「真面目にやればこれ程大変な仕事は無い。でも、手を抜けばこれ程楽な仕事も無い。」
知り合いの教師が、自嘲気味に自身の仕事を語った言葉である。本来は家庭で教えるべき最低限の社会常識すらも学校に丸投げする未成熟な親が多い上、要求される雑務も格段と増えていて、日々忙殺されているという。でも、これは真面目に取り組んだ場合で、手を抜きまくっている駄目教師も少なくはないと。そのツケは結局の所、真面目な教師達が背負い込まされる事になる。真面目な人間が馬鹿を見るという構図は、教師の世界でも存在しているという訳だ。そして、一生懸命何とかしようともがき苦しんでいる教師達は、心身共に疲弊して行く事となる。精神疾患で休職に追い込まれた教師の数は年々増加する一方だという。
彼等と同じ様に、教育現場で追い詰められている人間が他にも居る。子供達の心のケアを行なうスクールカウンセラー達だ。「AERA(6月6日号)」に「学校カウンセラー 孤立と失望の理由」という記事が載っていた。
スクールカウンセラーとして北海道の或る公立中学校に着任した臨床心理士の女性は、着任2ヶ月後に学年主任の教師から「貴方は本当に生徒達の相談を受けているのですか?子供達と御喋りをして遊んでいる様にしか見えません。」と言われたそうだ。交流の為に生徒数人と始めた交換日記に付いても、文書で決裁を上げていない事を指摘され、却って生徒の勉強の妨げになるので止めて欲しいとも。カウンセリングの一環として必要なのだと食い下がるも、他の教師達から次々と糾弾されるだけだった。
「教職員でもないくせに、学校の何が判るんですか!」
「生徒の事は担任が一番良く知っているから、余り口を出さないで欲しい。」
「教育の問題はプロの教育者が行なう。本当はうちの学校にカウンセラーなんて必要ないんです。」
殆どのスクールカウンセラーは週1回8時間勤務の非常勤職員だという。だから、たまに来るだけの人間が口を挟むなという事なのだろう。
彼女は先ず教師達との人間関係を構築しようと、休み時間や放課後に積極的に話し掛けを行ない、その結果ようやく打ち解けたのだが、1年契約の為、教育委員会から次の学校の異動を言い渡されたのだそうだ。せめて1校に3年間は勤務しないと、本格的なカウンセリングは難しいと彼女は語る。
スクールカウンセラーは、不登校、発達障害、非行等の問題を抱えた子供達を臨床心理学の立場から支える為に、文部科学省が1995年度より公立学校に配置する様になった。2003年度迄に公立小中高約7千校に4千人以上が配置されているそうだ。
しかし、現実問題としてはこの制度が上手く機能していない様だ。カウンセリングに理解が在る教師ばかりではない現場に、たった一人で送り込まれるスクールカウンセラー。孤立する事も少なくない。
***************************************
・ 不登校の生徒の保護者に面接で「親子関係にも問題が在るのでは?」と助言した所、怒った保護者が教育委員会に訴え出、その結果校長から「一切子供に触れない様に。」と厳命された。
・ 前任の校長から、「不登校や非行で休みがちな生徒には、出来るだけ相談室に入れて良く話を聞いてやって欲しい。」と言われていたが、新任の校長からは「相談室でサボらせず、教室に入れる様に。」と指示され、その結果、登校拒否児が増加してしまった。
・ 不登校の生徒の保護者に「もう少し内的な問題が落ち着いてから、登校を促した方が良いのでは?」と助言したものの、ベテランの担任がその後に生徒の自宅を訪問し、「早く登校しろ!」と叱咤激励した事で、保護者が混乱してしまった。
***************************************
カウンセラーがベストと思って成した事が、現場の教師達からは拒絶される。共にプロとしての意識が在るからこそ、相容れない部分も多くなってしまうのかもしれない。でも、その事で現場が混乱してしまうのでは本末転倒と言わざるを得ない。教育委員会がきちんとした方向性を打ち出し、それに基づいて校長が毅然とした態度でカウンセラーを見守る。そういった環境が整わない限り、スクールカウンセラーの孤立は深まるばかりだろう。
スクールカウンセラーが追い込まれているのは、こういった”人間関係”だけが原因ではない。待遇の悪さというのも大きく影響している様だ。臨床心理士等の有資格者がスクールカウンセラーを務める場合、その時給は5千円を超えるという。この金額だけを見ると高額と言える。しかしながら、完全時給制で在る上、1校に付き年間35週か280時間以内等の制限が在るのだそうだ。そうなると、受け持ち校が1校の場合の年収は、最高でも140万円にしかならない。おまけに非常勤故、健康保険も年金も自己負担。台風等で勤務日が休校になったり、「今日は試験なので、来なくて良いです。」と急に電話がかかって来たりと、月によって収入が増減する等、極めて不安定で保障のない生活と言えるだろう。スクールカウンセラーを辞める人間が少なくないというのも致し方ないと思える。
