****************************
【第21回ドラフト会議(1985年) 各チームの1位指名選手】
スワローズ: 伊東昭光投手(1998年、スワローズで現役引退。現在はスワローズのヘッド兼投手コーチ。)
ホークス: 西川佳明投手(1992年、タイガースで現役引退。現在はゴルフのアシスタントプロ?)
ドラゴンズ: 斉藤学投手(1997年、ホークスで現役引退。現在はホークスの育成担当。)
ファイターズ: 広瀬哲朗選手(1999年、ファイターズで現役引退。現在は野球解説者。)
ホエールズ: 中山裕章投手(2001年にドラゴンズを退団し、台湾の中信ホエールズに入団。以降は不明。)
ブレーブス: 石井宏投手(1989年にタイガースを退団。現在は民間企業勤務?)
ジャイアンツ: 桑田真澄投手(2006年、ジャイアンツを退団。現在はピッツバーグ・パイレーツのマイナー所属。)
バファローズ: 桧山泰浩投手(1991年にバファローズを退団し、韓国プロ野球のサンパンウル・レイダースに入団。現在は司法書士、早稲田セミナー専任講師。)
カープ: 長冨浩志投手(2002年、ホークスで現役引退。現在は独立リーグ「北信越ベースボールチャレンジリーグ」の石川ミリオンスターズの投手コーチ。)
オリオンズ: 石田雅彦投手(1994年、マリーンズで現役引退。現在はマリーンズの打撃投手?)
タイガース: 遠山昭治(奬志)投手(2002年、タイガースで現役引退。現在はタイガースの育成担当コーチ。)
ライオンズ: 清原和博選手(現在はバファローズ在籍中。)
****************************
今から22年前の1985年、猛虎・タイガースが圧倒的な力を発揮して日本一に輝いた年。生っ粋のタイガース・ファンで普段は冷静沈着な先輩が、日本一達成に滂沱していた姿が今でも忘れられない。その年のオフに開かれたドラフト会議では、清原&桑田両選手の所謂KKコンビの動向に世間の注目が集まった。この年のドラフト1位指名全12選手の内、今でも現役を続けているのは、そのKKコンビだけになってしまった。
そしてこの年、ファイターズにドラフト3位で指名されたのは、愛称”コユキ”こと田中幸雄選手。今年で選手生活22年目を迎えた彼(39歳)が、昨夜東京ドームで行われた「イーグルスv.s.ファイターズ」戦で、プロ野球史上35人目の2千本安打を達成した。1994年には年間で148安打を放った彼だが、過去3年間の総安打数はその1年分にも遥かに及ばない81安打。全盛期も怪我に泣かされた彼だが、2003年以降はその怪我に加えて打撃不振で苦悩の日々を送って来た。良い悪いは別にして、一つのチームで選手生活を終えるのが稀有になった昨今、ましてやその一つのチームで2千本安打を達成するというのは難しくなって来たと言えよう。
コユキ選手がレギュラーを務めていた時代というと、投手では”トレンディー・エース”と呼ばれた西崎幸広投手がバファローズのエースだった阿波野秀幸投手と競い合い、他には津野浩投手や柴田保光投手、金沢次男投手、田中富生投手、田中幸雄投手等が印象に残っている。打者では島田誠選手や津末英明選手、古屋英夫選手、田村藤夫選手、パトリック・パットナム選手、トニー・ブリューワ選手等が居り、キャップやアンダーシャツ、ストッキング等がオレンジで染め抜かれていた時代。チームと選手達を心から愛する大社義規氏がオーナーを務めていた事も在り、非常に家族的な雰囲気の漂うホンワカとしたチームというイメージが在る。
しかしファンの方には申し訳無いが、決して強いチームでは無かった。Bクラスに居るのが定番と言えるチーム状況の中、主力選手としてチームを牽引して来た一人がコユキ選手。昨年で言えば新庄剛志選手やダルビッシュ有投手等の”派手系”な選手が居る中で、コユキ選手は”地味系”の選手と言えるだろう。「決して派手さは無いものの、地味にコツコツと直向きに野球に取り組む選手」というイメージが強く、自分の中では「弟分のダルビッシュ投手が山川豊氏ならば、コユキ選手は鳥羽一郎氏。」と喩えている。
寡黙で頑固な職人を思わせるコユキ選手が2千本安打を達成した事が心から嬉しい。本当におめでとう!!
