2年前に政権交代が実現された際、少なからずの人が民主党に期待をした。しかし此の9月で政権交代から2年経つというのに、民主党政権で評価出来る点は余りに少ないのも事実。不毛な内部抗争許りが印象に残り、辟易とさせられている人も多い。
斯く言う自分も政権交代実現で、「少しでも世の中を、良く変えて欲しい。」と期待した1人。「自民党政権下では絶対に表に出なかったで在ろう事柄が、表面化するようになった。」とか「一部政治家や官僚等が己の既得権益を死守せんが為、アンタッチャブルな存在とし続けて来た『原発問題』に、“結果的では在るが”手を突っ込んだ。」等、評価出来る点も在るけれど、矢張りガッカリさせられた事柄の方が多い。「民主党議員には愛犬家の割合が他党に比べて非常に多く、動物愛護の観点からの現状改善を図ってくれるのではないか。」というのも強く期待していたのだが、今一つ動きが鈍いのは残念でならない。
昨年の記事「野放し状態の改善を」の中でも触れたが、「2008年度、保健所等に持ち込まれた犬は全国で約11万3,000頭。内約8万2,000頭が殺処分された。」という現実が在る。野良犬(抑「野良犬」に成りたくて生まれて来た犬なんぞは居ない。飼い主が不妊手術を行わない儘に放し飼い等した結果、妊娠&多数の子犬が生まれ、手に負えなくなって捨てたりしたケースが殆どと言えるだろう。)として捕獲されたケースの他に、飼い主自らが「飽きたから。」とか「言う事を聞かないから。」等、実に身勝手な理由で持ち込むケースも少なくないと聞く。2年前の記事「『可哀想だ、ハハ、もうしょうがねえ、ヘヘ。』って・・・ふざけるな!!」では後者のケースを取り上げたが、思い出す度に怒りを覚える。
愚かな飼い主が存在する以上、犬等を殺処分する施設は無くならない。施設で働く人達は「1頭でも多くの犬を救いたい。」と思いこそすれ、「殺処分を喜んで行っている。」なんて思っている訳が無い。殺処分を免れ得なかった犬達に対しては、「せめて残された日々を、少しでも快適に過ごさせて上げたい。」と思いつつ、哀しい現実と向かい合っているのだ。
年間に約4千頭の犬が持ち込まれ、其の殆どが殺処分されているという「愛媛県動物愛護センター」。「捨てられる命を一頭でも減らす社会」を目指し、同センターで奮闘する職員達の日常を追ったノンフィクション「犬たちをおくる日 ~この命、灰になるために生まれてきたんじゃない~」(著者:今西乃子さん)を読んだ。唖然とさせられる話が多いのだけれど、其の内の2つを抜粋する。
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「プロローグ この命、買ってください」より
1978年、春の出来事である。その日の午後、獣医師として愛媛県の保健所で勤務していた渡邉清一のところに、3人の小学生が訪ねてきた。「すみません。これ買(こ)うてくれるんですか?」少年たちが勢いよく差し出した段ボールの中には、7匹の小さな子犬が入っている。「これ?どうしたいん?」「犬、1匹ここに持ってくれば、500円くれるって聞いたけん。7匹で3,500円やけんね。お金くれん?」
そのころ、愛媛県では野犬の撲滅対策として犬の買い上げ制度を設け、犬を持ちこんだ県民には1頭500円の報酬を出して、安全な町づくりの拡大を図ろうとしていたのである。少年たちは、そのことを知っているらしかった。「この子犬と引き換えに、3,500円がそんなに欲しいんか?」「そりゃそうじゃけん!」当時の3,500円といえば、かなりの高額である。「そのお金、何に使うんや?」「プラモデルじゃけん!欲しいプラモデルがあるで、それ買いたいんや!はようお金ください。」「君らが連れてきた子犬、ここに来てどうなるか知っとるか?」「・・・?」小学生たちは、一瞬、顔を見合わせた。どうやら子犬のその後のことは、何も知らないらしい。