文部科学省では、この制度に対して金銭的補助を行なっているが、来年度以降も補助を続けるかどうかは未定だという。制度そのものが無くなってしまう可能性もゼロとは言い切れない様だ。
心の荒廃が叫ばれる教育界。そのケアを行なうべきスクールカウンセラーの置かれている現状が、こうも脆い様では何をか況やである。
知り合いの教師が、自嘲気味に自身の仕事を語った言葉である。本来は家庭で教えるべき最低限の社会常識すらも学校に丸投げする未成熟な親が多い上、要求される雑務も格段と増えていて、日々忙殺されているという。でも、これは真面目に取り組んだ場合で、手を抜きまくっている駄目教師も少なくはないと。そのツケは結局の所、真面目な教師達が背負い込まされる事になる。真面目な人間が馬鹿を見るという構図は、教師の世界でも存在しているという訳だ。そして、一生懸命何とかしようともがき苦しんでいる教師達は、心身共に疲弊して行く事となる。精神疾患で休職に追い込まれた教師の数は年々増加する一方だという。
彼等と同じ様に、教育現場で追い詰められている人間が他にも居る。子供達の心のケアを行なうスクールカウンセラー達だ。「AERA(6月6日号)」に「学校カウンセラー 孤立と失望の理由」という記事が載っていた。
スクールカウンセラーとして北海道の或る公立中学校に着任した臨床心理士の女性は、着任2ヶ月後に学年主任の教師から「貴方は本当に生徒達の相談を受けているのですか?子供達と御喋りをして遊んでいる様にしか見えません。」と言われたそうだ。交流の為に生徒数人と始めた交換日記に付いても、文書で決裁を上げていない事を指摘され、却って生徒の勉強の妨げになるので止めて欲しいとも。カウンセリングの一環として必要なのだと食い下がるも、他の教師達から次々と糾弾されるだけだった。
「教職員でもないくせに、学校の何が判るんですか!」
「生徒の事は担任が一番良く知っているから、余り口を出さないで欲しい。」
「教育の問題はプロの教育者が行なう。本当はうちの学校にカウンセラーなんて必要ないんです。」
殆どのスクールカウンセラーは週1回8時間勤務の非常勤職員だという。だから、たまに来るだけの人間が口を挟むなという事なのだろう。
彼女は先ず教師達との人間関係を構築しようと、休み時間や放課後に積極的に話し掛けを行ない、その結果ようやく打ち解けたのだが、1年契約の為、教育委員会から次の学校の異動を言い渡されたのだそうだ。せめて1校に3年間は勤務しないと、本格的なカウンセリングは難しいと彼女は語る。
スクールカウンセラーは、不登校、発達障害、非行等の問題を抱えた子供達を臨床心理学の立場から支える為に、文部科学省が1995年度より公立学校に配置する様になった。2003年度迄に公立小中高約7千校に4千人以上が配置されているそうだ。
しかし、現実問題としてはこの制度が上手く機能していない様だ。カウンセリングに理解が在る教師ばかりではない現場に、たった一人で送り込まれるスクールカウンセラー。孤立する事も少なくない。
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・ 不登校の生徒の保護者に面接で「親子関係にも問題が在るのでは?」と助言した所、怒った保護者が教育委員会に訴え出、その結果校長から「一切子供に触れない様に。」と厳命された。
・ 前任の校長から、「不登校や非行で休みがちな生徒には、出来るだけ相談室に入れて良く話を聞いてやって欲しい。」と言われていたが、新任の校長からは「相談室でサボらせず、教室に入れる様に。」と指示され、その結果、登校拒否児が増加してしまった。
・ 不登校の生徒の保護者に「もう少し内的な問題が落ち着いてから、登校を促した方が良いのでは?」と助言したものの、ベテランの担任がその後に生徒の自宅を訪問し、「早く登校しろ!」と叱咤激励した事で、保護者が混乱してしまった。
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カウンセラーがベストと思って成した事が、現場の教師達からは拒絶される。共にプロとしての意識が在るからこそ、相容れない部分も多くなってしまうのかもしれない。でも、その事で現場が混乱してしまうのでは本末転倒と言わざるを得ない。教育委員会がきちんとした方向性を打ち出し、それに基づいて校長が毅然とした態度でカウンセラーを見守る。そういった環境が整わない限り、スクールカウンセラーの孤立は深まるばかりだろう。
スクールカウンセラーが追い込まれているのは、こういった”人間関係”だけが原因ではない。待遇の悪さというのも大きく影響している様だ。臨床心理士等の有資格者がスクールカウンセラーを務める場合、その時給は5千円を超えるという。この金額だけを見ると高額と言える。しかしながら、完全時給制で在る上、1校に付き年間35週か280時間以内等の制限が在るのだそうだ。そうなると、受け持ち校が1校の場合の年収は、最高でも140万円にしかならない。おまけに非常勤故、健康保険も年金も自己負担。台風等で勤務日が休校になったり、「今日は試験なので、来なくて良いです。」と急に電話がかかって来たりと、月によって収入が増減する等、極めて不安定で保障のない生活と言えるだろう。スクールカウンセラーを辞める人間が少なくないというのも致し方ないと思える。
