① 「ウルトラ5つの誓い2011」
中高年の方々ならば、懐かしさを覚えるで在ろう「ウルトラ5つの誓い」(動画)。1971年から1972年に掛けて放送された「帰ってきたウルトラマン」(動画)の最終話で、地球を離れる事になったウルトラマンジャックが少年・坂田次郎に伝えた「5つの誓い」だ。此の「ウルトラ5つ誓い」を叫び乍ら砂浜を走る次郎の姿は、ウルトラ・シリーズの名シーンの1つと言えるだろう。
そして「東日本大震災」が発生し、日本人が元気を失い勝ちな今、ウルトラマン(動画)が「ウルトラ5つの誓い2011」(動画)を我々に伝えている。円谷プロダクションの粋な計らいに拍手したい。
② 夜の光景
**************************************
「宇多田ヒカル、節電中でも『正直此れで充分明るいじゃん?』 ツイッターでの呟きに皆が反応」(4月1日、シネマトゥデイ)
現在はアーティスト活動を休止している宇多田ヒカルが、震災の影響で節電を続けている東京に付いてツイッターで言及し、話題になっている。本のひと月程前にはネオン等で煌々と照っていた東京の街だが、宇多田は「正直此れで充分明るいじゃん?と思う。」と綴っている。
宇多田は3月31日にツイッターで「最近、東京のビル、御店、病院も節電の為に照明の量減らしてるけど、正直此れで充分明るいじゃん?と思う。前が明る過ぎたと言うか。」と思う所を率直に綴ると、「外国に比べて日本の町って外のライトも屋内も明るいんだよね。」と海外滞在経験豊富な宇多田らしいコメントを披露した。此のツイートは瞬く間にリツイートされ、多くの人の共感を呼んでいる様だ。
宇多田は他にも、震災の影響で自身のライブDVD&ブルーレイが発売延期になった事にも触れており、「理由は、製造工場が地震で被害を受けてしまったから。」、「首都圏が如何に首都圏外に頼ってるのか(食、エネルギー、製造等)、地震に気付かされるなんて本当に恥ずかしいよ!」と自身の不明を恥じるツイートも見られた。震災発生後には生まれて初めてとなる献血を行っており、宇多田形に今回の震災被災者の為に行動している事が見受けられる。
現在東京を始めとする首都圏では、今回の震災の影響で街中のネオンを消灯する等の節電対策を講じている企業や店舗が多く、普段に比べると暗い印象が在る事は否めない。だが、今迄が明る過ぎたのだと気付いていた人は宇多田以外にも屹度多数居る筈。他にも電車本数の削減等、震災の影響は多くの面で出ている。普段当たり前だった事が、本当に当たり前で在るべき事だったのかどうかを考える必要が在りそうだ。
**************************************
先日の記事「気付かされた事」でも書いたけれど、今回の宇多田さんの主張と同様に「大震災によって気付かされた事」は少なくない。節電対策等で「照明を落とした店舗内」や「ネオン等が消された夜の光景」には当初戸惑いを覚えた自分だけれど、ふっと思い出した事が在る。「自分が幼少期に暮らしていた名古屋の片田舎では、夜の光景なんてこんな感じだったじゃないか。」と。自分よりも遥かに若い宇多田さんが、こういう発言をした事が嬉しかった。
今回の地震では、千葉県で起こった液状化現象も問題になっていますね。当該地域に住む方々が行政サイドに怒りをぶつける気持ちは凄く判るけれど、同時に「開発した当時は、『液状化現象』なんて概念が無かった。」とする行政サイドの言い分も判らないでは無い自分が居ます。「当時としては最善の策を取っていた。」というので“在れば”、必ずしも「行政サイドが100%悪い!」とは言い切れない気もするし。
原発を推進していた官僚や議員の中には、「其の当時に喧伝されていた安全宣言を心底信じ、だからこそ『原発は推進すべきで在る。』と主張していた人。」も居るだろうし、自分なりにきちんと“学んだ”上での主張で在れば、上記した「液状化現象」と同様に、「100%は責められれない。」と思ってもしまうんです。勿論、「自ら全く学ぶ事無く、只管利権を求めて、盲目的に推進を主張していた輩。」が論外なのは言う迄も在りませんが。
と言って、「原発に反対する人は、クーラーも冷蔵庫も使うな。」といった傲慢な言い草は無いですね。国の在り方に少しでも疑問を呈すると、「其れなら国から出て行け!此の非国民が!!」みたいな、実に小児的な発言をする人間と相通じている感じしかしないし。
未来の日本を背負って立つ若い人達の中に、建設的な主張を旗幟鮮明に出来る者が少なくないという事に、「此の国は未だ未だ捨てたものじゃないな。」と嬉しさを覚えました。
「原発に反対する人はクーラーも冷蔵庫も使うな。」
と発言していたことを紹介しました。
http://orange.ap.teacup.com/applet/iyokakun1961/20110326/archive
今になって、クーラーと冷蔵庫と引き換えに何を犠牲にしていたかを痛感しています。
僕も原発のある県に住んでいますが、県議選たけなわの今、街頭演説を自粛する候補もいますが、昔から原発に反対していた議員は熱心に演説をしているようです。
電気の需要が拡大したから原発が増えたのか、それとも原発を増やすために、電気需要が増えるような社会にしていったのか、などと鶏と卵のようなことを考えています。
ヒッキーさんのような若い人が、こういうメッセージを発するのは意義がありますね。地元紙の投書欄でも、高校生が
「今までの生活を見直そう。」
という投稿をしていました。原発を無くせないのなら、せめて依存度を少しでも減らさないと、と僕は思っています。
もう大分前の話になりますが、西表島を訪れた事が在ります。「漆黒の闇」という表現が在りますが、最低限の灯りしかない同島の夜は、正に真っ暗な「漆黒の闇」状態。だからこそ頭上に輝く満点の星々が実に美しく見え、非常に感動しました。
英語の有名な構文に“The more we have, the more we want.”というのが在ります。「持てば持つ程、益々欲しくなる。」という意味ですが、人間の欲望を上手く表していますよね。快適さを求めれば求める程、更なる快適さを求めてしまう。原発の問題が取り敢えず終息を見た時、多くの人達がどういう方向性を求めるのかが気になります。元通りの明るさを求めるのか?其れとも、身の丈に合った明るさで充分と考えるのか?
北朝鮮のように不便を強いる国では困りますが、無駄に明るすぎるのもまた困りもの。電力供給不足を理由に原発を推進しておきながら、一方で「オール電化」で電力消費を煽ってきたこの国のありようが、いかに矛盾に満ちたものであったか、ようやく気づいた方もあったのではないでしょうか。
本来夜は暗いものです。安心安全のためにほんのり足元は照らすことは必要ですが、煌々とライトアップし、眠らない街をつくることが文明の証ではありません。
自分の趣味に絡めていえば、夜は街外れで天の川の見える暗さであってほしいものです。