ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

節分の思い出

2008年01月27日 | 其の他
この時期になると、スーパー等では節分*1関連の商品が店頭を賑わしている。恵方巻なぞは自分が子供だった時分には目にした事が無かったが、バレンタイン・デーでのチョコレート同様に、今では節分に欠かせない商品となった様だ。そして節分に欠かせない商品と言えば、何と言っても「赤塚不二夫氏(正確に言えばフジオ・プロ。)が描いた鬼面付きの豆」だろう。毎年微妙にデザインを変えているあの鬼面、最初に目にしたのは何時だったろうか?節分が近付いた頃に、あの鬼面を目にしないと何とも落ち着かない気分になる。

節分には嫌な思い出と懐かしい思い出が、それぞれ一つ在る。嫌な思い出は、名古屋に住んでいた幼少時、神社で行われた豆撒きでの出来事。家族でその神社を訪れ、父と自分が豆撒きに参加したのだが、別に有名人が来て豆撒きをする訳でも無いのに、豆撒き会場は立錐の余地も無い混雑振り。小学校低学年だった自分の周りには、”大人達の壁”が出来上がっていた。そして豆撒きが始まると、その壁が物凄い勢いで右に左にと動いて行く。口元に思い切りがぶつかるわ足を踏み付けられるわで、撒かれた豆を取るどころでは無く、終了する迄ずっと恐怖心を覚えていたもの。終了して人込みから抜け出すと、靴は片方が脱げ、口元が切れて鮮血が出ていた。これ以降、豆撒きのイベントに参加した事は無い。

それに対して楽しい思い出は、やはり幼少時に自宅で行った豆撒きだろう。「鬼は外!福は内!」という掛け声と共に家族で豆撒きをするのも楽しかったが、我が家にはその後にスペシャル・イベントが待っていた。親がチョコレートや飴等の御菓子を幾つかに小分けし、それ等をティッシュペーパーで包み、真っ暗にした部屋に子供達を集めた上で放るというイベント。

親が子供だった時分に両親(即ち自分にとっては祖父母。)がしてくれたイベントとの事で、「兄弟達と『キャアキャア、ワアワア。』言い乍ら御菓子を取り合ったのが楽しかった。」という事で我が家でも続けられていたのだ。時には兄弟だけでは無く、従兄弟も参加してこのイベントを行って来たが、ビニール袋を広げてごっそり取ろうと目論んだりと、子供達は子供達なりに知恵を絞って楽しんでいたっけ。親は親で「暗闇の中、何とか皆均等に御菓子が得られる様に。」と工夫していた様で、終わってみれば個々人“収穫数”はそれ程変わらなかった様にも。

今は子供が居ない身だが、子供を授かった際にはこのイベントを自分もしたいと思っている。それ程、楽しいイベントだった。

*1 昔の特撮番組では、季節の行事に因んだ怪獣や怪人が登場していたもの。節分で言えば、「『ウルトラマンA』(動画)に登場した鬼超獣・オニデビル」や「『ウルトラマンタロウ』(動画)のきさらぎ星人・オニバンバ」辺りが印象深い。最近の特撮番組では、こういった季節の行事に因んだ悪役は登場しているのだろうか?

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5 コメント

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似たような思い出が (マヌケ)
2008-01-27 09:59:53
暖かな家庭のよき思い出ですね。 うちでは鬼のお面をつけた父が私達兄弟を追いまわして、つかまると首やわきの下をくすぐられて弟など泣き出すくらい笑いました。 一度、板の間ですべって尻もちをついた父の襟首からおもいっきりつかんだ大豆を入れて逃げたこともありました。 若い頃の父は今で言いますところのパンチパーマでしたので豆まきの後の大豆を探すと必ず何個か頭の中にありました。 その頃は「鬼は外、福は家」の声が隣近所からもよく聞こえていました。 節分とはちがいますが、あの頃は近所で棟上式などがありますと、屋根から施主や大工さんたちがちり紙に包んだ小銭やお菓子をまいていました。 私もジャイアンさんと同じようにその時はもみくちゃにされた覚えがあります。 大人たちの足の間から地面に落ちていたピカピカの5円玉を拾って喜んでいた時代です。
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>マヌケ様 (giants-55)
2008-01-27 13:08:11
書き込み有難う御座います。