文部科学省では、この制度に対して金銭的補助を行なっているが、来年度以降も補助を続けるかどうかは未定だという。制度そのものが無くなってしまう可能性もゼロとは言い切れない様だ。
心の荒廃が叫ばれる教育界。そのケアを行なうべきスクールカウンセラーの置かれている現状が、こうも脆い様では何をか況やである。
「有識者=著名人で在り、且つ主催者側の意見を代弁してくれる都合の良い人材」と捉えている自分は意地悪でしょうか(笑)?でも、本当にそんな感じがします。幾つもの肩書きを持った有識者なんかは、その典型ではないかと思っています。
動物や幼児への虐待、ホームレスをストレス発散の為に暴行して殺害、高齢者から詐欺を働き大金を巻き上げる・・・。持てる者と持たざる者がハッキリと二分化されて来たこの国では、弱者をいたぶる風潮が強まって来た気がします。為政者は一部の者の代弁者で在ってはならないと思うのですが・・・。
oumo様は原選手世代なのですね。自分は以前にも書きましたが、典型的な王選手世代でした。王さんが大好きですし、かなり王さんに肩入れしている所も在ります。ですから、oumo様が原氏に強い思い入れを持っておられるのも良く理解出来ます。
自分も原氏は嫌いではないです。寧ろ、好きな部類に入ります。仁志選手は我の強い部分も在りますから、”上司”としては使い辛い選手だと思います。でも、そういった異分子を使い切ってこそ名監督に成り得ると思うし、原氏にはそうなって欲しいと期待していました。昨年からの仁志選手の状態を見ていると、やはり起用しなかったのは誤りではなかったかなと思います。
それと、これも以前書いた事なのですが、仁志選手の事も含めて原氏の父親が週刊誌等で内政干渉的な事を喋りまくっていた事も、自分の心証を悪くしました。原氏から色々相談を受けていたという事で話されていたのですが、原氏の気持を代弁する事で仁志選手の放出を既成事実化しようとしているのではないかと思えたのです。
でも、その点を除けば原氏は良い監督だったと思いますし、再度監督を受けられるのであれば応援したい気持は在ります。
外部からの起用でしたら、極論を言えばアマチュアの世界から人材を求めても良いと思っています。星稜高校の山下監督とか、元PLの中村監督とかも在りだと思うのですが、現実問題としては難しいでしょうね。
いつも思うのですが「有識者」っていったいなんでしょうか?
無知な私には全くわかりません。
国の重要な会議にいつも出てくる「有識者」どんな人たちなんだろう
非常に気になります。
giants-55さんがおっしゃるように、もっと広い声を取り入れて、腰をすえてじっくり議論してほしいとよく思うのです。
でも、そんなことはないのです。
あの8月の日航機墜落事故は一生忘れられないです。初めての大阪でずっとテレビのニュースを見ていた記憶が焼きついています。
あのKKコンビも強烈でしたけどね。
国は国民のためにあってほしい。
最近の政治情勢を観るとよく思います。
私は原 辰徳世代なんです。
巨人の四番は原選手だったので、個人的には相当な思い入れがあります。
引退試合での、ホームランに涙を流した男です。
あの試合と、その後の各スポーツニュースを永久保存版で残しています。
仁志選手の件では、私の考えではたとえ、打順が下がろうが、立派な成績を残して、監督に訴えることもできたと思っています。
あきらかに、ふてくされていたような気がして(それが仁志選手なんだろうけど)、プロなら結果で勝負とずっと思っていました。
原ファンだからひいきでしょうね。
外部の人間は良い人いるのかなぁ。
星野さんは正直好きではないので、遠慮してもらって、あとはノムさんか、うーんほかに思いつかないですね。
巨人がみんなから愛される球団になるなら誰でもOKです。
「沖縄で軍令の集団自決はなかった。」ですか。こういう話を見聞する度に、溜息が出ます。「南京大虐殺」の場合、中国の主張する「30万人以上が虐殺された。」というのは”白髪三千丈”的な現実的な数字とは思えないのです。しかし、だからと言って、日本人の一部が主張している様な「南京に於ける虐殺自体が存在しなかった。」というものも、様々な資料を見る限り無理が在ると思うのです。要は、余りにも自己に都合の良い、極端な主張をする事なく、冷静な歴史分析を行なうべきだと思うのです。自虐的な史観は反対だし、何時迄も過去を引き摺る必要もないと思っています。しかし、実際に被害を与えた場合に於いては、相手に対して最低限の配慮をすべきかと。「原爆投下が第二次大戦を結果的に早く終結させたのだから、全く誤った選択ではない。」とアメリカ要人がコメントした際、我々日本人がどれだけ不快な気持ちになったかを思い出せば、他者に対して同じ思いをさせるべきではないと思います。
前年度の教師が大まかなテーマと年間計画を作ってくれるのですが、そのつくった人の好みでやっていますので、これはどうかな???というテーマと内容になっていることがあります。でも、決まっていることなので、それに沿って、細かい部分を作成していくことになるのですが、教科書ない・前例がないということで、不安だらけでした。
