もう可成り昔の話になってしまうが、同じ部署の同僚が海外で急死した。入社年度では“後輩”だったけれど、自分と同い年だった事も在り、良く話をする間柄。そんな彼が海外出張した際、待ち合わせ時間になっても彼が現れない事から、「どうしたのか?」と客から連絡が在り、宿泊先のホテルに向かった現地のスタッフが、部屋で倒れて事切れている彼を発見。死因は蜘蛛膜下出血だったと思うが、出張前に元気そうな姿を見ていただけに、「嘘だろ!?」という思いが在った。
「風邪がずっと治らない。」とは言っていたものの、“ずっと”というのが“数ヶ月”という長い期間だったのを、亡くなってから知った。そんなに長期間風邪状態というのも考えられず、蜘蛛膜下出血発症の予兆だったのだろう。気付いて上げられなかった事を悔やむと共に、余りにも若い死が残念でならなかった。
そんな辛い出来事を、突然飛び込んで来た訃報にて思い浮かべてしまった。
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「阪神GM中村勝広さん死去 都内のホテルで急性心不全」(9月23日、朝日新聞)
プロ野球阪神のゼネラル・マネジャー(GM)、中村勝広さんが死去した事が23日判った。66歳だった。チームの遠征先の東京都内のホテルで心肺停止の状態で発見され、死亡が確認された。球団によると、死因は急性心不全。葬儀の日取りは未定。
チームは22、23の両日、東京ドームで巨人との2連戦が在り、中村さんも22日は球場を訪れていた。球団の南信男社長によると、23日正午頃、待ち合わせていた中村さんと連絡が取れない為、ホテルの部屋を確認したと所、倒れているのが見付かったと言う。
千葉県出身。1972年にドラフト2位で早稲田大から阪神に入団、内野手として活躍し、1982年に現役を引退した。阪神の2軍監督を経験した後、1990年から1995年途中迄、6シーズン連続で1軍監督を務め、最高成績は1992年の2位。2003年からはオリックスのGM、2006年には1軍監督を歴任。オリックスの球団本部長を経て、2012年から阪神のGMを務めていた。
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中村勝広氏、現役時代は「派手さは無いものの、堅実な守備を見せる、“職人”タイプの選手。」というイメージが強い。一方、現役引退後で言えば、タイガース及びブルーウェーブ(バファローズ)で要職を務めるも、チーム運営に成功したとは言い難く、「屡々批判を浴びていた人物。」というイメージが在る。球団上層部からは「何とかしろ!」と責っ付かれ、選手やファンからは「駄目だなあ。」と思われる。“哀しき中間管理職”という雰囲気を自分はずっと彼に感じていて、批判される度に、庇って上げたくなる人物だった。
タイガース・ファンのブログ等を拝読していると、概して彼に対する評価は散々な物だった。とは言え、「カッちゃん、何してんの!」等と襤褸糞に貶す中にも、“駄目虎時代”を担って来た彼に対する深い愛情が、文章の彼方此方に滲み出ている物が非常に多く、「昔からの熱きタイガース・ファンからは愛されている人物なんだなあ。」と感じ、頬が緩む事が何度も。
“球団創設50周年”の1985年、「日本航空123便墜落事故」でタイガースの球団社長だった中埜肇氏が亡くなられたが、“球団創設80周年”の今年は中村勝広GMが・・・偶然の巡り合わせとは言え、66歳での死というのは余りに若過ぎる。合掌。