「懐かし動画の宝庫」で在るYou Tube。大好きだったドラマ「アイフル大作戦」(動画)や「バーディー大作戦」(動画)のOP(小川眞由美さんの歌声には感動!)、「日清 たこ焼きラーメン」(動画)や「森永チョコレート 小枝」(動画)のCM等、これ迄に多くの懐かし動画に触れて来た。そして今回偶然発見したのは、「バイオミンX」のCM。大好きだったCMの一つで、当ブログでは過去に何度か触れている。「ビートたけし氏とその母・北野さきさんが登場するヴァージョン」(動画)は既に発見。しかし一番見たかった「ビートたけし氏と村田英雄大先生が登場するヴァージョン」がどうしても見付からなかったのだが、遂に念願叶った。こちらがそうだが、朗々とした声で「ボ~クも飲むか~ら キ~ミも飲め~ バイオミンX~♪」と歌い上げる大先生が素晴らしい。
閑話休題。
一昨日の日曜日、久し振りに渋谷の街を徘徊。若い子達で溢れ返っているのは相変わらずだったが、道玄坂をテクテク歩いていると、店舗がかなり様変わりしているのに気付いた。古くから在った店舗の幾つかにはシャッターが下りており、どうやら店仕舞いしている様。センター街に廻ってみると、やはり幾つかの店舗が無くなっていた。表面的には賑わいを見せているこの街でも、確実に「勝ち組」と「負け組」が出来上がっている事を痛感させられた次第。
渋谷を訪れた最大の目的は、パルコ・ファクトリーで開催されている「ナンシー関 大ハンコ展」(6月5日~6月15日)を見る為。世界初の消しゴム版画家にして、コラムニストでも在った彼女が、39歳の若さで亡くなったのは2002年6月12日の事。それから6年、即ち七回忌を迎えるという事で開催された展示会。
彼女の作品も然る事乍ら、著名人に対する非常に辛辣だけれども、ズバリと的を射た文章が大好きだった。週刊朝日や週刊文春で彼女がコラムを連載していた頃は、真っ先にそれを読んでいた程。幼少時よりTV大好き人間だった自分と同じ匂いを彼女には感じていたし、物の見方にも共感する点が少なくなかった。
【場外の展示品】
会場に着いて驚いたのは、入場待ちしている人の列。休日なので多少の混雑は予想していたが、よもや長蛇の列が出来ているとは思ってもいなかった。列の最後尾に並び、会場入りしたのは30分余りしてから。ナンシーさんが高校時代、初めて彫った消しゴム版画とされる「GODIEGO」のロゴが最初に目に付いた。授業中にこっそり彫っていたとは思えない程、施された細工は実に細かい。会場には彼女が生涯に彫り上げた5,000点以上の全作品(未完成の物も含め。)が展示されているとの事だが、繊細な彫り具合に言葉を失ってしまう。*1「絵柄」も然る事乍ら、それ以上に押印した時と逆に彫り込まれた「文字」が素晴らしい。
著名人を彫った作品では彼等の表面的な特徴のみならず、その心の奥底迄見据えた様な“毒”を含んだ作品がずらっと並んでいた。一つ一つの作品に、「嗚呼、これはこんな文章が記されていたなあ。」と記憶が甦る。周りからも「西田ひかるが毎年開く誕生パーティーを、良くネタにしていたよね。」とか、「森繁久彌の寿命ネタが好きだったなあ。」といった会話が聞えていた。
「本当にTVが大好きな人だったのだなあ。」という思いを新たに。TVが大好きだからこそ、“温い番組”やそれに関わる“温い著名人”が許せなかったのだろう。深い愛情在っての辛辣さ。「ナンシー関程真剣に、TV番組を憂いている人が居なくなってしまった。彼女の死以降、TV番組は一層駄目になり、迷走してしまっている。」といった趣旨の言葉を誰かが記していたが、これはその通りだと思う。作風で彼女を真似た人物は出て来ているが、芸術家としても言論人としても彼女の域には遥かに及ばない。
300円という入場料(一般)が申し訳無く思う程、充実した展示内容だった。惜しむらくは、展示方法の工夫の無さ。3~5cm角の消しゴム版画が中心なので、ごそっと纏めての展示は致し方無いのだろうが、余りに纏め過ぎた事で、一つ一つのケースに足を止める時間が長くなり、それが結果的に混雑を助長。入口と出口が一緒というのもどうかと思った。