「あのな、ここに連れてこられた犬は、みんなあと数日で殺されてしまうんや。この子犬もそうじゃけん。みんな殺されてしまうんやで。それでもええんか?」「かまわんけん。はようお金ください。はよう行かんと、プラモデルやさん、閉まってしまうけん。」少年たちには、おどろく様子もとまどう様子もない。その姿は、清一に大きな悲しみをもたらした。
「子犬が死んでもええんか?」「かまわん!なあ?」ひとりの少年の言葉に間髪をいれず、残りのふたりが大きくうなずいた。「子犬の“命”と引き換えに、プラモデルがそんなに欲しいんか!」まだ若かった清一は、がまんできず思わず大きな声で少年たちをどなりつけてしまった。瞬間、子どもたちは目を見開いて驚いたように清一を見上げた。「・・・かあちゃんも、とうちゃんも、近所の人も、みんな言うとるけん。そんなに小遣いが欲しかったら、野良犬の子犬を見つけてここに持ちこんだら小遣いになるて・・・。大きいのはかまれたら危ないから、小さいのにしときやって・・・。でかい犬も子犬も、おんなじ値段じゃけんね・・・。」清一には、少年たちをさとすべき言葉がもう何も見つからなかった。命を金に換え、そのお金で自分たちの欲しいものを手に入れようとする少年たちと、それを容認する大人たちがたまらなく悲しく思えた。
「ほんまにええんか?」清一の問いに少年たちは、「何が?」と答えた。「この子犬、殺されるけんね。」「かまわん!お金のほうがええに決まってるけん!」清一は、段ボールの中の7匹の子犬に目をやった。体温を奪われないよう、互いに重なり合って、守り合ってねている。生きるための自然な本能である。この子犬たちは、生きるために生まれてきた。生きるために、今こうやって重なり合って、だき合っている。生きるために、ただ生きるために、必死なのである。段ボールに顔を近づけ子犬に触れると、独特のにおいと、温かな体温が伝わってくる。清一はわざと大げさに子犬に触れたり、だきあげたりした。そうすることで、少年たちに子犬に対する情が出てくるのではないかと考えたのだ。
しかし、少年たちが子犬に興味を示すことはまるでなく、早く金が欲しいのか、時々舌打ちをしたり、ため息をついたりして、イライラをつのらせているだけである。清一は事務的に手続きをすますと、ついにだまってその命と引き換えに少年たちに金をわたした。動物の命を助けたくて獣医師になったのに、いくら仕事とはいえ、これほどの大きな矛盾を感じたことは今までなかった。
その後、3,500円を手にした少年たちは、段ボールの中の子犬を一度もふりかえることなく、大喜びでその場を去っていった。自分たちが持ちこんだせいで殺される子犬のことなど、心の片隅にもない。頭の中はプラモデルが買える喜びでいっぱいなのだろう。そして、そのプラモデルと引き換えに、命を売られた子犬は、だれからも必要とされず、だれからも愛されず、その短すぎる一生を閉じることとなった。
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「1970年代」を振り返ってみると、今よりも動物愛護の意識が低かったとは思う。又、子供は概して「残酷な面」を有しているのも事実だろう。とは言え、小学生が「子犬の命」と「お金」を平然と引き換えたというのはショックだ。
近年と思われる出来事も記されているが、此方もショックな話。或る日、渡邉清一氏の元に一本の電話が掛かって来る。先日、役者で犬を引き取って貰った女性からで、其の犬が「愛媛県動物愛護センター」に送られた事を知り、「未だ生きているのかどうか?」を確認する為だった。渡邉氏が未だ生きている事を知らせると、女性は「良かった!それでは明日、家族で其方に伺います!」と言って、直ぐに電話を切ったと言う。「犬を捨てたものの後悔して、連れ戻しに来るのだろう。」と、渡邉氏はホッとしたのだが・・・。
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「3. 管理棟」より
その母子は翌日の朝早く、センターの清一のもとへやってきた。母親と、ふたりの小学生の子どももいっしょである。母子は、清一に案内されるまま、そそくさと管理棟へ足を運んだ。