マヌケ様御一家の楽しそうな雰囲気が頭に浮かび、思わず頬が緩んでしまいました。大晦日の夜に遠くから聞こえて来る除夜の鐘の音が好きだったのですが、何時の頃からか聞こえなくなってしまいました。建物が林立したせいで聞こえなくなったのか、はたまた「五月蝿い!」との苦情が出たので大きな音で鳴らせなくなったのか。「鬼は外!福は内!」という掛け声も、仰る様に昔は節分の日になるとあちこちの家から聞こえて来たものですが、今は耳にしないですね。これも“騒音問題”の絡みなのでしょうか。“引越しおばさん”の様なケースは論外ですが、余りにも“騒音問題”に過敏になってしまった結果、潤いの在る人間関係が崩れて来てしまった様に感じます。

一寸話は逸れるのですが、昨日の「ブロードキャスター」(http://www.tbs.co.jp/bc/)で面白い話が取り上げられていました。東京及び神奈川を中心に展開しているスーパー「オーケー」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%BC)が消費不況にも拘わらず着実に利益を伸ばしているのだとか。その要因は幾つか在りましょうが、番組で取り上げていたのは同社が行っているHonesty Card(正直カード)。多くの商品を取り揃えなければならないスーパーでは、所謂“訳在り商品”も置かざるを得ない。欠品だと「何でスーパーなのに置いてないの?」という消費者からのクレームが在るし、とはいえ訳在りの商品を買った消費者からもクレームが出る事は充分考えられる。其処で「このイチゴはハッキリ言って美味しくないので、安い値段設定にしています。」、「この商品の値段を上げざるを得なかったのは、○○とXXの理由からです。」といった“正直な理由”を記したカードを商品に付けている。詳細はこちら(http://blog.livedoor.jp/karara123/archives/2007-06.html)の下にも書かれていますが、このHonesty Cardによって消費者はより売り手に対する信頼性を増し、贔屓客が増えて行っていると。

売り手の側としても、本音では訳在り商品を多く抱えたくないので、このカードを付ける事で在庫を多く抱えなくて済むというメリットも在る。双方にとって、メリットを生じ得るシステムと言えましょうね。

で、番組の中でコメンテーターが語っていたのですが、「昔は八百屋とか魚屋に行くと、売り手のおっちゃんやおばちゃんが『これは安いけど、味は落ちるよ。』とか『こっちの値段を高くしてるけど、味ではこっちの安い方が美味しいんだよ。』といったアドバイスを“普通に”してくれたもの。今はそういう遣り取りが消えてしまった。オーケーはそういった遣り取りを、カードという形で復活させたとも言えるんでしょうね。」と。確かにそれは言えそうですね。
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楽しそうですね。 (ロッソ)
2008-01-28 15:49:08
節分のお話、すごく楽しそうで良いイベントですね。
私の小さい頃は、姉妹で豆撒きをした後、「年の数だけ豆を食べなさい」と言われて苦痛だった事を思い出します。
あの頃は、あの豆が嫌いで。。。
今では、お豆も好きになったのですが、今度は年の数が増え過ぎて食べ切れません。

この間、幼稚園で節分の鬼のお面を親子で作ってきました。子供達それぞれ違った鬼が出来て、これを誰が付けて逃げ回るのか、節分の日が楽しみです。
今年は、giants-55様のお家のように、チョッと工夫して節分を迎えてみようかな。
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老人のモッシュとダイブ (Spa supernova)
2008-01-29 16:15:37
実は自分も幼少期から節分とか苦手でした。
やっぱりあの豆が好きでない。一回そこら辺に撒いたものを食べるのも…、という「現代っ子」(笑・死語?)根性からあまり乗り気でなかったのと、親も乗り気でなかった(笑)ことからあまりやった記憶なし。

>豆撒き会場

以前「昭和20年代の某有名寺院の豆まきの模様」を映像で見た際。思わずロックフェスのモッシュにダイブとか言った光景を思い出しました、というかそのまんま。
今はどうなんでしょう。やっぱりすごいんでしょうか。「まわりが老人ばかりだと甘く見ていたら怪我した」という話も聞いたことありますし。
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>Spa supernova様 (giants-55)
2008-01-29 19:57:59
書き込み有難う御座いました。

Spa supernova様も節分の豆が御嫌いでしたか。自分は当時から“雑食”の癖が在った様で(笑)、あの炒った香ばしい豆の香りが大好きでした。毎年、年齢以上の粒を食していた記憶が在ります。勿論、闇の中で撒かれる御菓子の方がもっと好きでしたが。

御年寄りという定義を仮に「60歳以上」とした場合、今の御年寄りは苦しい戦争を耐え忍んで来たり、未曾有のベビー・ブームで苛烈な“競争社会”を闘って来られた人々が当該します。昔の御年寄り以上に元気な御年寄りが多いのではないでしょうか。
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