旭化成ホームプロダクツ株式会社から発売されている「サランラップ」を御存知無い方は先ず居ないだろう。では、この「サランラップ」という製品名の由縁を御存知だろうか?雑学ネタの大好きな自分だが、「週刊現代」の連載コラム「物は語る」の「第25回 食品用ラップ」(5月5日&12日号)を読む迄、その由縁は全く知らなかった。
水に強く安価という事から、アメリカで1930年代頃から「プラスチック・フィルム」なる呼称で使用されていた物がサランラップの原型。唯、その用途は現在の様に食品類をラッピングするのでは無く、水虫を防ぐ為に靴の中敷きにしたり、戦争の時火薬が湿気ない様に弾丸を包むといった、ごく限られた用途。それ故に第二次世界大戦が終結すると、その需要は激減したのだとか。
その後、メーカーがテスト用にプラスチック・フィルムを製造した所、誤って「通常より薄く、しかもフィルム同士がくっ付いてしまう不良品」が出来上がってしまい、「これじゃあ売り物にならない。」と技術者達がそれを家に持ち帰る事に。そして或る日、会社の皆でピクニックに出掛ける事になり、技術者の奥さん2人が日本で言えば「新聞紙に御握りを包む様な感覚」で生野菜を”不良品のフィルム”で包み目的地迄持って行った所、生野菜が瑞々しいままだった事に技術者達が吃驚し、直ぐに商品化する事となった。生野菜を包んだ奥さんの名前がSarah(サラ)とAnn(アン)だった事から、「サラとアンのWrap(ラップ) → Saran Wrap(サランラップ)」と名付けられたという。いやあ知らなかった。
閑話休題。厚生労働省は21日に開かれた医道審議会の部会で、「現在38在る診療科名を、28の基本的な診療科名に整理する。」といった素案を提示した。1948年に医療法が制定された際、「内科」や「外科」、「小児科」等15種類の診療科名表示が認められたが、その後は年々診療科名が増加して行き、「腹痛を起こした場合には、消化器科、胃腸科、内科の何処に行けば良いのか?」等、患者が受診科の選択に迷うケースが出て来た事から診療科名を整理するという発想が出て来た様だ。
又、既存の診療科名を整理する一方で、新設する科も素案では挙げている。その一つが「総合科」で、「幅広い診断能力を持った医師を患者の初期診療に当たらせる。」為の科だとか。つまり内科だ何だという枠組みを取っ払い、総合的に診療に当たる科という事か。
小規模な診療所が表示出来る診療科名を、医師一人当たり原則2つとする一方で、アレルギー治療や人工透析等の治療法や、治療する部位を自由に付記&表示(「内科[一般、アレルギー]」、「整形外科[リウマチ、腰痛]」といった様に。)を認めるそうだ。
****************************
=素案=
(基本的な診療科)
内科、小児科、皮膚科、精神科、外科、整形外科、産婦人科(産科、婦人科)、眼科、耳鼻咽喉科、泌尿器科、脳神経外科、放射線科、形成外科(美容外科)、リハビリテーション科、歯科、小児歯科、矯正歯科、歯科口腔外科、麻酔科
【新設】 病理診断科(臨床検査科)、救急科、総合科
(基本的な 診療科に含まれないもの)
心療内科、神経科(神経内科)、呼吸器科、消化器科(胃腸科)、循環器科、リウマチ科、アレルギー科、呼吸器外科、心臓血管外科、小児外科、皮膚泌尿器科、性病科、こう門科、気管食道科
****************************
知り合いの女性から、こんな話を聞いた事が在る。今から5年近く前の話だが、身体の不調を覚えた彼女は、とある総合病院の内科で診察を受ける事となった。個人情報にもなってしまうので詳細を書くのは控えるが、内臓の不調という事も在って内科を選択したものの、他の部位(頭や手足等)にもそれ迄になかった”変調”を同時に感じていたという。「どうしたの?」と問われた為、簡潔に内臓の不調を説明した上、他の部位にも変調が出ている事を口にした刹那、「内科に無関係な部位の話はするな!」と一喝されたとか。
形式的な触診の時以外は、唯只管机上の端末を見詰め続け、患者の方を見ずにボソボソと話すだけというかなりエキセントリックな医師だった様だ。「人体は小宇宙」とも称される通り、全く無関係に思える部位が他の部位に影響を及ぼしている可能性はゼロでは無いと思うし、他の医師から「一見無関係に思われる事柄でもリンクしているケースは在るので、症状はきちんと言って下さいね。」と言われた事も在る。医師だって人間なので、ダラダラと脈絡も無く症状を話されたら腹が立つのは判らないでも無いが、極めて常識的で簡潔に物を説明出来る彼女がそういったケースに当たるとはどうしても思えない。それ以上に、ほんの一部分の症状だけで全てを判断しようとする姿勢に怖さを感じる。