まして、学級がうまく機能していない、教科の指導もうまくいっていない、部活も問題ばかり、なおかつ意味不明な仕事を多数抱えているとなると、一番力を抜いてしまうのは総合学習の時間でしょう。
中途半端な文部科学省と教育委員会と学校と教師で、中途半端な教育しかできていない現状です。残念ですが。
「返還された認識票」ですが、涙なしでは読めませんね。あの当時の日本に私が生きていたら、確実に非国民と呼ばれていたでしょう。殺されていたかも知れません。
教育とは恐ろしいものです。
私は沖縄に住んでいるのですが、最近ちょっと面白くないことが地元で話題になっています。
あの扶桑社が出版している社会科教科書がありますが、あの本の執筆にかかわっている人が、なにかわけのわからない団体を作り沖縄にやってきました。
目的は
「沖縄で軍令の集団自決はなかった」
それを証明するためにやってきました。
それで、なかったという結論を出して、歴史教科書から、「集団自決」という言葉を削除するように働きかけをしていくそうです。
私は当時生きていたわけではないので、事実はわかりません。ただ、今戦争体験証言活動を行っている人たちは、わざわざ嘘をつくためにそのような活動をボランティアで行っているのでしょうか。
歴史を検証するということは大切なことだと思いますが、もう少し慎重に時間を掛けてやってほしいです。
歪曲した事実を後世に残さないために。
松井選手いいですよね。
彼が巨人から去るとき、頑張ってほしいと思う反面、このあとの巨人はどうなるだろうって とても不安でした。不安は的中ですが、松井選手の人間性はご両親の育て方と山下監督の素晴らしい指導があり、またそれを受け止める松井選手の心が素晴らしいからでしょうね。
総合学習に付いてのアンケート結果、興味深いものが在りました。独創性を養う意味で、総合学習に期待する親が居るのは心情的には判ります。唯、独創性を養わせる役割を、全て学校に背負わせるのは自分も違うと思いますね。
教育の現場に関ってもいない部外者の自分ですが、教師を生業にしている者達から耳にする話で疑問を覚えるのが、総合学習に使われる題材の多くが教育産業から供される教材だという話。くだらない雑務(元教師で在られたoumo様からは言い辛い話だと思いますが、余りにも瑣末で重要性を感じ得ない業務が、教師に押し付けられている状況には同情を覚えます。)に追い立てられている中、教師達に全て題材を自ら用意しろというのは無理が在る事は理解していますが、授業進行や生徒への対応迄がマニュアル化された”与えられた”教材を使って、本当に独創性の在る授業が出来るものなのだろうか?という疑問をどうしても感じてしまいます。
この意味でも、学校だけに全てを放り投げるのではなく、地域やPTA等も交えてやって行くべきものが、真の総合学習ではないかと感じるのですが・・・。
御推察の通り、松井選手の大ファンです。野球が大好きなので野球選手は無条件に尊敬してしまう自分ですが、人間的な面も含めて尊敬出来る数少ない野球人の一人が彼です。御両親の育て方も立派なのでしょうが、星稜高校時代の恩師だった山下監督の存在も大きかったのではないかと思っています。山下監督が松井選手に教えた言葉に「心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。」というのが在り、彼は今でもその言葉を胸に刻んで野球をしているのだとか。良い言葉ですね。
総合的な学習の時間のについてアンケートがあって、中学教員と保護者との間で意識の差がありました。
教員はなくしたほうが良いと考える方が多く、保護者は総合の時間を評価しているということです。
教員があまりにも忙しくて総合まで時間掛けられないというのが実情でしょう。
私も、中学で2教科を担当して、担任もしていて、校務分掌もかなり割り当てられ、おまけに学年と学校の総合担当になってしまい、かなりすごいことになった記憶があります。
確かに総合的な学習の時間は有意義に使うことができます。しかし、そのための準備が教科の準備以上に大変なんです。
今の学校の状態で総合の時間を充実させるにはかなりの労力と気合と根性が必要になってくるのではないでしょうか。
一方保護者の観点からすると、親がやるべき社会性・人間性を養うことを学校が授業でやってくれるので大変助かるということでしょう。社会見学したり、地域の歴史や文化、等等 これまでの日本では家庭や地域で教育できていたものができなくなってきており、そこで学校を利用して教育しようということになったということではないでしょうか。
でも、学校というところは、本来ならば、勉強を教えるところだと思っています。
勉強をおろそかにしてまで、学校がやるべきなのか?そう考えたりします。
総合担当の教員を雇うか、地域とPTAで協力していくほうがいいと思います。
松井選手・・・giants-55さん、松井選手の背番号ですよね。ということはファンなんでしょうか?
