フジテレビ系列で放送されている「ザ・ノンフィクション」(日曜日 14:00~14:54)という番組を良く見ている。寄る辺を失い、もがき苦しみながらも必死で生きている人々に焦点を当てる事が多いこの番組には、考えさせられる事や胸を熱くさせられる事もしばしば。そんな中で、最近最も印象に残った人物が、元プロウインドサーファーの飯島夏樹さんだった。
正直、この番組で彼が取り上げられる迄は、彼の事を全く知らない自分だった。日本でトップクラスのプロウインドサーファーとして世界中を転戦していた事や、10年程前にはグアムでマリンスポーツ会社の社長として成功を収めていた事も、恥ずかしながら初めて知ったのだが、相思相愛の伴侶と結ばれ、10歳の長女を頭に3男1女に恵まれた彼は、正に幸福な成功者の一人だったと思う。
しかし、健康を絵に描いた様な彼を病魔が襲ったのは、今から3年前、彼が36歳を迎える2ヶ月前の事だった。肝細胞癌と診断され、彼は奈落の底に突き落とされる事となる。最愛の妻と幼子を抱えながら、迫り来る死の恐怖に悩み苦しむ彼。一時は鬱病に陥ったともいう。
死と向き合った事で様々な事を考え、家族との濃密な時間を経て行く過程で、彼は「自分が生かされている。」事を実感し、闘病記を記して行く事で生き甲斐を見出した。この本からも画面からも、残された家族に寄せる彼の未来永劫の愛が脈々と伝わって来た。
そして、昨年の6月に「今年の冬は越せないだろう。」という余命宣告を受ける・・・。
家族を愛し、残された時間を悔いなく生き抜いた彼が、38歳という若さで昨日天に召された。非常に残念である。でも、不謹慎と言われるかもしれないが、彼は或る意味幸せだったとも思うのだ。
自分は、幼くして父を病気で失った。健康体であった父親の突然死は、今も自分の心に深い影を落としている。使い古された文句だが、「孝行したい時分に親は無し」という思いが心に棘となって突き刺さったまま。亡き父を思う時、「こんな事をして上げたかった。」とか、「何故あんな事をしてしまったのだろうか。」といった悔恨の念ばかり浮かんでしまう。突然死した父にも、此の世に残した未練の思いは在っただろう。
以前書いた「死生観」という記事の中で、ノンフィクション作家であり評論家でもある柳田邦男氏の下記の言葉を紹介させて貰った。
「亡くなる時には、痛みや苦しみを伴う癌等ではなく、老衰で逝きたいと考える若者が多いと聞く。しかし、自分は敢えて癌で逝きたいと思う。癌を告知される事で、余命を知り、限られた人生をより有意義に生きたいからだ。」
家族との深い愛情を再認識し、愛する者達と濃密で掛け替えの無い2年8ヶ月を生き抜いた彼は幸せだったと思うし、残された子供達の心に「生かされている自分」の姿を焼き付けて行った彼は立派だとも思う。
天国から最愛の家族達を見守っている彼の優しい眼差しが、脳裏に浮かぶ。
合掌。
正直、この番組で彼が取り上げられる迄は、彼の事を全く知らない自分だった。日本でトップクラスのプロウインドサーファーとして世界中を転戦していた事や、10年程前にはグアムでマリンスポーツ会社の社長として成功を収めていた事も、恥ずかしながら初めて知ったのだが、相思相愛の伴侶と結ばれ、10歳の長女を頭に3男1女に恵まれた彼は、正に幸福な成功者の一人だったと思う。
しかし、健康を絵に描いた様な彼を病魔が襲ったのは、今から3年前、彼が36歳を迎える2ヶ月前の事だった。肝細胞癌と診断され、彼は奈落の底に突き落とされる事となる。最愛の妻と幼子を抱えながら、迫り来る死の恐怖に悩み苦しむ彼。一時は鬱病に陥ったともいう。
死と向き合った事で様々な事を考え、家族との濃密な時間を経て行く過程で、彼は「自分が生かされている。」事を実感し、闘病記を記して行く事で生き甲斐を見出した。この本からも画面からも、残された家族に寄せる彼の未来永劫の愛が脈々と伝わって来た。