上記した医師はコミュニケーション能力の皆無な、非常に特別な存在というのは理解している。唯、「うちの科では判断出来ないので、○○科に行って下さい。」と、結果的に幾つかの科を盥回しされた経験の在る自分としては、「総合科」という概念は歓迎したい。
勿論、手放しでこの素案に賛成という訳では無い。総合科の新設という点だけを見ても、患者サイドとしては良い事なのかもしれないが、医師の側に過剰な負担が掛かるという面が在るやもしれない。又、この総合科に従事出来る医師には、麻酔科と同様に厚生労働大臣の許可を別途義務付けられるというのも気になる。より質の高い医師を総合科に配するという大義名分は在ろうが、其処に何等かの意図が介在しないとは限らないからだ。
「『チーム・バチスタの栄光』 Part1&Part2」でも触れた様に、「長年の医療行政の失敗の罪を全く反省する事無く、『医療制度改革』という錦の御旗を振り翳して医療現場にその罪をおっ被せ、権力と利権を握りたがる。」という面が、厚生官僚や厚生族と呼ばれる政治家達の間からチラホラ感じられてしまうのは非常に残念な事だし、そういった悪しき面には国民がもっと厳しい目を向ける必要が在るのではないか。
水に強く安価という事から、アメリカで1930年代頃から「プラスチック・フィルム」なる呼称で使用されていた物がサランラップの原型。唯、その用途は現在の様に食品類をラッピングするのでは無く、水虫を防ぐ為に靴の中敷きにしたり、戦争の時火薬が湿気ない様に弾丸を包むといった、ごく限られた用途。それ故に第二次世界大戦が終結すると、その需要は激減したのだとか。
その後、メーカーがテスト用にプラスチック・フィルムを製造した所、誤って「通常より薄く、しかもフィルム同士がくっ付いてしまう不良品」が出来上がってしまい、「これじゃあ売り物にならない。」と技術者達がそれを家に持ち帰る事に。そして或る日、会社の皆でピクニックに出掛ける事になり、技術者の奥さん2人が日本で言えば「新聞紙に御握りを包む様な感覚」で生野菜を”不良品のフィルム”で包み目的地迄持って行った所、生野菜が瑞々しいままだった事に技術者達が吃驚し、直ぐに商品化する事となった。生野菜を包んだ奥さんの名前がSarah(サラ)とAnn(アン)だった事から、「サラとアンのWrap(ラップ) → Saran Wrap(サランラップ)」と名付けられたという。いやあ知らなかった。
閑話休題。厚生労働省は21日に開かれた医道審議会の部会で、「現在38在る診療科名を、28の基本的な診療科名に整理する。」といった素案を提示した。1948年に医療法が制定された際、「内科」や「外科」、「小児科」等15種類の診療科名表示が認められたが、その後は年々診療科名が増加して行き、「腹痛を起こした場合には、消化器科、胃腸科、内科の何処に行けば良いのか?」等、患者が受診科の選択に迷うケースが出て来た事から診療科名を整理するという発想が出て来た様だ。
又、既存の診療科名を整理する一方で、新設する科も素案では挙げている。その一つが「総合科」で、「幅広い診断能力を持った医師を患者の初期診療に当たらせる。」為の科だとか。つまり内科だ何だという枠組みを取っ払い、総合的に診療に当たる科という事か。
小規模な診療所が表示出来る診療科名を、医師一人当たり原則2つとする一方で、アレルギー治療や人工透析等の治療法や、治療する部位を自由に付記&表示(「内科[一般、アレルギー]」、「整形外科[リウマチ、腰痛]」といった様に。)を認めるそうだ。
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=素案=
(基本的な診療科)
内科、小児科、皮膚科、精神科、外科、整形外科、産婦人科(産科、婦人科)、眼科、耳鼻咽喉科、泌尿器科、脳神経外科、放射線科、形成外科(美容外科)、リハビリテーション科、歯科、小児歯科、矯正歯科、歯科口腔外科、麻酔科
【新設】 病理診断科(臨床検査科)、救急科、総合科
(基本的な 診療科に含まれないもの)
