当ブログで取り上げた書籍の多くがそうで在る事からも判る様に、自分は大のミステリー好き。「この人の作品は必ず読む。」と決めている作家は何人か居るが、内田康夫氏はその一人で在る。「浅見光彦シリーズ」を始めとして、これ迄に数多の作品を発表しており、その累計発行部数は1億部を超えるとも。彼が著した作品の殆どはミステリーの範疇に入っていると言っても良いが、今回読破した「靖国への帰還」は毛色異なった作品。
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学徒出陣により海軍飛行科予備学生となった武者滋少尉。訓練後に彼は厚木航空隊に配属となる。或る日、茅ヶ崎の海岸で写生に来ていた女学生・沖有美子と知り合い、自画像を描いて貰う事に。後日、完成した絵を彼女の家で目にした武者は、御互いに淡い恋心を抱いている事に気付く。
やがて戦況は日本にとって悪化の一途を辿る。そんな或る日、夜間戦闘機「月光」の搭乗員として明日の命すらも定かでは無い武者の元を、彼女が突然訪れる。軽井沢へ疎開する事になった為、その挨拶に来たのだった。御互いに恋心を伝えられないまま、「戦争が終わったら、是非(絵を)拝見しに行きます。」と約束を交わす。有美子の「又御会い出来る日を、ずっと御待ちしています。」という言葉に、「当てにしないで、待っていて下さい。」と照れ笑いで返した武者。
そして迎えた昭和20年5月26日、本土攻撃のB-29を迎撃する為、月光にて発進した武者。迎撃中に被弾した彼は薄れ行く意識の中、何とか厚木へと辿り着く。意識が闇に沈む前、彼の視野に現れたのはアメリカ兵の姿だった。
20日以上経って、“医務室”で意識を取り戻した武者。しかし、何かがおかしい。見聞する事柄の殆どが、自分にとって“異世界”の物なのだ。其処は彼が被弾した昭和20年から62年後、即ち平成19年の厚木基地。厚木に辿り着く間、稲妻走る雲の中に突入した際、月光諸共タイムスリップしていたのだった。
歴史の上では戦死している彼が、“生きた英霊”として平成の世に現れた。信じる事を忘れた現代に、一体彼は何を見るのか?還るべき場所を失くした彼が、探し求めた使命とは?
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「内田康夫氏の作品=ミステリー」というイメージが出来上がっているので、SFタッチなこの作品に違和感を覚えられる読者も少なくない事だろう。昭和20年と平成19年、62年の時空を隔てた日本を対比させる事で、「靖国神社とは一体何だったのか(何なのか)?」を読者個々に考えさせる内容となっている。
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「あの戦争では、A級戦犯、BC級戦犯を含め、何百万という英霊の殆どが、敵を殺し、或いは殺す行動に参加しています。幸いにして生還した者も、又、銃後に居て直接、戦いに参加しなかった国民も、精神的には彼等と一つになって戦ったのです。日本という国を一個として見るならば、一部の戦争反対論者を除いて、上は総理大臣から下は頑是無い小児に到る迄、その時の日本は一大殺人者集団だった事になります。敗戦の時『一億総懺悔』と言ったのはその意味による物だったのでしょうし。」
「そうして、不当とも言える一方的な国際裁判の結果、A級戦犯とBC級戦犯の一部は処刑された。彼等は日本の戦争責任を負って、言わば生贄になったのです。その時点では、大多数の日本国民は彼等の罪を許した。生贄を殺された事実から目を背けはしたが、少なくとも処刑を喜び万歳を叫んだ人は居なかったでしょう。国民の中に、最早それ以上、彼等の責任を追及しようという動きは無かった。これは日本人の寛容を示す精神風土と言うべきでしょう。」
「今、靖国神社に反対し、A級戦犯合祀を指弾する人々は、嘗ての戦争に付いて、自分達、或いは自分の親達が同罪で在った事を忘れてしまっているのです。戦争を企図した者以外は全て被害者で在るかの様に言うのは、後付けの論理です。もし戦争に勝って、恩恵を享受していれば、靖国神社は勿論、戦争犯罪そのものさえ指弾しないでしょう。それに、もしその時代のその立場に居たとしたなら、A級戦犯とされた彼等と同じ様な判断を行い、同じ様に戦争に突入しなかったという保証は在りません。何れにしても、彼等は処刑され、死を以て罪を償う事で、責任を全うしたのです。戦争を知らず、戦争の当事者でも無い人々が、死者達に笞打つ様な弾劾を叫ぶのは、空論にしか聞こえません。A級戦犯と雖もBC級戦犯と雖も、戦争という国家の行為によって生じた死者で在る事に変わりは無いのです。その事を、死者達の声として訴えて行きたいと思います。」
