ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

ふと思った事

2019年04月02日 | 歴史関連

平成から新しい元号に変わったからといって、日々の生活が大きく変わる訳では無いのに、何でこんなにも大騒ぎしている人が多いのだろうか?」と感じ続けているので、今日の記事は“元号”以外の話題にし様かとも思ったのだが、ふと思った事が在るので、結局、元号に触れる事に。

 

昨日、新元号が発表された。「矢張りな。」と思ったのは、今回選ばれた令和』の出典が、初の日本古典という点。日本初の元号「大化」から現在の「平成、全て出典は中国の古典とされているが、安倍晋三首相は“日本の古典からの初採用”に拘っていた。自身を強く支持する極右層が「中国の古典からでは無く、日本の古典から採用すべきだ!」と主張している事を考えれば、安倍首相が拘るのは当然だし、彼の意向が“忖度”されるのも目に見えていたのだ。

 

逆に「意外だ。」と思ったのは、全く想像もしていなかった音読みの元号が選ばれた。事。何と無くだが「音読みで、あ行から始まる元号になるのではないか。」という思い(「自己顕示欲が異常に強い安倍首相だけに、自分の名字の一部で在る「安」をごり押ししそう。」という思いも加わってだが。)が在り、ら行からというのは全く考えてもいなかったので。(新元号を予想するTV番組が以前放送され、其の中で“専門家”の1人が「来音(らいおん)」というのを挙げていた。「『らいおん』なんて巫山戯た読み方の元号が選ばれる訳無いだろう。」と大笑いしたけれど、ら行なのは当たっていた事になる。

 

「令」というと「命令の令」というイメージが強いので、個人的には「どうなのかなあ。」という思いが在る。慣れてしまえば、気にならなくなるのかも知れないが・・・。

 

今回の「令和」、日本の元号としては248番目となる。此の中で最も長く続いたのは「昭和(62年13日)」で、其の次は「明治(43年9ヶ月7日)」。逆に最も短いのは鎌倉時代の「暦仁(2ヶ月14日)」で、「りゃくにん」という読みが「略人」に繋がり、「此の世から、人が略される(死んで消えてしまう。)」を連想させた事から不人気だったとか。

 

以前にも書いた事だけれど、元号と西暦併用されるのは非常にややこしく公的文書乃至は公的文書に類する物に関しては、西暦表記に統一して欲しい。と思っている。だが、「元号を廃止せよ。」とは思わない。歴史好きとしては、「『大化の改新』が『646年(昔は645年と習ったが。)の改新』となったりしたら、何とも味気無い。」と考えているので。

 

で、今回の記事のタイトル「ふと思った事」だが、今上天皇(現在、在位中の天皇の事。即ち、2019年4月30日迄は、明仁氏を指す。)は、後世の歴史の教科書で、どう表記されるのだろうか?という事に付いて。

 

「上皇:太上天皇の略。天皇が、天皇の位を後継者に譲った後の天皇の称号。」、「法皇:出家した太政天皇に贈られる称号。」という定義付けになっているので、今上天皇は退位した2019年5月1日以降、“平成上皇”と呼ばれる事になるだろう。上皇が誕生するのは、第119代の光格上皇以来202年振りという事になる。(1884年の慶光院は例外として。)

 

上皇と言えば「白河上皇」、そして法皇と言えば「後白河法皇」といった辺りが有名だが、当たり前と言えば当たり前だけれど、彼等は「白河天皇」、又は「後白河天皇」という時代を経ている。退位した後の称号が存在するから(イメージ的に“格上”の感じがするから?)、一般的には「白河天皇や後白河天皇よりも、白河上皇や後白河法皇という称号の方が有名で、歴史の教科書等でも其方で表記されている事が多い。」気がする。

 

生前退位では無い(退位後の称号が無い)事から「明治天皇大正天皇昭和天皇」と、「在位中の元号+天皇」という称号の表記が続いて来たけれど、「平成上皇」という称号も併せ持つ事になる(で在ろう)今上天皇の場合、後世の歴史の教科書等では「平成天皇」or「平成上皇」の何方の表記が、主に使われる様になるのだろうか?(「平成天皇[平成上皇]という併記の形が、主になりそうな気もするが。)


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2 コメント

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年号に反対ではありませんが (さすらい日乗)
2019-04-07 20:56:23
君が代・日の丸のように、年号に反対ではありませんが、やはり不便です。
例えば、大映がつぶれ、日活がロマンポルノに転向したのは、「昭和何年と」すぐにこたえられますか。
西暦なら簡単です、1971年です。
明治、大正、昭和、そして平成と時代を大きく現すものとしては悪くありませんが、個々の年を表現するのは、結構面倒です。私は、いつも「今年は昭和何年」として変換していました。
だから、次第に年号は使われなくなのではないかと思っています。

また、なぜ上皇がいたのでしょうか。
それは非常に簡単なことで、天皇は土地を持てなかったのです。つまり古代でも政経分離があったのです。
しかし、譲位して上皇になると領地を持てたので、僧兵を雇い、武士と対抗することができたのです。
学校では教えてくれない歴史ですが、本当です。
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>さすらい日乗様 (giants-55)
2019-04-08 02:12:55
書き込み有り難う御座いました。

自分の場合はさすらい日乗様と逆で、「昭和〇〇年」と言われると、「自分が生まれたのは昭和XX年。→其の自分が今年△△歳だから、XX+△△=☆☆。詰まり、昭和に置き換えると、今年は昭和☆☆年。→そうなると昭和〇〇年は☆☆ー△△=**と、**年前になるのか。」といった感じで、非常に面倒臭い計算をする事に。

上皇の話、昔、歴史関連の本で読んだ記憶が在ります。後白河法皇等、権謀術数に長けた(元)天皇が存在したのも、実質的な武力や財力を有した者達(武士が登場して以降は、其れが武士になった訳ですが。)と渡り合って行く術だったのでしょうね。
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