今年の元日、以前の勤務先の元上司から届いた年賀状の文面が、非常に印象的だった。一般的な新年の挨拶の後に、次の様な文章が記されていたのだ。
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扨、私も年齢的に人生の終盤に入り、少しづつ終活を始めました。長きに亘って大変御世話になった事を心より感謝し、年賀状は今年で終わりにしたいと思っております。非常に勝手な決断では在りますが、何卒御理解下さい。御多幸を祈っております。
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「年賀状仕舞い」とか「終活年賀状」というのが増えているのは知っていたけれど、実際にそういうのを受け取ったのは初めて。件の上司は恐らく80代後半で、終活という意識が在るのは確かだろうが、年賀状だけの交流となってもうウン十年経ち、「年賀状だけの交流だと、毎年、書く内容も無くなって来る。」という思いも在ったのだろう。
自分の母親も近年、「年賀状を書くのが面倒。年賀状仕舞いをし様かしら。」と不満気に言ったりしている。矢張り「年賀状でしか交流していない人の場合、毎年、書く内容に困る。」というのが、大きな理由の様だ。其の気持ちは判らないでも無いけれど、「1年に1度の事なのだし、礼儀として出した方が良いよ。」と諭している。
インターネットの普及により、若い人達を中心に年賀状離れが進んでいると聞く。年賀状代わりに、メールやLINE等で新年の挨拶を送る様だ。時代の変化と共に、使用されるツールは変化して行くので、年賀状に固執する必要は無いのかも知れない。
「年賀状では無く、メールやLINEで新年の挨拶を送るなんて、相手に対して失礼だ。」という批判も在るが、「大昔(平安時代?)、新年の挨拶を書いた文を送ったら、『新年の挨拶は、直接相手に会って言うのが筋。文で済ますなんて、何と失礼な。』と言われた。」なんて話を聞くと、時代の変化というのを考えてしまう。
「“平成での新年”が最後という事も在り、来年の年賀状で“年賀状仕舞い宣言”をする高齢者が増えそう。」という話が在る。考えは人其れ其れで在り、そういう決断をする事にどうこう言う気は無い。でも、個人的には「相手から年賀状仕舞いされない限り、年賀状を送り続けたい。」と思っている。1年に1度の交流で在ったとしても、年賀状を貰うと嬉しいし、相手の近況を知る事で「自分も頑張らないとな。」と元気になれたりもするから。