彼は頭がかなりでかいですが、人間の器もかなりでかいですよね。
あの星稜高校時代、明徳義塾戦でのあの出来事のあとの記者とのやり取りを見ていると、風貌もそうですが、18歳とは思えない落ち着いた対応をしていましたね。
あの試合を観てかなり憤慨していた私(ちなみに松井選手の1学年下です)とは大違いで、よく冷静でいられるなぁと高校生の私はこいつはすごいと感心させられました。
長嶋監督がドラフトで抽選したときは、これは運命なんだなとジャイアンツファンとしてはとても嬉しかったですね。
あとは、メジャーで学んだことを、この閉鎖的な日本のプロ野球を変えていくために、戻ってきてくれることを信じています。
松井(秀)選手には、いずれジャイアンツに戻って来て欲しいですね。選手という形で在れ、指導者という形で在れ、ジャイアンツを少しでもまともな方向に持って行けるのは、彼の様な人間が内部に居ないと無理な気がします。勿論、その時にはナベツネが居ないという条件付きですが。
子どもたちが可愛そうです。このアホの連鎖が続いてしまっているので、非常に怖いです。
いずれ、日本は高所得者と低所得者にはっきり分かれるのではないかと思っています。
もちろん、生産能力は落ちますので、海外から優秀で働ける人間がやってくることになると思います。
日本で、外国人に使われる日本人がかなり多くなってくるでしょう。大企業じゃなくて中小企業でも。
野茂投手素晴らしいです。あれだけの芯の強い野球アスリートはなかなかいないです。巨人にもほしい。
自分の哲学を持っていますからね。それがまた間違っていないからいいと思います。結果も残すのはその辺がしっかりしているからだと思います。
日本プロフェッショナル?ベースボールのプレーヤーもぜひ見習って欲しいですね。
ジャイアンツに松井さんがいたらなぁ
二の句が継げないとはこの事です。社会的な評価(地位や学歴)は高いのかもしれませんが、コモンセンスの欠落著しいアホ親。こんな親に育てられた子供は、本当に不幸です。親を反面教師にして、まともに育ってくれれば良いのですが、なかなかそうもいかないでしょうしね。
実際に私も何度か経験があります。
親によって違いますが、理解してもらったほうだと思います。理解してもらえないと、結構大変です。
私が体罰をしたら、親に連絡していたの で、それが良かったかもしれないですね。
やったことは事実ですから、逃げも隠れも しません。言い訳もしません。
それでもやっぱり納得できない親はいるもので、残念なんですけどね。あなたの子どもが普段学校でどのような行動をしているのか、ビデオに撮って見せてあげましょうか?と何度思ったことか。
子どもたちもわかってくれる子も結構いま す。あの先生になら殴られてもいいって言 うのもあります。
気持ちが伝わっているんだなぁと思ってと ても嬉しく思います。こっちも、好きで手 を出しているわけじゃないですからね。
最悪解雇になりますから。そういったこと も考えて、親は行動してほしいです。
親に教育って難しいですよね。でも、日本の未来を考えると、やらないといけないと思いますね。
自分もヤンチャな方だったので、小学校時代は結構、教師から尻を叩かれたりしましたが、教師の側が自己満足の為にやっているのではないという事が、幼いながらにも判り、恨む様な事は在りませんでした。寧ろ、今では事の善悪を判らせて貰ったと感謝すらしています。
唯、あくまでも教師の側にしっかりとした考えと愛情が、又、受ける生徒の側も最低限の判断力が在る事が絶対条件でしょうが。
最低限の判断力を育むべき親に、どうしようもない人間が多いのですから、やはり親の教育というのが最も求められているのでしょうね。
確かにそうです。学校が一番恐れている存在はPTAです。恐れているから問題があっても絶対に外に漏らさないようにします。本当は学校で「このような問題がありますよ」と情報を公開して、お互いに協力して解決して行きましょうというのが 学校とPTAの役割だと思っているのですが、最近の傾向として学校に何か問題があったときや自分の子どもに不利益があったときに、学校を糾弾するための組織になっています。
ある教師が体育祭練習中にダラダラして言うことを聞かない生徒の尻を軽く蹴ったところ、父親が激怒して、文部科学省にクレームの電話をしました。こんな親がいるのです。教師が蹴ることは決して褒められた行為ではないのですが、
親はまず、事実確認のためにその教師にあって話をするべきだと思います。それで、納得がいかないなら、学年主任、生活指導主任、校長という形で行き それでも納得いかないなら、教育委員会へと そういう形でやってもらいたいです。子どものことを信じることは大変素晴らしいと思いますが、教師のことも少しは信じてほしいなと思いますね。
教師と親との信頼関係が築けない状態ですね。
こんな状態でよい教育ができるわけないのに・・・
もう少し子育て、しつけについて家庭で考えてほしいし、giants-55さんがおっしゃるように義務と権利についてしっかり教えることができたらいいなと思います。単なる 【 わがまま馬鹿 】ばかりです。
ジャイアンツはもう少し夢と希望を与えることができる試合をしてほしいですね。
