そういった連中は昔から居たけれど、安倍晋三氏が首相になって以降、頓に増えて来た感じがする。「問題発言をしても、『発言が不適切だった。謝罪する。』と口にするだけで全てを済ませてしまったり、疑惑を追及されると、平然と『記憶に在りません。』とか『(問題となっている物は)捨ててしまいました。』と答えて誤魔化す官僚や政治家。」の事だ。そういう連中に限って「道徳心の欠如した日本人が増えており、道徳教育をもっと行うべきだ!」とか声高に主張しているのだから、本当に呆れてしまう。こんな大人達を目にしていたら、どんな道徳教育を行おうとも、子供達の中に道徳心が育つ訳が無い。
閑話休題。
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「パチンコ・パチスロ 『遊戯障害』の恐れ 国内に90万人」(8月24日、毎日新聞)
パチンコ・パチスロに過度にのめり込む「遊技障害」が疑われる状態になった事の在る人が、国内に推計で約90万人居る事が24日、お茶の水女子大のワーキング・グループと精神科医や研究者等による「パチンコ依存問題研究会」の初めての全国調査で判った。調査結果を公表した牧野暢男・日本女子大名誉教授(社会学)は「社会的に、対策を講じるべきだ。」と訴えた。
今年1~2月、無作為抽出した18~79歳の男女9,000人に調査票を送り、5,060人(56.2%)から回答を得た。過去に精神面や家計、仕事、人間関係等の何れかに支障が出ている「遊技障害」の疑われる状態になった事が在る人は47人で、全国では約90万人と推計された。直近1年に限ると21人で、全国推計は約40万人。21人の特性を分析すると、離婚経験が在る人や預貯金の無い人が多かった。一方、男女や年代、学歴、職業、居住地、店舗の遠近との関連は見られなかった。
グループはパチンコ・パチスロ遊技障害尺度(PPDS)を独自に開発し、日常生活に表れる症状や思考、行動を27項目挙げて数値化。一定点数以上の人を遊技障害の恐れが在ると判断し、医学的な審査を経て、調査を実施した。
競馬・競輪・競艇等も含む「ギャンブル依存」は行動障害で、精神疾患の一種と考えられている。今回の全国調査とは尺度が異なるが、厚生労働省の研究班による2013年の調査では、依存が疑われる状態になった事が在るのは成人人口の4.8%に当たる約536万人と推計している。牧野名誉教授は「障害を引き起こす要因の特定や、障害の予防や治療法の検討に取り組んで行きたい。」と話した。
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“我が国のカジノ解禁”を声高に主張する政治家達は、「海外でカジノを解禁した国々では、多くの観光客を呼び、外貨が稼げている。」等と、薔薇色の夢を口にする。確かにカジノ解禁で外貨を稼げている所も在るけれど、韓国のみならず、カジノの本場とも言えるアメリカ内でさえニュージャージー州等、“カジノ破綻”している所が増えていると言う。
又、ギャンブル依存症の対策費も馬鹿にならず、「今ですらギャンブル依存症の増加が問題になっている我が国で、更にカジノ解禁を推し進めて大丈夫なのか?」という思いが在る。目先の金に目が眩んだり、カジノ解禁によって莫大な利益を得る連中と癒着が噂される政治家達が、前のめりになっている様な感が。
今回の遊戯障害に関するニュースを見て、安直にカジノ解禁を推し進めようとしている状況に、更なる不安を感じた。
そう書かないのは、表向きはパチンコは“ギャンブルじゃない”って事になってるからでしょう。でもほとんどの人はパチンコは玉を現金に換金するギャンブルだという事を知ってますよね。それなのに、警察は「ギャンブルではない」と言い張ってます。