自分とほぼ同世代のコユキ選手が素晴らしい記録を打ち立てた昨夜、同じ試合ではやはり”おっさん選手”の山崎武司選手(ゴールデンイーグイルス・38歳)がホームラン3本を放って大活躍を見せた。今季のホームラン数は既に18本と、ホームラン・ダービーのトップを直走っている。そして「バファローズv.s.ホークス」戦では、40歳の吉田修司投手(バファローズ)が勝利投手となり、「ライオンズv.s.マリーンズ」戦では、38歳の堀幸一選手が勝利打点を叩き出した。おっさん選手達が光り輝いた夜。おっさんがNow!
【第21回ドラフト会議(1985年) 各チームの1位指名選手】
スワローズ: 伊東昭光投手(1998年、スワローズで現役引退。現在はスワローズのヘッド兼投手コーチ。)
ホークス: 西川佳明投手(1992年、タイガースで現役引退。現在はゴルフのアシスタントプロ?)
ドラゴンズ: 斉藤学投手(1997年、ホークスで現役引退。現在はホークスの育成担当。)
ファイターズ: 広瀬哲朗選手(1999年、ファイターズで現役引退。現在は野球解説者。)
ホエールズ: 中山裕章投手(2001年にドラゴンズを退団し、台湾の中信ホエールズに入団。以降は不明。)
ブレーブス: 石井宏投手(1989年にタイガースを退団。現在は民間企業勤務?)
ジャイアンツ: 桑田真澄投手(2006年、ジャイアンツを退団。現在はピッツバーグ・パイレーツのマイナー所属。)
バファローズ: 桧山泰浩投手(1991年にバファローズを退団し、韓国プロ野球のサンパンウル・レイダースに入団。現在は司法書士、早稲田セミナー専任講師。)
カープ: 長冨浩志投手(2002年、ホークスで現役引退。現在は独立リーグ「北信越ベースボールチャレンジリーグ」の石川ミリオンスターズの投手コーチ。)
オリオンズ: 石田雅彦投手(1994年、マリーンズで現役引退。現在はマリーンズの打撃投手?)
タイガース: 遠山昭治(奬志)投手(2002年、タイガースで現役引退。現在はタイガースの育成担当コーチ。)
ライオンズ: 清原和博選手(現在はバファローズ在籍中。)
****************************
今から22年前の1985年、猛虎・タイガースが圧倒的な力を発揮して日本一に輝いた年。生っ粋のタイガース・ファンで普段は冷静沈着な先輩が、日本一達成に滂沱していた姿が今でも忘れられない。その年のオフに開かれたドラフト会議では、清原&桑田両選手の所謂KKコンビの動向に世間の注目が集まった。この年のドラフト1位指名全12選手の内、今でも現役を続けているのは、そのKKコンビだけになってしまった。
そしてこの年、ファイターズにドラフト3位で指名されたのは、愛称”コユキ”こと田中幸雄選手。今年で選手生活22年目を迎えた彼(39歳)が、昨夜東京ドームで行われた「イーグルスv.s.ファイターズ」戦で、プロ野球史上35人目の2千本安打を達成した。1994年には年間で148安打を放った彼だが、過去3年間の総安打数はその1年分にも遥かに及ばない81安打。全盛期も怪我に泣かされた彼だが、2003年以降はその怪我に加えて打撃不振で苦悩の日々を送って来た。良い悪いは別にして、一つのチームで選手生活を終えるのが稀有になった昨今、ましてやその一つのチームで2千本安打を達成するというのは難しくなって来たと言えよう。
