定額給付金が支給された所も在るが、我が家が属する自治体ではこれからという事で在る。昨年の記事「給付金」でも触れた様に、この定額給付金の意味合いに強い疑問を持っており、支給が決まったからと言って、それをスンナリ受け取る気にもなれない。決して裕福では無いので御金が欲しくない訳では無いが、我が家よりも厳しい経済状態の家庭は存在し、そういった家庭の為に活かされる方法はないものかと思っていた。
病気や災害、自殺等で親を失った遺児を支援する「あしなが育英会」に対して、「定額給付金を奨学金に宛てて欲しい。」という寄付が相次いでいるという記事が、25日付けの東京新聞(夕刊)に。学生時代に病気で父を失った自分だが、幸いにも周りの人々の温かさに助けられて何とか大学迄進学する事が出来た。幸運と不運は紙一重で、自分(giants-55)も困窮する状況に追い込まれていた可能性も在り、遺児達の暮らしは決して他人事に思えない。普段は大した事が出来ないけれど、定額給付金は寄付する事にした。
話はガラッと変わるが、2年前に「読めますか?」という記事で「近年、難読な名前を子供に付ける親が増えている。」事を紹介した。その傾向は続いている様で、週刊文春(4月23日号)の「先生が名前を呼べない子供たち」という記事には、「先生も大変だ。」と思ってしまう難読な名前が並んでいる。御自身が担任として教壇に立ち、出席簿を開いて生徒達の名前を読み上げて行くと仮定して、次の名前を読んで欲しい。
*************************************
1. 愛声
2. 瑚乃翔
3. 楽々苺
4. 希友
5. 遥和
6. 悠天
7. 心望音
8. 叶崇
9. 星空
10. 楓
11. 美海
12. 海音
13. 天使
14. 珠笑莉
15. 綺亜羅
16. 絆
17. 聖祈
18. 強運
19. 悠路
20. 阿羅紫
21. 樹里亜菜
22. 剣
23. 清文
24. 星鈴
25. 宙夢
26. 美衣
27. 和源
28. 空良
29. 沙風
30. 黎亜瑠
*************************************
自分(giants-55)の名前に使われている漢字は一般的な部類に入るが、その読みは難読と言えるかもしれない。一応は人名事典に載っている読み方なのだが、これ迄正しい読み方をされた事は皆無。そんな自分の名前ですら「読み易い。」と思ってしまう程、上記の名前(感覚的に14.や18.、19.~23.、26.~30.は読めるかもしれないが。)は難読と言えるだろう。正解は次の通り。
*************************************
1. あのん
2. このは
3. ののま
4. きっと
5. のわ
6. ゆうあ
7. みくり
8. ありす
9. せいら
10. はいじ
11. まりん
12. かいと
13. みかえる
14. じゅえり
15. てぃあら
16. はあと
17. みさ
18. らっきい
19. ゆうろ
20. あらし
21. じゅりあな
22. ぶれいど
23. せぶん
24. きらり
25. らむ
26. みにい
27. わあげん
28. そあら
29. さあふぁ
30. れある
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病気や災害、自殺等で親を失った遺児を支援する「あしなが育英会」に対して、「定額給付金を奨学金に宛てて欲しい。」という寄付が相次いでいるという記事が、25日付けの東京新聞(夕刊)に。学生時代に病気で父を失った自分だが、幸いにも周りの人々の温かさに助けられて何とか大学迄進学する事が出来た。幸運と不運は紙一重で、自分(giants-55)も困窮する状況に追い込まれていた可能性も在り、遺児達の暮らしは決して他人事に思えない。普段は大した事が出来ないけれど、定額給付金は寄付する事にした。
話はガラッと変わるが、2年前に「読めますか?」という記事で「近年、難読な名前を子供に付ける親が増えている。」事を紹介した。その傾向は続いている様で、週刊文春(4月23日号)の「先生が名前を呼べない子供たち」という記事には、「先生も大変だ。」と思ってしまう難読な名前が並んでいる。御自身が担任として教壇に立ち、出席簿を開いて生徒達の名前を読み上げて行くと仮定して、次の名前を読んで欲しい。
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1. 愛声
