていたが、呼吸器系の加療の為、訪れた病院で容態が急変し、亡くなった。
60年近い付き合いだと言う黒柳さんは、「御正月過ぎに昌也さんから、『御雑煮も食べて、感謝、感謝。舞台楽しく遣りましょう。』と綺麗な字で書いたファックスを戴きましたので、御元気だと思っておりました。16日夕方、偶仕事が休みで家に居たら、奥様からの御電話が鳴りました・・・昌也さんの様に上品な、ユーモアが判る、美しい事が好きな人は、そう居ないと思います。私達が失った物は、本当に大きいです。」等とコメントした。
高橋さんは東京都生まれ。1953年に「劇団俳優座」公演「襤褸と宝石」の主役で初舞台を踏み、翌年、小沢昭一等と「劇団新人会」を設立。其の後、「劇団四季」、「文学座」、「雲」を経て、1975年に「演劇集団 円」の設立に参加。俳優、演出家として幅広く活躍して来た。
1970年代後半からは演出に力を入れ、1987年銀座セゾン劇場の芸術総監督に就任。「幸せの背くらべ」で1996年読売演劇大賞演出家賞を受賞した。
俳優としても映画、テレヴィで多数の作品に出演し、2004年、映画「透光の樹」では日本映画批評家大賞助演男優賞を受賞した。
私生活では1993年に末期食道癌を患い、食道を全摘出したが、奇跡的に回復していた。1999年に38歳下の女性と再婚した。趣味の絵画では個展を開く程で、画家としても活躍していた。
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高橋昌也氏と言えば、存在感の在る脇役の1人。「“裏”の在る人物」を良く演じていて、個人的には「『赤いシリーズ』【動画】を始めとした、“大映ドラマ”には欠かせない俳優の1人。」という印象が強い。
【昔の高橋昌也氏】
失礼な話だが、自分の中では「高橋氏は、随分前に亡くなった。」と思い込んでいた。映画やテレヴィで御見掛けする事が無かったからだが、今回の訃報を受けて色々調べてみた所*1、「御見掛けしていたけれど、高橋氏と認識していなかった。」事が判明。「其の風貌が、余りにも変わってしまっていた。」為で、2009年に公開された映画(自分は昨年見たのだが)「空気人形」にも、老人・敬一役で出ておられた。
【5年前の高橋昌也氏】
「1993年に末期食道癌を患い、食道を全摘出された。」そうで、其の事が風貌を大きく変化させてしまったのかもしれない。合掌。
*1 「高橋氏は1958年に、女優の加藤治子さんと結婚。(1973年に離婚。)」というのも、今回初めて知った。加藤さんと言えば、大好きだったドラマ「寺内貫太郎一家」【動画】での寺内里子役が印象深い。当時50代だった彼女も、今年で92歳になられる。