ジャイアンツファンとして子どもたちのジャイアンツ離れは残念なことです。
親や子供達に対して、学校や教育委員会が萎縮し過ぎている気がします。自分の親が小学生の頃とかは、質問に答えられなかった生徒を窓際に立たし、その頭上に虫眼鏡を翳して、太陽光で髪の毛をジリジリと焼き、「反省しろ。」とのたまった教師が居たと言っていました。むやみやたらに顔面を叩き、生徒の鼓膜を何度も破った教師等も居たとかで、この頃は教師=絶対的な存在だったと。こんなのは全く容認出来ない話ですが、逆に今の様に萎縮し過ぎるのも問題です。
権利ばかりを主張し、義務を負わないアホ親達が、何でもかんでも学校に対してクレームを付け、学校は学校でそれを少しでも避ける為に事勿れ主義に走った結果が、この様なおかしな環境を作り上げてしまったと思っていますが、親も学校も自らの責務をしっかり自覚した上で、成すべき事はきちんと成すという姿勢を貫いて欲しい。将来を担う子ども達の事を第一義に考え、さりとて甘やかしたり媚び諂う事無く、親&学校一体となって育成すべきでしょうね。
ジャイアンツは、チームとしての闘いが出来ていないのが致命的かと。選手個々人が、てんでバラバラに打ったり守ったりしている感じが強く、それが一旦はまれば大爆発するけれども、そうでない場合は僅差に泣く試合を重ねる結果になっているのではないかと。一貫性の無い采配をしている堀内監督も勿論問題でしょうが、きちんと方向性を指示&指導出来ないコーチ陣も責任を問われるべきではないかと思っています。
こんにちは。
僕は学校の教師という職業は、すでに既得権益化してしまっていて、子供のための仕事ではなくて、教職員組合員のための組織になってしまっていて、解体しないとこの国はどんどんダメになるなと思います。
そして、そういう教師の権利を中心にした仕組みの中では子供のために頑張る人の報われる余地はあまりないですし、我々一般市民も、不祥事があれば叩く一方で、頑張っている人を支えることはあまりしないように思います。
ところで心理関係ですが、心理学系の大学院の知人いわく、心理学科の問題は、自分自身に心理的なトラウマとか癒されたいという気持ちが強い人が入学してくるから、ろくなカウンセラーにならない
ことだそうです。すごく納得してしまいました。
ところで、しつけができていない子とかを集めて一般の学校から隔離するぐらいのことをしないと、普通の子の権利を奪っているように思います。
教職員なんて基本的に左派なので、差別や格差は認めないでしょうが、授業をしっかり成立させてしっかりと国際的に通用する学力をつけてあげないと、今以上に厳しくなる将来に彼らはちゃんといきていけないように思います。
どこの世界でも多少なり正直者が馬鹿を見ることがあると思いますが、学校ほど正直者が馬鹿を見るところはないと思います。
先生も生徒も。
金銭せびりにあったら、お金を持ってきたお前が悪いと言われ、殴られたら、殴られるようなことをしたお前が悪い そんなことを平気で子どもたちに言う人が教師でいますからね。
日本の法律はいつからそんなにおかしくなったのか?と思うくらい変なことがまかり通っています。
人のものを盗んだり、傷をつけるような行為を肯定することがなぜできるのかわかりません。
rinnken1228さんがおっしゃってる カウンセラーに対する認識も、現場で働くことによって変ってくると思います。
カウンセリングが絶対とは思いませんが、子どもたちを理解するうえで非常に有効だと思います。
教師もカウンセラーもお互いの主張ばかりではなく、子ども達に何が必要なのかを一緒に検討していけたらいいなと。プロフェッショナルなら自分の仕事を全うしてほしいです。
giants-55さん 昨日巨人打線が大爆発で勝利しました。
ここ何年かの巨人の試合振りなのですが、接戦に非常に弱く、ワンサイドゲームにかなり強い そう思います。
要するに巨人は野球が強くない??といえるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
僕は大学の授業で「教育相談」という教職課程必修の授業を受講しているのですが、この授業を担当しているのは現役のスクールカウンセラーです。現場で活躍している方による授業なので、とても興味深く、好きな講義の1つです。
その授業でも、教師の「教育相談(=カウンセリング)」に対する認識の低さというものを、取り上げていました。そこには教師の「カウンセリング=軟派」な先入観や、「教師=教育のプロ」というプライドが見え隠れしているのだとか。
僕自身、正直カウンセリングに対するイメージはあまりよくありません。軟派なイメージはいまだに払拭できませんし…だけど、カウンセラーによる心のケアが大きな効果をもたらすことも事実です。そのあたりをもう少し(いや、もっと…)柔軟に対応していく必要があるのかもしれませんね。
花田家の中傷合戦、何か情けないです。遺産が絡むと親族でゴタゴタが起きるのは世の常なのかもしれませんが、何もあんなに外部に晒さなくても良いのに・・・。