そして、昨年の6月に「今年の冬は越せないだろう。」という余命宣告を受ける・・・。
家族を愛し、残された時間を悔いなく生き抜いた彼が、38歳という若さで昨日天に召された。非常に残念である。でも、不謹慎と言われるかもしれないが、彼は或る意味幸せだったとも思うのだ。
自分は、幼くして父を病気で失った。健康体であった父親の突然死は、今も自分の心に深い影を落としている。使い古された文句だが、「孝行したい時分に親は無し」という思いが心に棘となって突き刺さったまま。亡き父を思う時、「こんな事をして上げたかった。」とか、「何故あんな事をしてしまったのだろうか。」といった悔恨の念ばかり浮かんでしまう。突然死した父にも、此の世に残した未練の思いは在っただろう。
以前書いた「死生観」という記事の中で、ノンフィクション作家であり評論家でもある柳田邦男氏の下記の言葉を紹介させて貰った。
「亡くなる時には、痛みや苦しみを伴う癌等ではなく、老衰で逝きたいと考える若者が多いと聞く。しかし、自分は敢えて癌で逝きたいと思う。癌を告知される事で、余命を知り、限られた人生をより有意義に生きたいからだ。」
家族との深い愛情を再認識し、愛する者達と濃密で掛け替えの無い2年8ヶ月を生き抜いた彼は幸せだったと思うし、残された子供達の心に「生かされている自分」の姿を焼き付けて行った彼は立派だとも思う。
天国から最愛の家族達を見守っている彼の優しい眼差しが、脳裏に浮かぶ。
合掌。
基本的に、書き込みして下さった方のブログへ、直接レスを付けさせて戴く形を取っているのですが、貴ブログが見当たりませんでしたので、こちらに書き込む失礼の段を御許し下さい。
泳ぐのは専らプールという生活が続いている為、海にかなり行っていません。ですから、海と癌の因果関係は全く頭から抜け落ちていました。御前崎の海が冬でも海水が暖かめというのも全く知りませんでしたが、原研の冷却水の影響が考えられなくはないというのは怖い話ですね。
生活資源に乏しい我が国が、原研に頼らざるを得ないのは仕方ない事なのでしょうが、その事で発癌性を高められてしまう事実が在るのだとしたら、代替エネルギーの問題を含め、原研の依存度を低める方向での検討を真剣に行なう段階に来ているのでしょう。
貴重な情報有難うございました。これからも宜しく御願い致します。
P.S. 発癌性の問題で言えば、TV業界に従事する人間(タレントやアナウンサー等。)の発癌率が高い気がしてなりません。具体的な数字を知っている訳ではなく、あくまでも感覚に過ぎないのですが、電磁波の影響とかなのでしょうか。
飯島夏樹さんの死についてですが、気になる点があります。
僕も趣味でウインドサーフィンをやっており冬になると御前崎に行っておりました。御前崎の海(ロングビーチ)は海水が冬でも暖かくその原因は隣の浜岡原子力発電所の冷却水の影響であると思います。通常の海水より明らかに暖かいです。御前崎ロングビーチは日本を代表するウインドサーフィンポイントとなっております。そこで日本を代表する飯島夏樹さんがウインドサーフィンをたくさんやっていました。飯島夏樹さんの死が珍しいガンであると報道で聞きました。僕は御前崎の原子力発電所の影響も多少あるのではないか?と疑問をもっております。
彼、飯島さんの宣告後の生き様と大きなショックを乗り越えられた後の死生観については少なからずとも 今の私にとっては大きな衝撃となりました。 長く生き抜いていこうという執着心ではなく残された日数を出来るだけ細かく区切り、その小さな区切り一つ一つを家族と共に大切に生活しようとする・・・。 ちょっとした事でへこたれそうになる私がもし同じ境遇になったらこういう気持ちになれるのだろうか?