コユキ選手がレギュラーを務めていた時代というと、投手では”トレンディー・エース”と呼ばれた西崎幸広投手がバファローズのエースだった阿波野秀幸投手と競い合い、他には津野浩投手や柴田保光投手、金沢次男投手、田中富生投手、田中幸雄投手等が印象に残っている。打者では島田誠選手や津末英明選手、古屋英夫選手、田村藤夫選手、パトリック・パットナム選手、トニー・ブリューワ選手等が居り、キャップやアンダーシャツ、ストッキング等がオレンジで染め抜かれていた時代。チームと選手達を心から愛する大社義規氏がオーナーを務めていた事も在り、非常に家族的な雰囲気の漂うホンワカとしたチームというイメージが在る。
しかしファンの方には申し訳無いが、決して強いチームでは無かった。Bクラスに居るのが定番と言えるチーム状況の中、主力選手としてチームを牽引して来た一人がコユキ選手。昨年で言えば新庄剛志選手やダルビッシュ有投手等の”派手系”な選手が居る中で、コユキ選手は”地味系”の選手と言えるだろう。「決して派手さは無いものの、地味にコツコツと直向きに野球に取り組む選手」というイメージが強く、自分の中では「弟分のダルビッシュ投手が山川豊氏ならば、コユキ選手は鳥羽一郎氏。」と喩えている。
寡黙で頑固な職人を思わせるコユキ選手が2千本安打を達成した事が心から嬉しい。本当におめでとう!!
自分とほぼ同世代のコユキ選手が素晴らしい記録を打ち立てた昨夜、同じ試合ではやはり”おっさん選手”の山崎武司選手(ゴールデンイーグイルス・38歳)がホームラン3本を放って大活躍を見せた。今季のホームラン数は既に18本と、ホームラン・ダービーのトップを直走っている。そして「バファローズv.s.ホークス」戦では、40歳の吉田修司投手(バファローズ)が勝利投手となり、「ライオンズv.s.マリーンズ」戦では、38歳の堀幸一選手が勝利打点を叩き出した。おっさん選手達が光り輝いた夜。おっさんがNow!
同期入団の清原のような派手さ、華やかさとは「まったく」無縁でした。ただただ地道にこつこつとまじめに安打を積み重ねたことに対して野球の神様がごほうびをくれたのだと思います。昨年の日本一も含めて。そして天国の故大社オーナーもきっとお喜びにちがいありません。
>田中幸雄在籍時の日ハム
渋い選手ばっかりでしたよ・・古屋、田村、そしてブリューワーと。西崎は例外中の例外でした。
試合終了後、スポーツ・ニュースにてコユキ選手のインタビューの模様が報じられていましたが、「達成が決まった瞬間のセレモニーは恥ずかしかった。自分は派手なキャラクターでは無いので。」、「他の選手なら名2千本安打は『通過点』という事になるのでしょうが、自分の場合は年齢を考えてもそうでは無く、思っている事は『兎に角、一日も長く選手生活を続けられたら。』という事。」、「感謝している人は一杯居ますが、一人だけ挙げろと言われたら、結果を残せない自分を我慢して使い続けてくれた(入団時の)高田監督。」等々、彼の朴訥で飾りの無い人となりが伺われて良かったです。
本当に派手さは無い、寧ろ地味な存在と言えましょうが、寡黙な職人を思わせる選手で真摯に野球と向き合っている所が彼の魅力。コツコツと努力している彼の背中を見て、後輩達が育って行っている面は在りましょうし、それだからこそ記録達成時にはチーム・メイトがあそこ迄喜んでいたのでしょうね。
嘗てのファイターズやオリオンズは決して強いチームでは無かったものの、職人を思わせる選手達が少なくなかったと思います。そんなチームが今や優勝争いに参加する状況になった事に隔世の感を覚えますし、パ・リーグがこれ程迄盛り上がって来ている要因なのだろうなと感じます。
本当におめでとう御座いました!