あと、花田家の元家政婦っていうのは一体何なのでしょうか?以前にも花田家の話を暴露しまくっていましたが、ベッカム家の元メイドといい、彼女達に守秘義務という概念はないのだろうか。正義面してペラペラ喋りまくっていますが、社会正義に基づく内部告発ならいざ知らず、彼女等の暴露には金欲しさのさもしさしか感じられないです。
そういえば、あの貴乃花親方、あの髪型は本人は似合っていると思っているのでしょうか。
それならいいのですが、かなり違和感を感じます。
ちょっと不気味です。申し訳ないですけど。
二子山親方がお亡くなりになってからというもの、テレビに毎日出ている姿を見ると、なんともいえないし、他人の家庭のことはほっといてあげればいいのにと思います。
ハカイダーも本当に破壊ダーとして、球界の悪い習慣やしきたり、伝統を木っ端微塵にしてもらいたいです。
非常勤講師をされていた頃の御給料が、多くても13万円ですか。4万円の時も在ったという事では、正直生活出来ないですよね。御金が全てだとは思いませんし、充実した日々だったと感じておられるのは良かったなあと思いますが、そうは言っても対価が余りにも低過ぎますね。
不真面目でもきちんと給料を貰っている教師がいる一方で、必死に働いても非常勤講師というだけで雀の涙程度の給料しか貰えない。理不尽ですね。
知り合いの教師は「不真面目な教師をバッサリ切って、やる気の在る人間をどんどん採用すべき。」と語っていました。そうする事で、非常勤という立場で苦しんでいるやる気のある人間を救済出来れば最高なのでしょうが・・・。
こんな人たちが教育しているんだなぁと思うと驚きですよね。
プライドは人一倍だから、アドバイスでもしようなら大変ですよ。助言なんていらねぇという人がいっぱいいますからね。
一部の方たちは常識のある教員だったのでその人たちのおかげで学校がうまく機能している状態だと思います。giants-55さんのお知り合いの方もそのようなことを感じているのではないでしょうか。
カウンセラーの方々が戸惑うのは当然だと思います。でも、それが教育をする社会なのでその中で、うまく自分がやりたいことやっていくようにしていかないと、反発されるだけですからね。人間心理をもう少し学びましょうと、心理学のプロに対して思ったりするのです(笑)
非常勤講師は正直厳しいですね。私も、サラリーマン辞めて最初に学校で働いたのが、理科の非常勤講師でした。専門は保健体育ですけどね。給料は1時間当たりもらっていましたので、授業カットは当たり前で、学校に行ったら今日の授業がなかった・・・こんなこともありました。でも、それはそれで、生徒とコミュニケーションをいっぱい取れるし、理科の教材研究もできるし、考えようでは自分にプラスになると思って行動していました。理科が専門ではないので、参考書などを購入して、勉強しないと1時間の授業ができなかったので、いつも深夜まで勉強しないといけなかったし、給料も多いときで13万円少ないときは4万くらい、夏休みは仕事なしでした。それでも、子どもたちと遊んで、授業もして、沢山学ぶことがあったので有意義な時間を過ごせたと思います。ただ、借金はできましたけどね。
気持ちだと思います。教員もカウンセラーも。
それだけ、難しいかも知れませんね。
真面目に学校で働くということが。
ある程度の経験と図太さがないといけないと思います。これが絶対良いというのはないと思いますが、子どもたちのために ということを考えてやっていけたらなと。
いろんな先生がいるのも当然、いろんな保護者がいるのも当然、いろんな子どもがいるのも当然、お互い認め合って、高めあえたらいいですね。
学校って或る意味”閉ざされた空間”ですので、余所者を排除したいという”ムラ意識”は根強く残っているのではないでしょうか。それに加えて、「自分は人にモノを教える存在なのに、何故他者から助言されなければならないのだ。」といった妙なプライドも介在しているのではないかと。
唯、AERAの中に登場するスクールカウンセラー達は概して年齢が若く、それ故に言葉が”ストレート過ぎる”感じも受けました。そのストレートさが、生まなくても良い軋轢を生んでしまっているのではないか。社会経験を積んでいく中で自然と磨かれて行くコミュニケーション能力が、未だ不足しているのではないかと自分は感じました。
それと、思うのですが、大抵の人間は己が不安定な状況(仕事面、私生活面等で。)に置かれていると、不安から愚痴をこぼしたりしがち。余程人間的に出来ている人でないと、自分を律するのは非常に難しい事ではないかと。スクールカウンセラーの置かれている環境を考えると、oumo様が書かれておられる様な人達(人の悪口を平気で言ってしまうといった臨床心理士。)の存在もそういった部分に起因しているのかなあと。でも、そうは言ってもプロなのですから、やはりしっかりと己を律しないといけませんが。
結局の所、教師もスクールカウンセラーも、或る程度”社会で揉まれた”上で、子供達に接する機会を与えるというのがベターな気がしますね。
イメージチェンジですね。いいですね。
教育現場で当然のように起こりうることですね。
教員は頭がなぜか固い人が多くて非常に困ります。
カウンセラーですか、実際に自分もカウンセリング受けていましたからね。今現在もお付き合いしていますし、いろいろ考えさせられます。