心療内科、神経科(神経内科)、呼吸器科、消化器科(胃腸科)、循環器科、リウマチ科、アレルギー科、呼吸器外科、心臓血管外科、小児外科、皮膚泌尿器科、性病科、こう門科、気管食道科
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知り合いの女性から、こんな話を聞いた事が在る。今から5年近く前の話だが、身体の不調を覚えた彼女は、とある総合病院の内科で診察を受ける事となった。個人情報にもなってしまうので詳細を書くのは控えるが、内臓の不調という事も在って内科を選択したものの、他の部位(頭や手足等)にもそれ迄になかった”変調”を同時に感じていたという。「どうしたの?」と問われた為、簡潔に内臓の不調を説明した上、他の部位にも変調が出ている事を口にした刹那、「内科に無関係な部位の話はするな!」と一喝されたとか。
形式的な触診の時以外は、唯只管机上の端末を見詰め続け、患者の方を見ずにボソボソと話すだけというかなりエキセントリックな医師だった様だ。「人体は小宇宙」とも称される通り、全く無関係に思える部位が他の部位に影響を及ぼしている可能性はゼロでは無いと思うし、他の医師から「一見無関係に思われる事柄でもリンクしているケースは在るので、症状はきちんと言って下さいね。」と言われた事も在る。医師だって人間なので、ダラダラと脈絡も無く症状を話されたら腹が立つのは判らないでも無いが、極めて常識的で簡潔に物を説明出来る彼女がそういったケースに当たるとはどうしても思えない。それ以上に、ほんの一部分の症状だけで全てを判断しようとする姿勢に怖さを感じる。
上記した医師はコミュニケーション能力の皆無な、非常に特別な存在というのは理解している。唯、「うちの科では判断出来ないので、○○科に行って下さい。」と、結果的に幾つかの科を盥回しされた経験の在る自分としては、「総合科」という概念は歓迎したい。
勿論、手放しでこの素案に賛成という訳では無い。総合科の新設という点だけを見ても、患者サイドとしては良い事なのかもしれないが、医師の側に過剰な負担が掛かるという面が在るやもしれない。又、この総合科に従事出来る医師には、麻酔科と同様に厚生労働大臣の許可を別途義務付けられるというのも気になる。より質の高い医師を総合科に配するという大義名分は在ろうが、其処に何等かの意図が介在しないとは限らないからだ。
「『チーム・バチスタの栄光』 Part1&Part2」でも触れた様に、「長年の医療行政の失敗の罪を全く反省する事無く、『医療制度改革』という錦の御旗を振り翳して医療現場にその罪をおっ被せ、権力と利権を握りたがる。」という面が、厚生官僚や厚生族と呼ばれる政治家達の間からチラホラ感じられてしまうのは非常に残念な事だし、そういった悪しき面には国民がもっと厳しい目を向ける必要が在るのではないか。
その女性の方ですが、まあ医師の対応云々の問題は多少あったにせよ、病院側に事前に電話で問い合わせるとか患者さん側で何か出来ることなどはなかったのでしょうか?たらい回しにされたとの事ですが、結局は一人の医師ではフォローしきれない病状だったと言えるのではないでしょうか?(たらい回しというと聞こえがわるいですが結果的に複数の医師に見てもらっていますよね。これが欧米だともっと色んなところへ回されると思います。)
厚生労働省の医療制度改悪は一見「患者さんの立場に立った」という大義名分に隠れていますがその結果いつも現場の混乱を引き起こします。この総合科、どの程度の割合の医師がそれに該当するか(別途厚生労働省の許可云々とかなってますが、これから創設するのに今現在教育的医療機関に従事しているものだけでまかないきれるわけがない)、そもそも医師の数ですが1000人当たりの医師数は日本 1.98人と、192か国中、63位。OECD加盟国の中では最低クラスです。(看護師は27位)。
ちなみにWHOの健康達成度は先進国中1位。対GDP比で17位(2002年)
http://www2.health.ne.jp/tieup/tieup060241.html
すなわち「少ないスタッフと少ない医療費で高い健康度を達成している国」といえます。こう言うと「いや、これは元々日本人が欧米諸国にくらべて食生活の面からしても予防医学に長けているから、医療の質云々の問題ではない」と思いますでしょうか?