あきれた事に、警察庁はつい最近、ギャンブル依存症対策の一環として、パチンコの出玉を現行の3分の2程度とし、客のもうけを現行の十数万円から5万円を下回るようにするよう、風営法施行規則などの一部を改正したとの事です。
てことは、警察もパチンコがギャンブルである事を認めたって事ですよね。語るに落ちるとはこの事です。
私の個人的見解ですが、ギャンブルは一種の“麻薬”だと思ってます。快楽の味を知ってしまうとどんどん深みに嵌まり込んで抜けられなくなり、金をつぎ込んでしまう。やめようと思っても、誘惑に負けてまた手を出してしまう。これってまさしく麻薬です。
麻薬は体を蝕むけれど、ギャンブルは心を蝕みます。その証拠に、パチンコ依存症の親が子供を炎天下の駐車場の車に閉じ込めて何時間もパチンコに熱中して、子供を熱射病で死なせてしまったという事件が何度も起きてます。普通の神経の人間ならこんなバカな事はしないでしょう。精神が普通じゃなくなってる証拠です。
だから、カジノ解禁なんて以ての外です。パチンコより桁が違いますから、もっと悲惨な家庭崩壊、人間崩壊が続出するでしょう。絶対解禁してはいけません。
パチンコも、全面廃止は難しいでしょうから、現金換金はやめて、表向きなってるように、米とか食料品、洗剤、化粧品とかの生活用品に交換する、本来の“ゲーム(遊戯)”に戻すべきでしょう。出来るなら、玉の購入額も一人1日上限3千円くらいに制限するシステムを導入してもいいと思います。具体的には、例えば本人確認資料を提示して専用カードを発行し、1日3千円までしかチャージ出来ないようにし、このカードでしか玉を購入出来ない事にすればいいのです。やれない事はないでしょう。これ、政府として反対する議員を押し切って実行すれば、内閣支持率も絶対上がると思いますがねぇ。
ま、無理かな?
日本の文化は、本音と建前の文化なんて言いますよね。「パチンコは、ギャンブルに非ず。」というのも、そんな文化の表れの様な気がします。大体、パチンコ関連の企業に警察の人間が多く天下っているのですから、警察が真剣にパチンコの問題点を取り締まろうなんて思う訳が無い。
個人的には昔、パチンコを嗜んでいた時代が在りましたので(とは言っても、1回最大で2千円程度でしたが。)、パチンコに興じる人達の気持ちは判らないでも無いんです。でも、だからと言ってギャンブル依存症に陥ってしまうのは言語道断。ギャンブル依存症による悲劇には、心が痛む事が多いです。
以前、ギャンブル依存症に付いて、専門家が話していた事が印象に強く残っています。ギャンブル依存症は脳の病気でも在り、脳がギャンブルにだけ過剰反応し、脳の機能のバランスが崩れてしまう状態に在るのだとか。だから治療をして治ったと思っても、時間が経つと再び手を出したくなる欲求に苦しむ。麻薬と一緒で、心身を蝕んでしまうんですね。
詳しくは書きませんが、カジノ関連で潤うで在ろう企業のトップには、政権内部の人達と近しい関係に在る者が少なく無い。余りにも前のめりにカジノ解禁を政治家達が主張するのも、非常に怪しげな理由が在る様に感じてなりません。
「遊戯」というのなら、景品買いは完全に禁止すべきです。で、ないのならパチンコをなくすべきです。できないのはパチンコ業界から多額の献金をもらっている連中がいるからでしょう。やる気があればできます。韓国にもパチンコはありましたが、いまは全面禁止です。日本の国内でも、私が住まいおる神戸の隣の芦屋市は条例でパチンコ店を出店できません。芦屋市内には1軒もパチンコ屋がありません。パチンコ禁止やる気があればできるのです。
カジノも、国民がなん万人ギャンブル依存症になるより、自分のふところが肥える方がいい連中がいるからでしょう。
ギャンブル依存症になる人たちは、最初の何回かでたまたま大勝ちしてしまった経験者ではないかと、私は思っています。