2. 瑚乃翔
3. 楽々苺
4. 希友
5. 遥和
6. 悠天
7. 心望音
8. 叶崇
9. 星空
10. 楓
11. 美海
12. 海音
13. 天使
14. 珠笑莉
15. 綺亜羅
16. 絆
17. 聖祈
18. 強運
19. 悠路
20. 阿羅紫
21. 樹里亜菜
22. 剣
23. 清文
24. 星鈴
25. 宙夢
26. 美衣
27. 和源
28. 空良
29. 沙風
30. 黎亜瑠
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自分(giants-55)の名前に使われている漢字は一般的な部類に入るが、その読みは難読と言えるかもしれない。一応は人名事典に載っている読み方なのだが、これ迄正しい読み方をされた事は皆無。そんな自分の名前ですら「読み易い。」と思ってしまう程、上記の名前(感覚的に14.や18.、19.~23.、26.~30.は読めるかもしれないが。)は難読と言えるだろう。正解は次の通り。
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1. あのん
2. このは
3. ののま
4. きっと
5. のわ
6. ゆうあ
7. みくり
8. ありす
9. せいら
10. はいじ
11. まりん
12. かいと
13. みかえる
14. じゅえり
15. てぃあら
16. はあと
17. みさ
18. らっきい
19. ゆうろ
20. あらし
21. じゅりあな
22. ぶれいど
23. せぶん
24. きらり
25. らむ
26. みにい
27. わあげん
28. そあら
29. さあふぁ
30. れある
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ですから、子を授かった親は子の名前を真剣に考える必要があるでしょう。
自分の趣味を子供の名前に反映するのは考え物です。知人にサッカー好きな人がいます。その人の子は秀人(シュート)といいます。その子がサッカー大嫌いな子ならどう思うのでしょう。幸いその子はサッカー部で自分の名前を気に入っているようですが。また、阪神の藤川球児投手。これ以上ない名前ですが、もし彼が野球嫌いの人だったらどうでしょう。
親は、自分の趣味だけではなく、その子の人生全体を考えて名づけるべきですね。
昔「悪魔ちゃん命名騒動」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E9%AD%94%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E5%91%BD%E5%90%8D%E9%A8%92%E5%8B%95)というのが在りましたね。子供は親を選べないし、自身の名前も“原則”選べない。子供への愛情及び「悪魔」という名前を付ける正当性を主張していたあの父親ですが、その後の経緯(http://tvmania.livedoor.biz/archives/50591861.html)を見る限りでは愛情云々では無く、単なる親のエゴだったとしか自分には思えませんでした。
「自身が尊敬する人の名前を付けたい。」と思う親が居るのと同様に、「自身が好きな対象に関する名前を付けたい。」と思う親も居る事でしょうから、その事自体は否定しないのですが、唯、子供の好きな対象がそれと異なった場合には親子共々複雑な思いになるのは確かでしょうね。
法事で親類が集まった際もやはりこういう名の子が登場し、帰った後には「結局あの子の名前は何だったのか」、誰も思い出せないということがあります。我々の頭にある常識的な日本語の名や単語ではないからです。
でも難読、当て字というのは昔からあり、有名どころでは皇族、華族(特に公家系)等の上流階級の人の名は戦前から難読が多いような気がします。思うに簡単に読めない名をしきたりとする考えでも合るのかもしれません。最近の人であれば例えば三笠宮の息子のほう(ヒゲのほう)の名前をルビ無しで読める人はなかなかいないでしょうし、「徳仁」「礼宮」「紀宮清子」「敬宮」とか「承子」。。。
予備知識がなければ正確に読めないでしょう。
難しい名前系、30年ぐらい前までだとこの手の漢語がらみのが主流で大概「御爺さんがつけた」という話で納得したのです(おそらくgiants-55さんの名前もその系統ですよね^^?)。でもこの手の難読名前は読めないと文句は言われてもバカにはされない、ですよね?