では分かりやすく言うと、例えば日本で虫垂炎で約1週間の入院だと38万円、アメリカはニューヨークだと243万円ですよ。(38万円というのはベトナムと同じぐらいです。)つまりは安い対価で医療従事者がリスクを負わされ、そのうえで高い質の医療を提供し続けている。と言い換えることが出来ます。
そう、日本の医療従事者は「高品質の薄利多売」を提供し続けています。日本の患者さんは世界と比較して「高品質で安い価格の医療を享受できている」と言いかえると思います。これでもまだ日本の医療(政策)は失策なのでしょうか。。。
日本人って工業製品のクォリティーやスポーツ選手の海外での活躍という比較しやすいもの以外はなんでも「諸外国から遅れる」と意識すると安心するのでしょうか?この辺もある種の自虐的な民族性が出ているのでしょうか?
「医療行政」は失敗しているかもしれませんが、日本の医療水準の現状は優秀なものだと思います。唯一の失策を挙げるとすると「医療費をケチりすぎている。」です。医療とは皆さんが思っているよりずっとコストがかかるものだと思います。とにかく敗戦後、大量生産で安い工業製品を作り出すことで国益を上げてきた民族からするとここまで考えが及ばないのかもしれませんね。
結論、総合科ですがこれが出来ても結局は「総合科間で患者さんのたらい回し」になる事が起こるでしょう。そして専門外(医学って専門性をもってキッチリと学ばないと結局は何も分からないんですよ。)と判断し(今回ご紹介されたような女性だと数種類の疾病を合併している可能性もあるだろうから)よそへ廻ってもらうように言った医師は患者さんから「あそこへ行ってもたらい回しにされた。」なんて言われるんだろうなぁ。。。
嘗て海外旅行をしばしばしていた頃、掛け捨ての保険に入る事は殆ど在りませんでした。担保される日数の割には保険料が高い気がしていた為で、特に医療部分が高いなあと。しかし、その後になってtak_123様も触れられている様に「海外で病気になった場合の医療費が高額。」なのを知り、「だから高いと思われる保険料でも、それなりに入る人が居るのか。」と納得させられた次第です。
マヌケ様が御指摘の様に、諸々の要素を考え合わせると一概に「海外は高く、日本は安い。」とは言えないのかもしれませんが、個人的には日本の医療は質&量共に悪い範疇には無い気がしています。唯問題は、「医療行政を利権の場と捉えている官僚や政治家等が居る。」という事と、これも全部が全部という訳では無く一部とは思っていますが「患者と向き合う努力すらもしていない様な医師”も”居る。」という事。まあどの世界にも唯我独尊で相手の事を慮れない人間は居ますので、これは医師だけの話では無いし、寧ろ必死で患者と対峙している医師の方が絶対数では多いと信じていますが。
昔、看護士の彼女と付き合っていて、その際に医療現場の大変さを良く聞きました。「それだけの激務をこなしている割には、対価に恵まれていない。」というのが正直な思いで、「『人の命を預かる尊い職業』という志”だけでは”、到底続けられない仕事だなあ。」とも感じました。どんな職業で在れ、真摯に取り組んでいる人には、それに見合った対価が支払われる社会で在って欲しいもの。その為には或る程度の負担を国民が負うのは止むを得ないと思っていますが、国民の側も自ら健康維持に務める一方、医療行政も無駄金を生み出さないシステムを構築して欲しいですね。
病気を治さなくても診療しただけで金になるのはいかがなものでしょう?
アメリカやドイツのように病気をなおしたら金になるシステムが良いのではないでしょうか?
そうでないと不必要な検査や薬が増えると思います。
確かに国民皆保険制度は利点も多いかもしれません。
しかし際限なく医療費が膨らんでいきます。
アメリカのような自己責任で全てまかなうのが絶対に良いとまでは言いませんが選択肢の一つではある気がします。
一から考え直してみる必要があるように思います。