今日番組を見て、涙を流しながら自問自答しておりました。 彼の生き様は、私自身のこれからの生き方までも変えてくれそうな気がします。
皆さんの飯島夏樹さんへの思いをうかがうことができ、うれしく思います。
私にとって、「死」はどちらかと言えば遠いものだと思っていたので、
考える時間を下さった飯島さんに感謝したいです。ありがとうございます。
飯島夏樹さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
基本的に、書き込みして下さった方のブログへ、直接レスを付けさせて戴く形を取っているのですが、貴ブログが見当たりませんでしたので、こちらに書き込む失礼の段を御許し下さい。
飯島さんの余りにも若過ぎる死は、多くの方に衝撃を与え、「生と死」に付いて真摯に向き合うきっかけを作ってくれたと思います。
HAPPY様も御母様も大変衝撃を受けられた事でしょうが、彼の「生きようとする意欲」を心に焼き付けて、精一杯生き抜いて行く事が、飯島さんへの最大の供養であると思います。
これからも宜しく御願い致します。
ドキュメンタリーの再放送するようですね。
又夏樹さんのあの笑顔に逢えるんですね。
私も乳がんを2回経験し、それまでには気づかなかった事たくさん見えてきました。
それは死んでも尚、人の心の中に輝き続ける生き方をしたいと言う事。
まさしく、夏樹のように・・・
お手本があるってとても幸せな事ですよね。
直接お会いしたことはないけれどTVで夏樹さんを知ってから、ほぼ毎日日記サイトを覗きに行っていたので、未だに「今日は更新してるかな?」と思いながらサイトを開いて【飯島夏樹さんご逝去のお知らせ】の文字にドキッとしてしまいます。
でもこうして夏樹さんを通していろいろな人とつながることが出来たことは、天国で喜んでくれている気がします。
ハワイの海に散骨されるそうですね。いつまでも大好きな波と風と共に、かけがえのない家族を見守っていくことでしょう。
いつの日か、天国であなたと逢えたら。。。
夏樹さんとは、国内でお会いした事があるのですが人柄も良く一人の人間として尊敬できる人でした。
マウイでマイカと切磋琢磨し練習するお話を興味深く聞かせてもらいました。
日本人のオールラウンダー(レースもウェーブも出場する選手)としてその後の若手が出てこないのが夏樹さんとしては悲しかったかかもしれません。
謹んでご冥福をお祈りします。
私もテレビで初めて知ったんですが、
ガン家系なので他人事とは思えません
でした。ほんと残念です
夏樹さんが私達をつなげてくれたんですよね・・・
夏樹さんを通じて、こうやって本当にたくさんの人がつながっていることを感じます。
天国で笑いながらこの様子を眺めていらっしゃるかな?