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学徒出陣により海軍飛行科予備学生となった武者滋少尉。訓練後に彼は厚木航空隊に配属となる。或る日、茅ヶ崎の海岸で写生に来ていた女学生・沖有美子と知り合い、自画像を描いて貰う事に。後日、完成した絵を彼女の家で目にした武者は、御互いに淡い恋心を抱いている事に気付く。
やがて戦況は日本にとって悪化の一途を辿る。そんな或る日、夜間戦闘機「月光」の搭乗員として明日の命すらも定かでは無い武者の元を、彼女が突然訪れる。軽井沢へ疎開する事になった為、その挨拶に来たのだった。御互いに恋心を伝えられないまま、「戦争が終わったら、是非(絵を)拝見しに行きます。」と約束を交わす。有美子の「又御会い出来る日を、ずっと御待ちしています。」という言葉に、「当てにしないで、待っていて下さい。」と照れ笑いで返した武者。
そして迎えた昭和20年5月26日、本土攻撃のB-29を迎撃する為、月光にて発進した武者。迎撃中に被弾した彼は薄れ行く意識の中、何とか厚木へと辿り着く。意識が闇に沈む前、彼の視野に現れたのはアメリカ兵の姿だった。
20日以上経って、“医務室”で意識を取り戻した武者。しかし、何かがおかしい。見聞する事柄の殆どが、自分にとって“異世界”の物なのだ。其処は彼が被弾した昭和20年から62年後、即ち平成19年の厚木基地。厚木に辿り着く間、稲妻走る雲の中に突入した際、月光諸共タイムスリップしていたのだった。
歴史の上では戦死している彼が、“生きた英霊”として平成の世に現れた。信じる事を忘れた現代に、一体彼は何を見るのか?還るべき場所を失くした彼が、探し求めた使命とは?
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「内田康夫氏の作品=ミステリー」というイメージが出来上がっているので、SFタッチなこの作品に違和感を覚えられる読者も少なくない事だろう。昭和20年と平成19年、62年の時空を隔てた日本を対比させる事で、「靖国神社とは一体何だったのか(何なのか)?」を読者個々に考えさせる内容となっている。
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「あの戦争では、A級戦犯、BC級戦犯を含め、何百万という英霊の殆どが、敵を殺し、或いは殺す行動に参加しています。幸いにして生還した者も、又、銃後に居て直接、戦いに参加しなかった国民も、精神的には彼等と一つになって戦ったのです。日本という国を一個として見るならば、一部の戦争反対論者を除いて、上は総理大臣から下は頑是無い小児に到る迄、その時の日本は一大殺人者集団だった事になります。敗戦の時『一億総懺悔』と言ったのはその意味による物だったのでしょうし。」
「そうして、不当とも言える一方的な国際裁判の結果、A級戦犯とBC級戦犯の一部は処刑された。彼等は日本の戦争責任を負って、言わば生贄になったのです。その時点では、大多数の日本国民は彼等の罪を許した。生贄を殺された事実から目を背けはしたが、少なくとも処刑を喜び万歳を叫んだ人は居なかったでしょう。国民の中に、最早それ以上、彼等の責任を追及しようという動きは無かった。これは日本人の寛容を示す精神風土と言うべきでしょう。」
「今、靖国神社に反対し、A級戦犯合祀を指弾する人々は、嘗ての戦争に付いて、自分達、或いは自分の親達が同罪で在った事を忘れてしまっているのです。戦争を企図した者以外は全て被害者で在るかの様に言うのは、後付けの論理です。もし戦争に勝って、恩恵を享受していれば、靖国神社は勿論、戦争犯罪そのものさえ指弾しないでしょう。それに、もしその時代のその立場に居たとしたなら、A級戦犯とされた彼等と同じ様な判断を行い、同じ様に戦争に突入しなかったという保証は在りません。何れにしても、彼等は処刑され、死を以て罪を償う事で、責任を全うしたのです。戦争を知らず、戦争の当事者でも無い人々が、死者達に笞打つ様な弾劾を叫ぶのは、空論にしか聞こえません。A級戦犯と雖もBC級戦犯と雖も、戦争という国家の行為によって生じた死者で在る事に変わりは無いのです。その事を、死者達の声として訴えて行きたいと思います。」
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