*1 再現された仕事場や彼女の所蔵品の展示等、作品以外にも見所は在る。「ビートたけしのオールナイトニッポン」の大ファンだった様で、その録音テープがずらっと並んでいた。自分もこの番組が大好きで毎週夢中になって聞いていたし、“ハガキ職人”めいた事もしていたので、更にシンパシーが湧いた。同番組で何度も“作品”を読まれたという彼女は、「小泉せつ子」や「ベン村さ来」と並ぶハガキ職人でも在ったのだ。
閑話休題。
一昨日の日曜日、久し振りに渋谷の街を徘徊。若い子達で溢れ返っているのは相変わらずだったが、道玄坂をテクテク歩いていると、店舗がかなり様変わりしているのに気付いた。古くから在った店舗の幾つかにはシャッターが下りており、どうやら店仕舞いしている様。センター街に廻ってみると、やはり幾つかの店舗が無くなっていた。表面的には賑わいを見せているこの街でも、確実に「勝ち組」と「負け組」が出来上がっている事を痛感させられた次第。
渋谷を訪れた最大の目的は、パルコ・ファクトリーで開催されている「ナンシー関 大ハンコ展」(6月5日~6月15日)を見る為。世界初の消しゴム版画家にして、コラムニストでも在った彼女が、39歳の若さで亡くなったのは2002年6月12日の事。それから6年、即ち七回忌を迎えるという事で開催された展示会。
彼女の作品も然る事乍ら、著名人に対する非常に辛辣だけれども、ズバリと的を射た文章が大好きだった。週刊朝日や週刊文春で彼女がコラムを連載していた頃は、真っ先にそれを読んでいた程。幼少時よりTV大好き人間だった自分と同じ匂いを彼女には感じていたし、物の見方にも共感する点が少なくなかった。
【場外の展示品】
会場に着いて驚いたのは、入場待ちしている人の列。休日なので多少の混雑は予想していたが、よもや長蛇の列が出来ているとは思ってもいなかった。列の最後尾に並び、会場入りしたのは30分余りしてから。ナンシーさんが高校時代、初めて彫った消しゴム版画とされる「GODIEGO」のロゴが最初に目に付いた。授業中にこっそり彫っていたとは思えない程、施された細工は実に細かい。会場には彼女が生涯に彫り上げた5,000点以上の全作品(未完成の物も含め。)が展示されているとの事だが、繊細な彫り具合に言葉を失ってしまう。*1「絵柄」も然る事乍ら、それ以上に押印した時と逆に彫り込まれた「文字」が素晴らしい。
著名人を彫った作品では彼等の表面的な特徴のみならず、その心の奥底迄見据えた様な“毒”を含んだ作品がずらっと並んでいた。一つ一つの作品に、「嗚呼、これはこんな文章が記されていたなあ。」と記憶が甦る。周りからも「西田ひかるが毎年開く誕生パーティーを、良くネタにしていたよね。」とか、「森繁久彌の寿命ネタが好きだったなあ。」といった会話が聞えていた。
「本当にTVが大好きな人だったのだなあ。」という思いを新たに。TVが大好きだからこそ、“温い番組”やそれに関わる“温い著名人”が許せなかったのだろう。深い愛情在っての辛辣さ。「ナンシー関程真剣に、TV番組を憂いている人が居なくなってしまった。彼女の死以降、TV番組は一層駄目になり、迷走してしまっている。」といった趣旨の言葉を誰かが記していたが、これはその通りだと思う。作風で彼女を真似た人物は出て来ているが、芸術家としても言論人としても彼女の域には遥かに及ばない。
300円という入場料(一般)が申し訳無く思う程、充実した展示内容だった。惜しむらくは、展示方法の工夫の無さ。3~5cm角の消しゴム版画が中心なので、ごそっと纏めての展示は致し方無いのだろうが、余りに纏め過ぎた事で、一つ一つのケースに足を止める時間が長くなり、それが結果的に混雑を助長。入口と出口が一緒というのもどうかと思った。
*1 再現された仕事場や彼女の所蔵品の展示等、作品以外にも見所は在る。「ビートたけしのオールナイトニッポン」の大ファンだった様で、その録音テープがずらっと並んでいた。自分もこの番組が大好きで毎週夢中になって聞いていたし、“ハガキ職人”めいた事もしていたので、更にシンパシーが湧いた。同番組で何度も“作品”を読まれたという彼女は、「小泉せつ子」や「ベン村さ来」と並ぶハガキ職人でも在ったのだ。
ナンシーさんの展示会、東京ってこういうのが良く見ることが出来ていいですね。関西ってあんまりないんですよ。。。自分も見たいなぁ。
