半年前の記事「『懐かしい。』と感じるのは、極めて限定された人達だけと思うけれど」の中で紹介させて貰った雑誌「昭和40年男」。「昭和40年生まれの男性をターゲットにした。」という極めてニッチな雑誌なのだが、同世代の自分には懐かしさを覚える記事が多く、定期購読している。
最新号は今月11日に刊行されたvol.22で、巻頭特集は「夢のモーターショー」。子供の頃、スーパーカー・ブームが巻き起こったが、当時注目を集めた車やバイクを取り上げている。スーパーカー消しゴムには夢中になったけれど、車やバイク自体には余り興味が無かった人間なので(今も、其れは変わらないのだけれど。)、「童夢-零」や「ボンド・カー」、ウルトラ・シリーズに登場した「TDF-PO1ポインター」、「MATビハイクル」、「TACパンサー」、「ラビットパンダ」等には「懐かしい!」と思ったものの、巻頭特集自体には正直余り興味が湧かなかった。
最も興味を惹かれたのは、「四十新聞」という連載記事。特定の「年」に流行ったり、起こったりした出来事を取り上げているのだが、今回取り上げられていたのは昭和46年(1971年)。仮面ライダー・シリーズの第1弾「仮面ライダー」【歌】が、そしてウルトラ・シリーズで言えば第4弾の「帰ってきたウルトラマン」【歌】が放送開始となった年。「マクドナルドの日本1号店が銀座にオープン。」、「オールスターゲームで江夏豊投手(タイガース)が、9者連続奪三振を記録。」、「全日空機雫石衝突事故発生。」、「ボウリング・ブーム到来。」、「カップヌードルの発売開始。」といった出来事も、1971年の事。
で、「四十新聞」の中に「新発売」という項目が在り、此処では此の年に新発売となった商品が載っている。幾つか紹介するが、当時の“標準価格”も記されていたので、「大卒初任給」を基にして、参考迄に今の金額に置き換えてみた。(1971年当時の大卒初任給は「46,400円」、2012年は「201,800円」という事なので、当時の標準価格を「4.35倍」する事に。)尚、商品の説明は“原則”、記事の文章を其の儘使わせて貰う事に。
国産初のワイヤレス・リモコン付きTV。超音波による遠隔操作で、チャンネル切り替え、音量調整、電源のオン&オフが操作出来た。しかし、大きな生活音に誤作動してしまうという難点が在った。当時の標準価格は16万9千円(今の金額に置き換えると73万5,150円。)
此の年、TVに登場した「仮面ライダーの変身ベルトを模した玩具。単3乾電池2本を使用し、スイッチを押すと光って風車が回る。買って貰った少年達は、此れを腰に巻いてヒーローに成り切った。当時の標準価格は1,500円(今の金額に置き換えると6,525円。)
“マイクの要らない録音機”のコピーを冠して登場した、録音マイク内蔵ラジカセ。ボディーの左右にマイクが組み込まれており、録音したい音の方向に置いてボタンを押すと、ステレオ録音が出来た。当時の標準価格は4万5,800円(今の金額に置き換えると19万9,230円。)
最後に取り上げる商品、実は「今回の記事を書く切っ掛けとなったのは、此の商品が載っていたから。」と言っても良い。小林亜星氏を起用した宣材には「おどろきの世界極小!てのひらこんぴゅうたぁ」という惹句が躍っているのだが、何の商品か御判りだろうか?
「てのひらこんぴゅうたぁ」を「手の平コンピューター」と置き換えられたならば、判った方も居られるだろう。そう、商品は電卓なのだ。
「日本初のポケット・サイズの電卓」という事で、国内外で爆発的にヒットし、ビジネスマン憧れの逸品だったとか。「国内外で爆発的にヒットした。」というが、驚くのは当時の標準価格「8万9,800円」。今の金額に置き換えると「39万630円」となる。電卓が数百円から買えてしまう現代からすると、考えられない程の高額だが、当時は其れだけエポックメーキングな商品だった訳だ。
変身ベルト、周りで締めている子は居なかったです。仮面ライダーごっこは良くしていたというのに・・・名古屋の片田舎だったからかもしれません。
仕様を見ると、電卓「ビジコン LE-120A」は発光ダイオード&12桁の様ですね。電気では無く、電池で動くというのも、当時としては斬新だったみたいです。又、電卓の小型化に際し、誤入力を起こさない様に、小型の入力キーにも知恵が絞られたとか。
ラジカセの件、自分も同じ事をしていました。と言うか、TVからラジカセへケーブルで繋ぐというスタイルが無かった事から、当時は「TVの音量を大きくし、直ぐ前迄ラジカセを持って行って、『今から録音するから、絶対に喋ったり、音を出したりしないで!』と家族に言って録音ボタンを押すも、誰かが必ず『音』を出してしまい、『あーっ、もう!!!』と怒った経験。』は多くがしてそうですね。