1970年代後半から1980年代後半にかけてのカープは本当に強かった。「ジャイアンツがどれだけリードしていても、カープはじわじわと点数を積み上げて行き、試合終盤には逆転されていた。」という展開を、当時は何度見せ付けられた事か。真綿で首を絞めらる様な怖さを感じるチームで在り、同時に「ジャイアンツもこんな風に、粘っこいチームになってくれたら。」と憧れを抱くチームでも在った。
“赤ヘル軍団”と称された強豪チーム。それを作り上げた“表の主役”が「打撃コーチ及び監督としてチームの意識改革を図ったジョー・ルーツ氏。」や「その後を受け、機動力を生かした緻密な野球を実践した古葉竹識監督。」で在るならば、「中央球界では無名の選手達の中から、卓抜した眼力で将来的にチームの主軸となった者達を次々にスカウトした木庭教氏。」は“影の主役”の筆頭格と言って良い。衣笠祥雄氏や池谷公二郎氏、達川光男氏、高橋慶彦氏、正田耕三氏、川口和久氏、長嶋清幸氏、大野豊氏等々、数多の名選手達は木庭氏が居なければ誕生していなかったかもしれない。
そんな木庭氏が肺癌の為、5月23日に亡くなられていた事が昨日明らかとなった。享年81歳。我が国のスカウトとして初めてスピードガンを導入したのも、又、スカウトが携帯するメモ帳タイプのスコアブックを考案したのも彼だったと、今回の訃報で知った。旧態依然とした手法に飽き足らず、斬新な手法をスカウト界に持ち込んだ人物だった訳だ。
名スカウトだっただけにカープ退団後、「ホエールズ→ブルーウェーブ→ファイターズ」と3つのチームにスカウトとして招請された。1998年に完全引退する迄、40数年に亘るスカウト稼業。日本プロ野球を支え続けて来た人物が、又一人鬼籍に入られてしまった。合掌。
“赤ヘル軍団”と称された強豪チーム。それを作り上げた“表の主役”が「打撃コーチ及び監督としてチームの意識改革を図ったジョー・ルーツ氏。」や「その後を受け、機動力を生かした緻密な野球を実践した古葉竹識監督。」で在るならば、「中央球界では無名の選手達の中から、卓抜した眼力で将来的にチームの主軸となった者達を次々にスカウトした木庭教氏。」は“影の主役”の筆頭格と言って良い。衣笠祥雄氏や池谷公二郎氏、達川光男氏、高橋慶彦氏、正田耕三氏、川口和久氏、長嶋清幸氏、大野豊氏等々、数多の名選手達は木庭氏が居なければ誕生していなかったかもしれない。
そんな木庭氏が肺癌の為、5月23日に亡くなられていた事が昨日明らかとなった。享年81歳。我が国のスカウトとして初めてスピードガンを導入したのも、又、スカウトが携帯するメモ帳タイプのスコアブックを考案したのも彼だったと、今回の訃報で知った。旧態依然とした手法に飽き足らず、斬新な手法をスカウト界に持ち込んだ人物だった訳だ。
名スカウトだっただけにカープ退団後、「ホエールズ→ブルーウェーブ→ファイターズ」と3つのチームにスカウトとして招請された。1998年に完全引退する迄、40数年に亘るスカウト稼業。日本プロ野球を支え続けて来た人物が、又一人鬼籍に入られてしまった。合掌。
中日ファンとしては未だにカープへの苦手意識強いです。
だから昨今のカープには残念。
郷土意識が強すぎることが低迷の原因なのでしょうか(高橋、江藤などはそれで去ってしまった)。
あの粘り強さには怖さと同時に敬意を感じておりましたので、カープの現状にはもどかしさを覚えています。唯、カープというチームがアイデアと努力で育て上げた選手達を、ジャイアンツを始めとした他チームが次々に引き抜き、彼のチームを草刈り場にしてしまった事も大きな要因と思われ、その意味では申し訳無くも思っています。
ジャイアンツの人気が下がった理由には、長期的なヴィジョン無しに戦力獲得を図って来た事も在りますが、チームとしての郷土意識の低さも在ったのではないかと。ファイターズやホークスが郷土意識の強さから地元に溶け込み、多くのファンを獲得した事も在り、カープのスタンス自体は間違っていないと思うんです。カープの御家芸だった機動力野球から、打撃中心のチームに移行してしまった事が、低迷の端緒だったのではないでしょうか。
と形容するのがふさわしい、
そんなチームでした。
その頃から見ると
今は使う金額の多寡で成績が決まるようで
少し寂しいです。
木庭教氏の記事取り上げて頂きオールドカープファンの1人は感謝します
木庭氏は古くは長嶋さんと争い首位打者獲得した故森永勝也氏同じく長嶋氏と争いデッドボール食らい厘差で敗れた古葉毅※竹識
そして大学時代は村山とバッテリーを組んでいた知将上田監督を獲得した人物でもあります
初優勝V1戦士三村さんも木庭さんの獲得した方隠し球と言われてた技が使えた昭和のスカウトの神様でしたねえ
古葉が横浜移籍のときにコーチ陣と一緒に引っ張られたんでしたがすでに足で稼いだスカウトから転換期に入っていた時代
しかし
昭和のスカウトの神様は木庭教氏でありました…
あらためてご冥福を祈ります 合掌
グラウンド上の主役は選手達ですが、彼等だけでプロ野球が成り立っている訳では当然在りません。裏方と称される人達のバックアップが在ってこそ、プロ野球は国民的なスポーツに為り得たと思っております。裏方にも色々な役回りが在りますが、スカウト業に限って言うと、“球界の寝業師”と称された根本陸夫氏、そして“スカウトの神様”こと木庭氏の御名前を、自分はどうしても外す事が出来ません。
古葉氏に乞われてホエールズ入りした木庭氏。確かにスカウトのスタイルが転換期に入っていたと言えるのでしょうが、「卓抜した眼力」というのは何時の時代に在っても重要。最後はカープに戻って、第二の赤ヘル軍団を作り上げるべく、スカウト業を続けて欲しかったです。