「いた!お母さん!いたけん!チャッピー、元気だった?」飼い主を見つけたチャッピーという犬は、ちぎれんばかりにしっぽをふり、全身をふるわせて喜びを表した。飼い主が迎えに来てくれたのである。待っていてよかった-。信じて良かった-。そう言っているように見える。
「さあ、お母さん、はやく撮らんと!!」そう言うと、すぐにふたりの子どもは、犬収容室のステンレスのさくに喜びのあまり飛びつくチャッピーを間にはさみ、ピースサインをした。「じゃあ、撮るけん!笑ってー、チャッピー、こっち、こっち。」その言葉を合図に、母親が持ってきたカメラのシャッターを切った。
清一は何が起こったのかわからず、ただあっけにとられて母と子を見ていた。近くで作業をしていた伸生も、ちらちらとその様子をうかがっている。「これでチャッピーとのええ記念ができたけんね!ほな、行こか?」この親子は何をしにここへ来たのか、予想外の展開に、清一には事態がしばらく理解できなかった。
「ちょっと!待ってください、思い直して犬を連れて帰るんじゃなかったんですか?」清一の問いに、母親が「何が?」と聞いた。「この子を連れもどしに来たんでしょうが。」「いいえ・・・。」「?」「チャッピーは、ここで殺されるって聞いたけん。だから最後に記念写真を撮りに来ました!」「殺されるって、おたくがこの子を役所に持ちこんだんでしょう?あなたが大事に飼ってくだされば、この子は死ななくてすむんですよ!」「飼えないから引き取ってもらったんです!」
母親の一方的な言葉に、清一は子どもを見て、「チャッピーが・・・、殺されてもええんか?」と聞いた。「ぼくが殺すんちがうけん!殺すんが悪いんやったら、おっちゃん、飼ってあげたらええけん!」「君の犬やぞ!」「いらんけん!記念写真も撮ったけん。もうええ。」言うと、子どもたちは「チャッピー!バイバーイ!」と手をふって、管理棟から出ていった。
チャッピーはほえた。声のかぎりほえ続けた。“行かないで!ぼくを捨てないで!きっと迎えに来て!”
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飼い続けたくても、どうしても手放さざるを得ないケースは在るだろう。必死で引き取り手を捜すも見付からず、止むを得ず殺処分を依頼するケースだって在るとは思う。しかし、此のケースは明らかに違う。単なる飼い主のエゴだ。其れだけでも腹立たしさを感じるというのに、「飼い犬が殺される前に、態々記念写真を撮りに来た。」という感覚が更に腹立たしさを増させる。こんな馬鹿親に育てられたからこそ、子供もおかしくなってしまったのだろう。
嫌な話が在る一方で、心を打たれる話も載っていた。家の近くの道路で車に撥ねられて亡くなったと思われる子犬を見付け、母親と一緒にセンターに死体を持って来た小さな男の子の話だ。「役所に連絡して引き取って貰う事も出来たが、其の場合は『生ゴミ』として清掃局が処理して終わりになってしまうだろう。其れでは余りに子犬が不憫なので、せめてきちんとした形で焼いて貰いたい。」という思いが親子からは感じられ、渡邉氏は胸を打たれたと言う。
現実を直視すべく、(犬の)処分機のボタンを押した著者の今西さんが、其の時の事を綴った文章を、最後に紹介させて貰う。
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2009年2月19日、午後1時20分。その日、わたし(著者)が殺したのは30頭の成犬、7匹の子犬、11匹のねこであった。その死に顔は、人間をうらんでいるようには見えなかった。彼らはきっと、最期のその瞬間まで飼い主が迎えに来ると信じて待っていたのだろう。
あの日からずっと、ステンレスの箱の中で死んでいった彼らを思わない日ははなかった。“だれかをきらいになるより、だれかを信じているほうが幸せだよ。”犬たちの声が聞こえる。この「命」、どうして裏切ることができるのだろうか・・・。
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