TOKYO MXにてずっと再放送されていた「帰ってきたウルトラマン」が先日、最終回を迎えた。ウルトラ兄弟にとって永遠ライバルの“一人”ゼットンを郷秀樹が見上げるシーンが在り、その場所は「東亜スタジアム」とされていた。この球場に何となく見覚えが在ったので検索して調べてみた所、嘗てオリオンズが本拠地として使用していた東京スタジアムで在る事がこちらの情報から判明。実際に行った事は無かったが、当時のスポーツ・ニュース等で見ていたのだろう。
昔の特撮番組を見ていると、こういった懐かしい場所が舞台になっているケースにしばしば巡り合う。今回の情報が載っていた「光跡」というサイトは、そういった懐かしさに溢れている。
閑話休題。
syuu様のブログ「そんな女の独り言」に一昨日、「何気ない一言・・・その意味を知れ」という記事が載っていた。先ずは当該記事を読んで戴きたいのだが、その中で御自身の辛い経験を語っておられる。4年前に乳癌を罹患し、右乳房の一部除去手術を受けられたsyuu様。その結果、御子様に母乳を与える事が禁じられてしまったという事なのだが、そんな彼女が御子様に母乳を与えない事に対して、然も「母親失格」といった感じで接する人が結構居たと言う。母乳で育てたいと思っていても、それが適わない人も居るというのに、画一的な考えを押し付ける。先日の記事「善意の押し付け」でも触れた様に、口にした人間に悪意は無いケースも当然在ろうが、少なくとも「乳癌にて右乳房の除去手術を受けたのを知っている近しい人」ならば、相手の立場に立ってその手の話題を避けるというのも思い遣りではなかろうか。
唯、こういったケース、非常に難しいのも事実。上記した様に相手の事情を知っている場合は別にして、知らないと無意識の内に他者を傷付けてしまっているケースは、自分もしばしば在る様に思う。
知人の経験談だが、彼女にはしばしば共に出歩く友人が数人居る。或る日、何時もの様に待ち合わせ場所に行くと、久し振りに“参加”した友人(女性)の姿が。その知人はポッチャリ型の体型なのだが、同じくポッチャリ型のその友人がスッキリした体型になっていたのに驚き、純粋な気持ちで「痩せて羨ましいわ。」とだけ口にしたと言う。そうした所、その友人は「何て失礼な事を言うの!」と急にぶち切れた。元々エキセントリックな気質をやや有する人物では在った様だが、余りのぶち切れ様に「何がまずかったのだろう?」と知人は当惑するばかりで、取り敢えず「気分を害させちゃって御免なさい。」と謝罪。それでも結局、相手はずっと口を利いてくれなかったとか。
で、それから暫くして判ったのだが、その相手は当時体調が芳しく無く、「体重が落ちて行くのは、癌に罹患したからに違いない。」と思い込んでいたらしい。結局は病気でも無かった様なのだが、そういった状況ならば「体重減」の話にセンシティヴになるのも判らないでは無い。唯、傍目には健康そのものにしか見えなかったし、痩せ方も病的な痩せ方では無かったという事で、知人の言葉を責めてしまうのも気の毒な気がした。何はともあれ、相手を傷付けるつもりで口にしたのでは無いにしても、相手が不快感を示したならば、それ以上その事に触れるのを控えるに越した事はないだろう。
昔の特撮番組を見ていると、こういった懐かしい場所が舞台になっているケースにしばしば巡り合う。今回の情報が載っていた「光跡」というサイトは、そういった懐かしさに溢れている。

閑話休題。
syuu様のブログ「そんな女の独り言」に一昨日、「何気ない一言・・・その意味を知れ」という記事が載っていた。先ずは当該記事を読んで戴きたいのだが、その中で御自身の辛い経験を語っておられる。4年前に乳癌を罹患し、右乳房の一部除去手術を受けられたsyuu様。その結果、御子様に母乳を与える事が禁じられてしまったという事なのだが、そんな彼女が御子様に母乳を与えない事に対して、然も「母親失格」といった感じで接する人が結構居たと言う。母乳で育てたいと思っていても、それが適わない人も居るというのに、画一的な考えを押し付ける。先日の記事「善意の押し付け」でも触れた様に、口にした人間に悪意は無いケースも当然在ろうが、少なくとも「乳癌にて右乳房の除去手術を受けたのを知っている近しい人」ならば、相手の立場に立ってその手の話題を避けるというのも思い遣りではなかろうか。
