33年前の1981年、石川ひとみさんが歌う「まちぶせ」【動画】が大ヒットした。元々は荒井由実(現在の松任谷由実)さんが1976年に、三木聖子さんの為に作詞&作曲した歌で、其れを石川さんが5年後にカヴァーした物。「1人の男性に対し、熱い思いを抱き続けた女性の姿。」を描いた、実に切ない名曲だ。
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「まちぶせ」
夕暮れの街角 のぞいた喫茶店
微笑み見つめ合う 見覚えある二人
あの娘が急になぜか きれいになったのは
あなたとこんなふうに 会ってるからなのね
好きだったのよ あなた 胸の奥でずっと
もうすぐわたしきっと あなたをふりむかせる
気のないそぶりして 仲間に加わった
テーブルをはさんで あなたを熱く見た
あの娘がふられたと 噂にきいたけど
わたしは自分から 云いよったりしない
別の人がくれた ラブレター見せたり
偶然をよそおい 帰り道で待つわ
好きだったのよ あなた 胸の奥でずっと
もうすぐわたしきっと あなたをふりむかせる
好きだったのよ あなた 胸の奥でずっと
もうすぐわたしきっと あなたをふりむかせる
あなたをふりむかせる
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「昔、『まちぶせ』という歌が在ったな・・・。今だと、待ち伏せもストーカー行為になるんでしょうね?」。「待ち伏せされた側が、迷惑だと感じたり、恐怖を味わえば、其れはストーカー行為と見做されます。」。「被害者がどう感じるかが問題な訳ですね?」。「其れが判断基準になります。そうで無いと、恋愛行動の多くがストーカー行為と見做され兼ねません。」。
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「夕暮れの街角で喫茶店を覗いたのが、思いを寄せる男性が居ると判っていての行為だったら?」、「ふっと気付いたら、テーブルを挟んで自分をじっと見詰める女性が居たとしたら?」、「他人から貰ったラヴ・レターを唐突に見せられたり、帰り道で矢鱈と出会す女性が居たとしたら?」、一つ間違えばストーカー行為と見做されてもおかしくは無い。
7年前の「ストーカー」という記事の中で触れたが、三枚目の自分ですらストーカー被害に遭った事が在る。(其の際に頂戴した書き込みでは、当ブログに屡々書き込みをして下さる「マヌケ」様もストーカー被害、其れももっと強烈なレヴェルに遭われた事が在るとか。)軽いレヴェルの物では在ったが、同期の同僚(女性)に付き纏わられ、オフィスにてパソコンで書類を作成していた際、背後に人の気配を感じたので振り返ると、顔と顔がぶつかる位の超至近距離で、其の女性がパソコンの画面を覗き込んでいた、其れも周りの人間が後から教えてくれた事には、数分そんな状態だったというのを知り、流石にぞっとした物。
“ユーミン”が「まちぶせ」を作った38年前ならば、歌詞から「切ない女心だなあ。」と感じ取る人が多かったろうが、時代が変わった今では、「此れじゃあ、ストーカー行為だよ。」と思ってしまう人も結構居そう。ストーカー被害に遭った経験が在る人ならば、一層かもしれない。
ストーカーの気質に関しては、ぷりな様の分析は頷ける物が在ります。煎じ詰めれば「思考が極端に狭く、多様性を一切認めない。」という事ではないかと。自分に関わって来る部分では「感性」が非常に鋭い一方、他者に関わる部分では非常に鈍いという、利己主義な面も在りそう。
私自身は現在のところ被害者にも加害者にもならずに済んでいますが、ストーカーに遭うという寝覚めの悪い夢を見たことがあります。気味が悪く、日常生活が脅かされていく感覚がかなりリアルに感じられる夢でした。夢でさえそうなのだから、実際にそういう被害を受けておられる方の心労はどれほどかと思います。
事例をニュースで視聴したり特集記事を読んだりした限りでは、ストーカーになる人というのは、善悪の見境がつかなくなっている人、善悪の見境はあるけれども自分を抑えきれない人、確信的にやる人と様々なようですが、概して「いったん相手のプラスの部分が見えたら全部プラスだと思い込んで傾倒し、いったん相手のマイナスな部分が見えたら憎悪に変わってしまう、もしくは頑なにプラス部分に固執する」という傾向があるのではないかと。ここでいうプラスマイナスとは、相手の長所短所だけでなく、相手と本人との恋愛観や価値観の一致する部分・しない部分も含みます。そして、自分自身と同じような認識の仕方を相手も抱いていると思い込み、自分の一部が批判されたのに全否定されたと思い込んで相手に執着するのではないかと、私としては推測しています。