学校現場で、カウンセラーが入ってきたのは最近のことですよね。子どもたちの指導が今までと違って難しくなってきていて、特に心に問題を抱えた子が多いということで(実際は親の心の問題)学校に配置されるようになりました。ただ、どんなことを学校でするのかという議論はあまりなかったような。ただ、心の問題がマスメディアでよく取り上げられているから、じゃあ心の専門家でも非常勤で雇っておこう。そんな安易なやり方が教育行政のやり方です(笑)
学校では当然いろんな問題があります。でも、学校は特に義務教育では、基本的な生活習慣を教えていきます。最近では校則というといろいろ文句言われたりするので、ルールとでも言いましょうか。社会に出たときに最低限のルールを知らないといけないので、遅刻しない 制服を着る スリッパやサンダルではなく靴で学校に来る タバコ持ってこない
そんな当たり前のことを日々指導しているのですが、カウンセラー(ここでは臨床心理士)がいる相談室(別名もあるけどここではこれで)では、治外法権があって、何でも許される場所になります。日ごろ子どもたちの指導で頭を抱えていて、精神的にもまいっているときに、授業中相談室で、ジャージで、漫画読んだり、卓球したり、お茶したりしている生徒を見ると、????と思うのです。これが意味があるならいいのですが、子どもたちの中で、何でも許されるから、相談室に行きたい、なんでも聞いて許してくれるから、相談室の先生がいい、ということになります。
実際になってしまったのですが、どんな効果があったのか疑問です。
ただ、心理学は絶対だとおもいませんが、必要だと思っています。
違う学校であったことですが、学校が荒れていて、授業がまともにできない学校だったのです。原因は親に問題を抱えている生徒が多く、子どもの教育なんてできる状況ではなかったのです。だから、子どもたちが、問題行動することは理解できました。ただ、どんな心の病を持っていようが、窃盗や恐喝、友達を殴ったりする傷害事件を起こすのは、駄目だという指導が必要だと思うのです。しまいには、教員に対する暴力や、セクハラ等がかなり目立つようになって来まし
た。この学校には相談員という肩書きを持つ保健体育教員が配置されていましたが、学校で権力を握っている教員の要望で配置された人間です。なので、心理の専門ではないので、子どもたちの問題解決のために一部の教員で話し合いをして、警察や児童相談所、カウンセラーなど第三者的な機関と協力して、指導していくことができないかと、職員会議で訴えたのですが、残念、却下です。
諦められないので、いろいろな方に相談して、校長に言ってもらったのですが、まったく聞く耳を持たない石頭の校長なので、諦めました。
当然ながら学校はどんどん悪くなっていく一方で、今でもそれは改善されていないという現職教員の嘆きがありました。
こんなもんでしょうか 学校って。
教育改革のところで意見させてもらったのは、臨床心理士でも、まったく人の気持ちを理解できない、世間体を気にしたり、人の悪口を言ったりする人たちがいるということです。人間ですから、完璧を求めてはいけないと思いますが、あくまでも、心理のプロフェッショナルですから、自分が発言したら相手がどのように捉えるか理解しながら、お話しすると思ったのですがね。子どもたちのことを本気でよくなってほしいと思っているかかなり疑問を持つ臨床心理士もいらっしゃるから・・・。
よく考えると教員も臨床心理士も一緒だなぁと。
資格があるからその場で働ける。でも働けるけど、中身はそれからの勉強と努力と、子どもを思う気持ちで作られてくるんだなぁと。
教育改革と考えると、教員は採用試験受験基準に社会人の経験が必要で、それプラス免許更新制度にして、2~4年程度で試験を受けてもら、合格なら、また教員として、不合格なら再度勉強して合格目指すか、諦めてサラリーマンにでもなる。
臨床心理士(カウンセラー)は心理教員という形で常勤で雇ってもらう。身分をしっかり安定したものにしてもらい、なおかつ更新制度にする。
そんな感じで改革できたらいいなぁと思います。
私がカウンセリングを受けている人は臨床心理士ではないのですが、非常に人間的に尊敬できる人間です。学校で働くカウンセラーは臨床心理士ではない方も多数いて、年配の方が結構多いです。大学で、心理学を学んだわけではないのですが、この人自身が、人生において、苦しみ悲しみ絶望感で生きる意味を忘れていたとき、良いカウンセラーとの出会いが人生を変えたのです。そのきっかけがあって、自分も苦しんだり、悩んだりしている人の役に立てたら そんな思いでカウンセラーになられた人が多いです。
ですから、そのような方のカウンセリングを受けると非常に包容力があり、気持ちがよくて、生きる勇気が心の底から湧いてくるのです。臨床心理士は資格で考えると確かにすごいと思いますが、人間的にすごいかどうかは別問題です。
長々と失礼いたしました。誤字脱字もあるかと思いますが、ご了承下さい。
でもどんな仕事をしても
やっぱり最後は人間力(中身で勝負)だと思います。
どこも例外なく。
正直いやになりましたよ。