唯、こういったケース、非常に難しいのも事実。上記した様に相手の事情を知っている場合は別にして、知らないと無意識の内に他者を傷付けてしまっているケースは、自分もしばしば在る様に思う。
知人の経験談だが、彼女にはしばしば共に出歩く友人が数人居る。或る日、何時もの様に待ち合わせ場所に行くと、久し振りに“参加”した友人(女性)の姿が。その知人はポッチャリ型の体型なのだが、同じくポッチャリ型のその友人がスッキリした体型になっていたのに驚き、純粋な気持ちで「痩せて羨ましいわ。」とだけ口にしたと言う。そうした所、その友人は「何て失礼な事を言うの!」と急にぶち切れた。元々エキセントリックな気質をやや有する人物では在った様だが、余りのぶち切れ様に「何がまずかったのだろう?」と知人は当惑するばかりで、取り敢えず「気分を害させちゃって御免なさい。」と謝罪。それでも結局、相手はずっと口を利いてくれなかったとか。

で、それから暫くして判ったのだが、その相手は当時体調が芳しく無く、「体重が落ちて行くのは、癌に罹患したからに違いない。」と思い込んでいたらしい。結局は病気でも無かった様なのだが、そういった状況ならば「体重減」の話にセンシティヴになるのも判らないでは無い。唯、傍目には健康そのものにしか見えなかったし、痩せ方も病的な痩せ方では無かったという事で、知人の言葉を責めてしまうのも気の毒な気がした。何はともあれ、相手を傷付けるつもりで口にしたのでは無いにしても、相手が不快感を示したならば、それ以上その事に触れるのを控えるに越した事はないだろう。

ウルトラマンシリーズ、仮面ライダー、ゴレンジャー、キカイダー等々懐かしい好きなテレビヒーローは沢山あるのですが、今現在一話を通して見ることは殆ど無いです。CS等で番組を目にすることはあるのですが、じゃあ30分見ているかというと見ていない。見ていてどこか「イラッ」とする自分が居るのです。悲しいかな思い出の中にだけいいイメージがあるのでしょうか、また当時と今とでは見る対象に要求するテンポ、スピード感が違うからなのでしょうか。懐かしのテレビ番組をじっくり観てみたいという気持ちはあるのですが、条件がそろっていても見ることがもはや出来ない自分にちょっと残念だったりします。。。
なにげないひとことで、相手を勇気づけることもありますし、生きる気力をそぐこともあります。
「おはよう。あんた、顔色悪いよ」
朝、こういわれると、気にしない人もいますし、一日中気にして仕事にならない人もいます。
「顔色悪いよ」これを、1週間いい続けられると、本当に体調を崩してしまうかもしれません。暗示にかかるのですね。
逆に、アドバイスと受け止めて、病院で検査を受けて重大な病気を発見され、早期発見で助かったという例もあるでしょう。
言葉はむつかしいですね。
暫く前になりますが、ウン十年振りに自分が幼少期を過ごした名古屋の或る地を訪れました。その時に感じたのは、兎に角見る場所全てが「小さい」という事。自分の中の記憶よりも「道幅は狭い。」わ「良く遊んでいた公園の石垣が低い。」わというのには、少々面食らいましたが、良く良く考えれば今とは比較にならない位に小さな体躯だった当時に見ていた光景なので、その視点が変われば全てが小さく見えてしまうのも当然なんですよね。
同じ番組で在っても、幼き頃と今とでは見ていて感じ方が違うというのも、当時と今の自分が全く同一では無く、様々な経験を踏んだ事で成長しているからなのでしょう。やはりテンポの違いは否めないし。全体的に昔の番組はスロー・テンポに感じる事が少なくない。唯、一寸意外だったのは「帰ってきたウルトラマン」で郷と坂田兄姉との別れが、自分の記憶の中では結構深く描かれていた印象が在ったのだけれど、改めて見てみるとかなりアッサリ描かれていた事。子供心に余りにも衝撃的な内容だったので、当時はそんな印象を持ったのでしょうね。
実話です。健康の維持のために悪い友達を切ることにしました。リバウンド・病気の道連れはかなわんですからね!!!