彼は、本当に大切なことをいっぱい私達に残してくれました。
ただもう、ありがとうの言葉しかありません。
お互いに、毎日を大切に精一杯生きていきましょうね。
何気なく毎週のように見ていたノンフィクションで
出会った飯島さんが、静かな反響で
ゴールデンタイムの二時間特番になり、
その放送もつかの間、天国へ行かれてしまった
ことは本当に衝撃的です。
もっと早く彼の存在を知りたかったと悔やむこと
しきりです。
放送上でも残された時間は少ないとの言葉は
ありましたが、やはり受け入れるのはつらいものです。
おなかの傷口の上に末っ子のお子さんが
ふざけて乗ってしまったとき、
痛みに耐えながらも穏やかに諭していた
彼の姿はまだ鮮明に覚えています。
立派なお父さんを亡くしてしまったことは
大きな損失ですが、彼の血を受け継いだことを
誇りにして、彼の分まで精一杯のびのびと育って
お母さんを支えていって欲しいと思います。
つい先日TVで飯島さんを知ったばかりです
病気から様様なことを学び家族と触れ合う様子が
非常に印象に残っています
きっと天国でウィンドサーフィンを楽しんでいる
でしょう
飯島さん ありがとう
飯島さんはこんなにたくさんの方に愛されていたんだなあって・・・
今さらながら実感しました。
心からご冥福をお祈りします。
ここまで人のココロを動かしてるんだなと
実感している今日この頃です。
ご冥福をお祈りしています・・・
幸せまっただ中から一気に奈落の底へ、その辛い境遇を2年という時間を思い切って生きた、そんな彼の生き様に自分の悩んでいることの小ささを恥じるとともにすごく勇気づけられます。
月並みなことではありますが・・・
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同世代という事もあって、初めてドキュメンタリー番組で飯島さんを拝見した時には、もし自分が同じ状況に置かれたらどうするだろうか?と思わずには居られませんでした。
自らの経験上、残された家族の心の傷が癒える事は無いとは思いますが、あれ程迄に立派に生き抜いた父親(主人)を持った事を誇りに持って、精一杯生き抜いて欲しいです。その事が、飯島さんにとっての最大の供養になると信じます。
これからも宜しく御願い致します。
飯島夏樹さんの早すぎるご逝去に、関係者の方々や、ご家族、私の様に書籍を通して
飯島夏樹さんを知った方々の沢山の書き込みを
読んで、生きていく事とは…?と考えさせられました。
ご挨拶が遅れてしまいすみません。
金曜エンタテイメントをみてはじめて飯島さんのことを知ったのですが、飯島さんの生き方に心を打たれ、ホームページを見ていました。
更新がストップして心配していたところにあの訃報、残念でなりません。
「亡くなる時には、痛みや苦しみを伴う癌等ではなく、老衰で逝きたいと考える若者が多いと聞く。しかし、自分は敢えて癌で逝きたいと思う。癌を告知される事で、余命を知り、限られた人生をより有意義に生きたいからだ。」
この言葉、今の自分にはかなり重い言葉に感じています。
飯島さんの文章を読みながら、「このままじゃいけない、もっと、ちゃんと生きなきゃ」という思いをもっと強いものになりました。
ありがとうございました。
こうして夏樹さんの生き方を通して
沢山の人が心打たれ、大切なメッセージが
繋げられていくことは素晴しいことですね。
あらためて考えさせられました。
日々、生かされているということを実感し
小さなことに幸せを感じ
家族の温かみやありがたさを
かみしめて、いきたいと思います。
ありがとうございます。
飯島夏樹さんのおかげて色々な方とつながっているんだと感じます。
見事な男でした。
合掌
ごめんなさい
幸せだったと、思うことで残された人たちが癒され励まされ、自分の人生を大事に生きようと思えることを
頭では私もわかっているのですよ、でも。。。
私はTVを見て飯島夏樹さんを知りました。
新潮社のサイトでお元気にしてらっしゃるご様子だったのに、この訃報はとても残念に感じました。
新刊も、もう直ぐ出版される予定でしたのに・・・
「死」を考えると恐ろしくてなりません。
父を亡くして以来「死」が身近なものに感じられて、
「生きる」という事を考えるようになりました。
飯島夏樹さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
心よりご冥福を祈ります。
私の父は余命8ヶ月と宣告されております。
なのに、主人の方も私の方も祖母は90歳過ぎても元気!とういう現実を、複雑な気持ちで見ております。
夏樹さんを拝見し、ますます生きる事の大切さを
思い知らされ、生かされてる という言葉を 本当に感じています。
それまでは生きている意味さえも分からない・・・。