亡くなった際、意外な人たちが「ナンシー関が死んだって」と話題にしていたのも覚えています。それだけ人気のコラムだったのでしょう。
彼女がもし、もっと健康に留意していたら、今でも週刊誌を手に取ろうかという気が起こるでしょう。でも変な話だが、健康に留意するような人だったらあんな世界は作り得なかったろう、という気もします。
午後のラジオで、速報という形で彼女の訃報が流れたのを覚えています。
「長蛇の列」「列の最後尾に並んで会場入りしたのは30分余り経ってから」「入口と出口が一緒」・・確かに、纏め方に課題が残りますが。それにしても300円とは安いです。観に行きたいのですが遠すぎて。
「ビートたけしのオールナイトニッポン」彼女がハガキ職人だったとは・・・。
亡くなってから、彼女のようなずば抜けた表現力を持つ方が少なくなったようで残念です。
ムッチー(村田英雄氏)とビートたけし氏という強烈な2人が組んだこのCM、当時はかなり話題になりましたよね。その割には動画サイトにこれ迄アップされておらず、不思議に思っておりました。
ナンシーさんのこの展示会、是非各地で開催して欲しいです。あれだけ細かく彫り上げられた作品の数々は、実際に生で見ると圧巻ですし。
ナンシーさんのファンってサブカル系の人が結構多いのかなと勝手に思っていたのですが、入場待ちする列には幅広い層の方が居られ、「ナンシー人気って凄いな。」と感じました。
TVが好きなコラムニストは彼女の他にも居ましょうが、TVがそれこそ空気や水の如く、生きて行く上で必要不可欠な存在迄になっていたのはナンシーさんしか居ない様に思います。インターネットが普及している今ならば、「今日、○○の番組でXXがこんな事を言っていたよ。」といった書き込みによって諸情報を得られましょうが、普及していなかった時代から“自身の耳と目”で様々なTV番組をチェックし、鋭い分析をしていた彼女は本当に凄い。
「健康に留意する様な人だったら、あんな世界は作り得なかったろう。」というのは同感ですね。健康と言えば、彼女が良くネタにしていたのが「森繁久彌氏の寿命ネタ」。「森繁はボケちゃって、死ぬのを忘れてしまったのでは?」といった辛辣な文章がしばしば在りましたが、その文章の裏側には森繁氏に対する愛情が感じられました。(同様に良くネタにしていた中山秀征氏の場合は、“自分と同様に”本当に嫌いだった様ですが(笑)。) ナンシーさんが亡くなられた際、やはり彼女のファンだった友人が「あれだけ『森繁何時死ぬんだ?』と書いていた彼女だけに、まさか自分の方が先に死んじゃうとは思ってもいなかったろうね。この世に残した唯一の悔いは、森繁より早く亡くなったって事じゃないかな。」と語っていました。辛辣なギャグを得意にしていた彼女だけに、その死も「どうだ森繁!ビックリしたか?」といったギャグだった様に感じたりも。
僕も彼女の版画つきコラムを毎週楽しみにしていましたから、突然の死には唖然とさせられました。IT成金やセレブやら小泉チルドレンやらおばかタレントやら、彼女ならどんな辛辣なコメントをしていたやら。いや、彼女がいなくなったから、ああいう手合いが蔓延るようになったとさえ思います。
手塚治虫氏が未だ御存命だったら、自分も「グリンゴ」や「ネオ・ファウスト」を完結する迄描いて欲しかったです。その他にも「火の鳥」や「一輝まんだら」、「バンパイヤ」、「どついたれ」等、結末が判らないままに未完となってしまった作品が結構在りますね。
本日、「映画評論家の水野晴郎氏が、昨日亡くなられていた。」事が明らかになりました。TVで映画が連日の様に放送されていた時代、それは映画評論家も百花繚乱の時代でしたね。中でも淀川長治氏に小森和子さん、そして水野晴郎氏は三大映画評論家と言っても良い存在で、自分は彼等の評論(解説)を聞いて育って来た世代。水野氏が御亡くなりになられた事で、三大映画評論家全てが鬼籍に入られた事になります。
http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/c728c434564a970805379af949293f0b
ナンシーさんが、森繁久彌氏と並んで良く取り上げていた水野氏。彼女ならば今回の死を、どの様に取り上げていただろうかと思いを馳せております。合掌。