ギャンブルで大勝ちしたときの高揚感は、多分他の何をやっても得られない、代替えのきかないものかも。
あの昂揚感よもう一度、という心理が働いてどっぷりつかってしまうのではないかと。
父親は自分の小遣いの範囲内で競馬競輪競艇を楽しむ人で、幼少の頃はよくあちこちのレース場に連れていかれたものです(笑)。
博打というより、レースそのものを楽むためのスパイスとしていた感じでした。
歳のずいぶん離れた兄はその逆で、借金してまでギャンブルにのめり込んで、夜逃げ同然に姿を消したこともありました。
その兄のことを父は、戦争でのシベリア抑留体験が性格を変えてしまった、とも言っていましたが。
私の中にもそんなDNAは受け継がれているはずですが、幸か不幸か勝負運にはとことん見放されているので、大勝ちの高揚感を知らずのめり込むこともなく過ごせています(苦笑)。
生活品との交換というのも、家族が喜ぶもので、換金しづらい必需品が良いという事だと思います。
だから、カジノはその事業と物議を醸すサイズの大きさから、初めから、大型店を構想しているものと思います。だから、エンターテイメントの総合的な施設が作られると思いますし、そういった事業によって、資本の循環を娯楽の無い地方などに求める事は悪い事ではないと思います。だから、東京とかに一極集中するのでなければ、根拠として経済浮揚策として東北などの地域を刺激するものだと思います。
当ブログで記事を書いた際、「此の記事には、結構反応が在るだろうな。」とか、「此の記事は、殆ど反応が無いだろう。」とか予想しています。でも、結構反応が在るだろうと予想していたのに、全く無反応な事が在る一方、予想に反して多くの反応を頂戴する事も。今回の記事、正直言ってこんなに反応を頂戴するとは、全く思っていませんでした。
Kei様が書かれている様に、「遊戯障害」なる表現に、自分も違和感が。「遊戯障害」と表現すると、何か軽さを感じてしまうけれど、実態は「ギャンブル依存症」以外の何物でも無いから。
何や彼や尤もらしい理由を口にして、「武器輸出」や「原発輸出」を推し進める政府。でも、其の実態は「危険性が高い物で在っても、儲かれば何でもOK。」という薄汚い下心が透けて見えてしまう。此れが、美しい国なのでしょうかね。
御兄様の件、とても考えさせられました。ストレスの発散という意味で、そして常識的な範囲で在れば、ギャンブルを完全否定する気は無いけれど、個人だけでは無く、其の家庭迄も崩壊させてしまうレヴェルになると、ギャンブルは害以外の何物でも無くなってしまう。
以前、「宝籤で高額当選した人達が、どうして身を持ち崩してしまうのか?」に付いて書かれているのを読みました。例えば其れ迄は年収500万円で生活していた人が、「一寸贅沢してみよう。」と思い、何時もは700円のランチを食べているのに、或る日、1,000円のランチを食べたとする。食べた後、「贅沢しちゃったなあ。」と思うだろうけれど、此れが高額当選した人だと、“一寸の贅沢”が2,000円となり、其れを食べた後、「美味しいなあ。でも、2,000円でこんな美味しいなら、3,000円のランチはどうなんだろう?」となってしまう。そして、其れが次は5,000円となり・・・といった具合に、どんどん歯止めが利かなくなってしまうのが人間なのだと。
悠々遊様が指摘されている様に、一度の成功経験が、更なる成功経験を求めてしまうというのは、そういうのと一緒なのでしょうね。
「資本の循環を娯楽の無い地方等に求める事は、悪い事では無い。」、此の考え方自体は、自分も同感です。唯、そういう場合でも、ギャンブル依存症の人を増やさない“現実的な歯止め策”は必要だし、又、別の大きな懸念で在る、カジノ解禁によって生まれるで在ろう怪しげな利権を極力排除する為の“現実的な法規制”は必要でしょうね。パチンコですら、怪しげな利権が蠢いているのですから。