あと、複雑なもんですが、親が私を見るたびに「やせた」「ダイエット成功ね」と思っていたのに、私には直接言わなかったということにもガッカリしました。言ってくれればうれしかったですのに。
そういえば私の親も決して子どもを褒めない、けなしてばかりの親でした。昔の親というのはそうでしたね。そうだもんだから、独立心というか負けん気も付きましたが、ひがみ根性もたっぷり付きました。親が何かを言おうとする度に「あ~あ、また嫌味かいな」と感じます。
日本人にひがみ根性が強い人が多いのは長年の教育の連鎖だと思います。
しかし、今は「褒めて伸ばす」教育が主流なので、30年後には違ってきているかもしれません。うらやましいもんだからひがみ根性の年寄りが今より増えてるかもしれませんが。
メタボな自分なぞは他者から「瘠せたね。」と言われると、それが御世辞で在ったとしても嬉しいのですが、その人が抱えている事情によっては、必ずしも嬉しくない場合も在るのだなあと、知人の話を聞いて思う様になりました。
V9時代の川上監督が王選手を怒る場合には彼を個室に呼んで怒り、長嶋選手を怒る場合はその他大勢の選手が居る前で怒ったというのは有名な話。「王の場合は人前で怒ってしまうと重く捉えてしまい、益々落ち込んでしまう。一方、長嶋の場合は満座の中で怒っても後に残らず、周りも『長嶋さんですら怒られるのだから、俺達はもっと気を付けないと。』とピリッとした雰囲気になる。」という理由から使い分けていたそうです。
人の才能を伸ばすというのは非常に難しい事。「誉めて褒めて誉め倒す事で伸ばす。」という上田利治氏(元バファローズ監督)や仰木彬氏(元バファローズ監督)等のスタイルも在れば、「そのスタイルで伸びる者も居るが、逆に現状に安住してしまう者も居る。」として、「貶す事で反発心を惹起させ、才能を伸ばす。」という野村克也(現ゴールデンイーグルス監督)の様なスタイルも在り、要はその個性に合った育成スタイルを如何に的確に見付けるかが、“育成者”には求められますね。
スポーツニッポン紙上で現在、萩本欽一氏が自伝を掲載中なのですが、今日はこんな話が載っていました。
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こうして東洋劇場の研修生になり、喜劇を学び始めたのです。高校生が、浅草でコメディアン卵に。違和感は当然ありました。
火傷の痕がある先輩に「どうしたんですか?」と聞いたら、教えてくれずに「いや、いや。」と言葉を濁すばかり。そうしたら先輩の東八郎さんに「ちょっと来い。」と呼ばれ、たしなめられました。
「なんでもかんでも聞いちゃダメ。人には知られたくない過去ってものがあるの!」
どうやら火傷は入れ墨を消すため、肌を焼いた痕のようでした。
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相手が嫌がっているのを判ってい乍ら、敢えてそれを口にするというのは人間的にどうかと思う。その一方で、全く悪意が無くても他者を傷付けてしまう事も在る訳ですが、相手の反応を見ていればそれが触れて良い事なのか悪い事なのかは、普通の感覚で在れば判るもの。「空気が読めない」という表現は余り好きじゃないけれど、そういう人って結構居たりするし、そういう人に限って他者が空気の読めない対応をすると、自分の事はさて置いて烈火の如く怒ったりする事が多いのですから、困ったものです。
子供の頃リアルタイムに見た
ウルトラマンの時代に
まだあったのでしょうか?
展示を見てると
もっと昔のことかと
思ってしまったのですが・・・
東京スタジアム、Wikipediaの情報(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%A0_(%E9%87%8E%E7%90%83%E5%A0%B4))を見ると1972年限りで閉鎖され、5年後の1977年に取り壊された事になっていますね。「帰ってきたウルトラマン」の本放送が1971年4月2日から1972年3月31日という事を考えると、最終回は恐らく1972年の2~3月に撮影されたと思われ、そうなるとオリオンズが未だ本拠地として同球場を使用していた最中(オフシーズン)の事なのかなと。
確かにスローリーですが、描写の細かさ、演技の細かさは今余り見受けられないですね。
70年代は映画畑の人が多く、「都落ち」のような感覚でTVに来た時代なのでかつての日本映画の余韻を感じることが多々あります。