きっと彼は神様からみんなにメッセージを伝えるためにこの世に生を受けたのかもしれない・・・。
これからもきっと遠い空の上から見守っているのだろう。
本当に残念でならない。
ご家族の皆様が元気を出してこれからも彼の意思を継いでメッセージを伝えていってほしいと思う・・・。
こちらこそコメント有難うございます。
自分より若い人が逝くのは辛いものです。
でも同じスポーツマンとして、彼を尊敬し誇りに思います。
合掌。
基本的に、書き込みして下さった方のブログへ、直接レスを付けさせて戴く形を取っているのですが、貴ブログのURLを失念してしまった為、こちらに書き込む失礼の段を御許し下さい。
「飯島さんは”或る意味”幸せだったと思う。」と書いた背景には、自分もyucky様と同じ様にそうでも思わないとやり切れないという思いが少なからず在りました。(詳細は、kyo様宛てに付けさせて戴きました上記書き込みを御覧戴ければ幸いです。)
父親を亡くした際にも痛感したのですが、「人は何時亡くなるか判らないもの。日々を悔いなく精一杯生きていきたい。」という思いが、飯島さんの必死に生きようとする姿から再認識させられた自分です。
これからも宜しく御願い致します。
基本的に、書き込みして下さった方のブログへ、直接レスを付けさせて戴く形を取っているのですが、貴ブログのURLを失念してしまった為、こちらに書き込む失礼の段を御許し下さい。
飯島さんの余りにも若過ぎる死は、残念でなりません。最愛の奥様と幼子を残して旅立たなければならなかった無念さは、言葉では表現出来ない程強かった事でしょう。又、父親の愛情をもっともっと受けて育ちたかったであろう4人の御子様を思うと、同じ様に幼き頃(と言いましても、彼等よりはずっと歳は上でしたが。)に病で突然父親を失った自分には、堪らない思いが在ります。
飯島さんが無念の内に亡くなられた事は理解している自分です。最愛の者を残して逝かなければならない者が、此の世に未練が無い筈は在りません。でも、敢えて自分が「飯島さんは”或る意味”幸せだったと思う。」と書いたのは、或る日突然父親を失い、感謝の念を直接伝える事や孝行めいた事、そして、親子の情愛を面と向かって再認識する機会すらも病によって剥奪されてしまった身(亡き父の側からも同じ事は言えると思いますが。)からすれば、そういった機会を決して長い期間とは言えませんが持てた飯島さん及び御家族は幸せだったのではないかと。そして、何よりも、そうでも思わない事にはやり切れない自分が居るのです。
誤解を与えかねない表現かとも思いましたが、幼き日に「大きくなったら一緒に酒を飲みたいな。」といった父の言葉を今でも忘れられない自分の複雑な思いと、飯島さんが幸せであったと思いながら旅立ったと信じたい思いが交錯し、あの様な表現となりました。御不快の念を与えてしまいましたら、申し訳ございません。
これからも宜しく御願い致します。
P.S. 以前書いた「安楽死」(http://964.jp/ZCR)という記事の中でも触れたのですが、自分も祖母を癌で亡くしました。最後は骨に癌が転移し、痛み止めが切れる度に激痛で七転八倒する姿や、幾つものチューブを体内に通されて意識昏倒した祖母の頬に流れ落ちる涙等を何度も目にした自分ですので、最愛の御主人様を同じ癌で亡くされたkyo様の御心中は察するに余り在る思いです。
飯島さんの死、そして生き方を知って、たくさんの人がたくさんの想いを抱いていると思います。
そして私も。
生き様と同じように、死に様というものがある。
死ぬときに後悔しないよう、限りある人生を精一杯生きていかなければと思います。
そんな中の訃報に接してとても残念な気持ちです。
彼が、この病を世の中に知らせることによって病と前向きに戦うんだということを教えられたような気がします。ハワイの青い海をこよなく愛し去っていった彼を偲びつつ明日からもっともっと人生をしっかり生きようと思いました。
飯島さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
誰だっていつまでも愛する家族と一緒に居たいですから。
でも、彼には余命という現実があって・・・
その現実を受け止めながら自分の人生、精一杯生きたのではないかと思います。
残された家族が立ち直っていくのも
また大変なのです。
「余命を知り、限られた人生を、より有意義に生きたい」
この言葉、凄いです、こんなこと言えるなんで勇気が
あります。きなここにはできないですね。
正直、きなこは、縁側でぽかぽかしている間に逝きたい
と思っています。自分の好きな曲を聴きながら。
たくさんのクダをつながれ、意識がない友人を見たの。
耳元でいっぱい言葉を言いました。意識が戻るのでは?
