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空気を読む:其の場の雰囲気から状況を推察する。特に、其の場で自分が何をすべきか、すべきでないかや、相手のして欲しい、して欲しく無い事を憶測して判断する。
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「度が過ぎてしまうと同調圧力を生んでしまい兼ねないので、"空気を読む"という表現は余り好きでは無い。」のだが、"他人様に迷惑を掛ける結果に繋がる空気の読め無さ"は、個人的に大嫌い。
以前に書いたけれど、大勢で大事な打ち合わせをしているのに、全く無関係な"過去の自分の肩書"をひけらかしたりする等、延々と"自分語り"をする様な人物は、「きちんと議論したいと思っている他の人達にとって、迷惑以外の何者でも無い。」し、正に「空気が読めない。」と言わざるを得ない。
2年前の記事「東京大衆歌謡楽団」で取り上げた東京大衆歌謡楽団がYouTubeにアップしている動画を見るのが好き。でも、動画を見ていて気に成る事が、時折在る。舞台上のヴォーカル・髙島孝太郎氏に観客が花束や御捻りを渡す事が在るのだが、歌い終わった後ならば良いのだけれど、"歌っている最中"に渡す人が居るのだ。当然、演奏は延ばされる事に成るし、観客も集中力を妨げられる。ヴォーカルだって、良い迷惑だろう。どうしてこんな空気を読めない行為が出来るのか、自分には全く理解出来ない。
某レストラン・チェーンが好きで、月に1度位の頻度で足を運んでいる。多くの総菜がビュッフェ・スタイルで並んでおり、色んな種類の野菜が使われているのが売り。で、其処で何度か見掛ける客(高齢男性)が、本当に空気の読めない御仁なのだ。何時も混み合っている店なのに、スタッフ数は最低限という感じで、「注文取りや調理、配膳、後片付け、レジ打ち等、しなければ成らない事が数多く在り、皆、忙しなく動き回っている。」のが常。
そんな状況なのに、件の爺さんは「ビュッフェ・コーナーに総菜のセッティングにスタッフ(女性に限る。)が来ると呼び止めて、延々と"自分語り"をするのだ。先日なんぞは5分以上も自分語りをしており、最初は女性スタッフも「御客様だから。」という事で笑い乍ら対応していたが、何しろ非常に忙しい環境なので、次第に傍目からも「早く終わってくれないかなあ・・・。」という思いが伝わって来る。其れでも空気が全く読めない爺さんは意に介する事無く話し続けていた。流石に彼女が気の毒に成ったので、傍に行って「済みません。〇〇(総菜名)が無くなってしまったので、補充して貰えますか?」と言った所、彼女はホッとした様な表情を浮かべ、「はい、判りました!」と去って行ったのだった。
然し、其の爺さんの"空気の読め無さ加減"は相当の物の様で、以降もビュッフェ・コーナーに何度も足を運んでは、「女性スタッフ来ないかなあ。」といった感じで周りをキョロキョロ。「警戒した女性スタッフが、爺さんに近付かない様にしていた。」のは言う迄も無い。