「阪神・淡路大震災発生時の映像」と「東日本大震災発生時の映像」を比べた場合、大きな違いを感じるのは「一般市民が撮影した動画の量」だ。阪神・淡路大震災が発生したのは18年前の1995年。「携帯電話が普及する下地が出来上がった頃」だったし、携帯電話に動画撮影機能が“普通に”付いていなかった様に思う。だから当時、一般市民が撮影した発生時の動画となると、携帯電話以外のツールによる物だったろう。東日本大震災発生時には当然の如く携帯電話普及しているので、多くの人が其の動画を撮影出来た。
*********************************
「数千件も! ロシアの多くの人々が隕石落下の瞬間を撮影出来た理由。」(2月17日、Techinsight Japan)
ロシア、ウラル地方の都市チェリャビンスクに隕石が落下し、約1,200名が負傷したというニュースは世界中に衝撃を与えている。インターネット上には隕石落下の瞬間の動画が多数アップされており、其れにより当時の様子を詳しく知る事が出来る。だが、何故此の様に沢山の人々が落下する瞬間を撮影する事が出来たのか?其の多くは車載カメラによって撮影された物で在るが、其処にはロシアの交通事情に於ける問題が影響していた。
ロシアの交通事情は非常に悪く、昨年だけでも約20万件の交通事故が発生し、其の死亡者は約2万8,000人にも上る。此の原因は様々で在るが、飲酒運転の多さや、特に高級車や大型車に多い猛スピードでの運転といった交通規則の無視、そしてタイヤの跡や穴が多く残る整備されない儘の道路や、交通標識や街灯の不足といった国側の交通整備に対する怠慢等が挙げられる。
又、ロシアでは警察官のモラルの低さも問題となっている。事故が発生した際に何かしら理由を付け、賄賂を強要される場合も在り、被害者どころか加害者にとっても当てになる存在では無いのだと言う。
こうした事情から、ロシアで車を運転する人の多くは車載カメラを搭載し、24時間休む事無く作動させておくのが一般的で在ると、ドイツの日刊紙「Welt」は報じている。万が一事故や事件に巻き込まれた時も、当時のフィルムを証拠として裁判所に提出出来る為、カメラは一種の保険の様な物になっているそうだ。
同紙によると、隕石が落下する様子が撮影された動画は数千件にも及んでいるが、此れは現在迄に発生した宇宙に関する事件の記録としては、偶然とはいえ、最も多い物ではないかという事だ。
*********************************
今回の隕石落下の動画、「やけに多く撮られていたなあ。」とは感じていた。「携帯電話の普及による産物」と許り思っていたが、ロシア特有の事情が反映されていたとは。
見てるコチラはハラハラしてると携帯で撮影してる人の後ろからお婆さんに駆け寄りお婆さんを抱き抱える様にして坂道を駆け上がり丘の上に避難させた人が居ました・・・・・・
でも普通は携帯で撮影してる人が撮影を止めてお婆さん助けるのが人として取るべき行動では?
他人を助ける事により自分の命まで危うくなるのなら仕方がないけど
何かを撮ってテレビ局や動画サイトに投稿するのも良いけど自分の資質を問われかねない場合も有るから気をつけたいですね
何年か前に当ブログで「イギリスは、世界で最も防犯カメラが整備されている国らしい。日本もイギリス並に、防犯カメラが到る所に設置される様になるのだろうか?」といった記事を書いた記憶が在るのですが、考えていた以上のスピードで、我が国も防犯カメラが到る所に設置される状況に。
昨年、オウムの残党が次々に捕まった際、防犯カメラが其の逮捕に大きく寄与しましたね。様々な場所で取られた映像を見て、「犯罪の抑止力及び摘発に役立つのは良いけれど、自分もあんな感じで、無意識の内に撮られ捲っているんだなあ。為政者が自分にとって気に食わない人間を捕まえるのに防犯カメラを悪用する様になったら、此れは本当に怖い事だ。」と感じました。
又、5年前の記事「防犯カメラの映像」(http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/5d3e4adfc2ea60e840642aa407f57678)でも触れたのですが、事件の“被害者”の姿、其れも事件とは全く無関係な状況での姿が、防犯カメラに映っていたという事で、マスメディアが(恐らくは)勝手に使用するというのも、倫理的にどうかという懸念が在ります。
透明人間様が指摘されている御婆さんの動画、自分も見ましたし、同じ様な思いを持ちました。又、津波が自宅に迫っている様子をヘラヘラ笑い乍ら撮っている動画も目にしましたが、此れも「どうなのかなあ。」という思いが。まあ、此方の場合は、津波が目の前に迫って来た段階で、撮影者の少年(?)が真剣に慌て出し、其れが映像に強い現実感を与えた面も在るのですが・・・。
「報道か人命か」というテーマになると、頭に浮かぶのが報道写真家のケビン・カーター氏(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%93%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC#.E3.83.8F.E3.82.B2.E3.83.AF.E3.82.B7.E3.81.A8.E5.B0.91.E5.A5.B3)が撮影し、ピューリッツァー賞(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%BC%E8%B3%9E)を受賞した写真「ハゲワシと少女」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%93%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC#.E3.83.8F.E3.82.B2.E3.83.AF.E3.82.B7.E3.81.A8.E5.B0.91.E5.A5.B3)。リンク先に詳細が記されているので読んで戴けると幸いなのですが、可成りの非難が集まった事も在ってか、カーター氏は授賞式の約1ヶ月後に、自ら命を絶ってしまった。「少女を見殺しにした。」という非難が在ったけれど、実際には「ハゲワシを追い払い、其の後に少女は立ち上がり、国連の食糧配給センタ-の方へと歩いて行った。」という事の様です。
「報道か人命か」、此れは非常に難しいテーマですね。