と思ったからです。
その夜は、酒を飲んで、マジ泣きました。
そんなことはもうたくさんです。
きなこに、そんなカッコイイ言葉なんて、言えません。
ただひとつ言えることは「もし、たくさんのクダを
つながれて、生かされている」なら、外してほしい。
それだけは思います。
柳田郁男氏の言葉…(-ω-;)ウーン、考えさせられました。
ソレはそれで、その人の人生かなって思います。でもなんとなく、最後は「まだ生きていたい」って思う気がします。有意義に過ごせる人ほどまだやりたいコトイッパイな気がするのです。
私みたいに毎日ボーっと子育てで毎日終わって、老いて痴呆になり娘に迷惑をかけてしまうようなのもひとつの人生?もったいない生き方すんなって思われそうですが…
死ぬ時に「まあ、人生こんなもんだろ」って思えて、娘に少し悲しんでもらえたらソレが一番かな。って思います。
長々とすみませんでした。
以前読んだ闘病記に、癌で死ぬのは幸せな事だというのがありました。
なぜなら、自分を整理し、家族に思いを伝え、死を迎える準備をできる時間を持てるからだと。
私も知人の突然の死を経験したことがあります。あの時の遺族や友人、そして本人の無念さを思うと、生と死の意味を深く考えずにはいられません。
夏樹さんの生き様は、人として尊敬に値するものだったと思っています。
彼が遺した思いをきちんと受け止める事のできる人間でありたいと強く思いました。
でも、今、こ○いちさんのコメントを読んで、“あんなにも強く家族や私達にさえ愛と勇気を与えて天寿を全うされた夏樹さんは幸せだった”と未練を断つことが出来ました。
ありがとうございます。
今度は自分が、家族に死に様を見せたいと思うですよ。
父親や祖父母の死に目には会えず、いい年になるまで泣き悲しむことしか知らなかったってのに、血の繋がらぬお姑さんがそいつを教えてくれたって処に、人の縁やら家族の絆を感じますな。
こちらのエントリからTBもらった主旨が納得&嬉しいんで、TB打ち返すです。
確かに私もそう思いますが姿の形をかえど魂は生き続ける。亡き母を思う時、天国で笑顔で「ありがとう」と言っていると思い強く生きようと思います。母が残してくれた日記に「後悔のないように毎日を一生懸命生きなさい」心に刻んで生きています。
その気持ちを両親が健在の人に伝え両親を大切にする気持ち日々を懸命に生きる気持ち、それを伝えるのが役割だと思っていますっ。giants-55さんとこうして交流出来る場を与えてくださった夏樹さんに感謝しそしてご冥福をお祈りしたいと思います。
この間のテレビは途中でやめました。辛すぎて見ていられませんでした。
夫は50代で癌で亡くなりましたが、痛みがひどく壮絶な闘病生活でした。余命がわかった方が有意義に生きられるなど、自分が癌ではないから言えるのでは?と大切な夫を失った私は思います。
あなたもそのような壮絶な思いをされたんですね。
柳田氏の言葉も一理あるのかなと思い、今いろいろ考えております。
人間にはそれぞれ「宿命」というものがある。と聞かされたことがありますが、もしその宿命とやらがあるのだとしても、ただ一生懸命に生きていきたいです。
悔いのないように・・・