同期がKKコンビだったのですね。今日か昨日、清原が復帰について弱気になっているとのニュースを目にしました。清原選手はもう一年を通じて活躍しない選手になってから久しいと思います。残念ながら清原選手の後半は「長持ち」ではありますが、「丈夫」ではありませんでしたね。惜しいとは思いますがそろそろ潮時だと思います。
元ジャイアンツの吉田投手もまだ健在なのですね。横浜の「ハマのおじさん」こと工藤投手にも是非もう一花咲かせてもらいたいと思います。
「NOW」という単語を見聞すると、せんだみつお大先生が司会をしていた「ぎんざNOW!」が頭に浮かんでしまいます。後輩タレント達が次々と自分自身を飛び越えて行ってしまったとして自らを「飛び箱タレント」と称す大先生。今でも”ちびろくラーメン”を食べておられるのでしょうか。(http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A4%C1%A4%D3%A4%ED%A4%AF?kid=36103)
閑話休題。こちら(http://www.meikyukai.co.jp/yotei/index.htm)を拝見しますと、次の名球会候補者は山本昌投手か前田智徳選手になりそうですね。
それにしても弱かった時代のスワローズをエースとして支えて来た松岡弘投手は最後迄頑張ったものの191勝で選手生命を終え、200勝達成はなりませんでした。平成の大エースと呼ばれた斎藤雅樹投手も180勝で終わりましたし、残り27勝の桑田投手も達成は先ず無理でしょうね。そんな彼等や掛布雅之選手、江川卓投手、西本聖投手、そして好きな人間では無いですが(笑)星野仙一投手等の居ない名球会ってどうなんだろうなという気がします。
1985年に日本一となり、翌年からは長き冬の時代に入ってしまったタイガース。正にその1986年にドラフト1位でタイガース入りした猪俣隆投手が、ワシントンで寿司職人をされているというニュースを知った時と同じ位のビックリ度でした。
妹の亭主が教員資格を取るために6年かかってN大の通信過程を卒業したのですが、その際の仲間に元・ヤクルトの選手がいたそうです。ただあまり有名な人でなかったので、義弟も私も現役時のことは全く知らなかったのですが。
>NOW
せんみつは不可思議なタレントです。「せんみつ・湯原」コンビ相方の湯原昌幸さんはテレショッピングで見かけますね。演歌も歌ってるようですが。
せんだ大先生、本当に不思議なタレントだと思います。知る人ぞ知る話では在りますが、彼は「白いブランコ」で御馴染みのグループ「ビリーバンバン」のオリジナル・メンバーでした。つまりビリーバンバンは当初3人組という事になります。同グループのデビューが決まった際、レコード会社から「彼は一寸イメージと違う。」といった意見が出て、結局せんだ大先生は外されたとの事(笑)。あの清らかなハーモニーを奏でるビリーバンバンに、せんだ大先生の声は余りにも想像出来無いのですが。
対横浜第2戦で打撲した阿部捕手が、翌日原監督の「今日は休め」、阿部「出ます」、原「いや、休め」、阿部「出ます」。そして、ニッポン放送のえもやん「ケガした時の阿部の働きがポイント」、予言通りになって、えもやん天狗になっていました。
怪我さえ無ければ、もっと早い段階で2千本安打を達成出来ていたでしょうね。
結構好い加減なコメントも多いエモやんですが、「怪我した時の阿部選手がポイント。」というのは当たっていましたね^^。何処のチームでも二番手捕手の力量差には頭を悩まされている所ですが、ジャイアンツの場合は特にそうではないでしょうか。
怪我と言えば昔、掛布氏だったと思いますが、「軽い怪我を負っている場合、打者によっては妙な力みが取れて、良い打撃になる場合も在るんですよ。」といった解説をされていました。打撃は斯くも奥深いんですね。