私は難読ではないのですが、姓名判断に凝った町の長老に依頼して名づけられたそうで何とも大層な大時代的な名前なんです。同時期に同じ人に名づけられた人が男女問わず数名知っていますが、皆大時代な名で、名前負けしております^^;。
20年ぐらい前から新路線の名前が登場したような記憶があります。30年ぐらい前から「宇宙」とか「太陽」とか大言壮語路線、「愛と誠」路線はありましたがまだ読める範囲でした。
>先生
10年ぐらい前でしたが、学校の先生と付き合いが深い部署にいた折、若い女性の先生の子供の名前が「ありす」(漢字はなかったような気がします)であると知った際、思わずぶっ飛んだ記憶があります。予備知識としてその手の名前は「昔ヤンチャしていたようなタイプの人」の子供の名前だと思っていたので、「えー、この人がー」と驚愕したのでした。。。^^;;
その子ももう高学年でしょうか。
現代風難読物は親の心理がつかみかねる名前という感覚を持っています。
余談で申し訳ありませんが戦時中によくある名前「勝利」「勝男」「勝子」「信勝」、戦後の平和や発展を希望する名前群、あるいは「家制度」が絡む名前(嗣の字が付いたり、年長順が分かる名前、また「跡継ぎを期待されない子供」にワザと「外」の字をつける地域が北陸や信越にあります。大体50代以上に多く、逆に50代以下には滅多にいない名前ですが)、これらは親の意図がはっきり出ています、でも今の感覚から行くと面倒な名前という気がします。外が付く名前もそうですが、特に農家の子沢山世代に多い「留吉」「末子」なんてのは育ちが分かってしまい気の毒です^^;。
時代と共に、子供に良く付けられる名前というのは変わって行くもの。女子で言えば大昔は「鶴」とか「亀」といった動物に因んだ名前が結構在った様ですが、これもその動物に関するプラス・イメージを親が子供に託したと言えますね。そして時代が進み、「淳子」や「恵子」といった「○子」という名前が多く登場。そういった名前が減り始めた頃と前後して難読な名前が現れ始めた気がしますが、近年では難読な名前が更に増えつつ在る一方で、昔の「○子」という名前を付ける親が徐々に増えて来ているとも。多くの親は子供の幸せを心から願い、愛らしい名前を付けている事には変わりないと思っています。
「夜露死苦(よろしく)」や「愛羅武勇(あいらぶゆう)」等と似た感じがしないでも無い名前も中には在りますが、純粋に「音の響きの可愛らしさ」という観点から付けた名前も在るのでしょうね。
子供に中々恵まれなかった豊臣秀吉。側室の淀殿が彼との間の子供を産んだ際、「棄(すて)」という幼名を付けました。後に「鶴松」という名前に変わったこの子は、幼くして亡くなってしまいます。そして再び淀殿が懐妊&出産し、その子は「拾(ひろい)」と名付けられ、後の「秀頼」となる。この話は非常に有名ですが、全く状況が判らないと「子供の名前に「棄(すて)」とか「拾(ひろい)」なんて付けるのは、ふざけ過ぎている(不謹慎だ)。」となりましょうが、「棄」のばあいは「『捨て子は育つ』という迷信が在り、この子には元気に育って欲しいので場内で一旦捨てて、これを偶然拾ったという事にしよう。」という思いが、又、「拾」の場合は「待望の長男(鶴松)が若くして亡くなってしまった事を受け、『棄で駄目だったから、今度こそ元気に育って欲しいので、拾にしよう。』という思いがそれぞれ秀吉に在ったという、マイナス要素では無く逆にプラス要素で付けた名前なんですよね。
「音の美しさ」や「字その物が持つ意味合い」から、その組み合わせで名前を付けるケースは在りますね。私見で言えば「音の美しさ」という点で、「天使=みかえる」なんていうのは美しさを感じた訳ですが、難読で在るのは間違い無いかと。
「旅順」で「りょーじ」ですか。先ず読めない名前でしょうね。日露戦争絡みで、兄弟が居られれば「馬瑠知駆(ばるちっく)」なんていうのも在りそうな。
週刊文春の記事には、この状況を危惧する日本司法支援センターの加藤卓也弁護士のコメントが記載されている。「名前は、その人物が社会で認識されるための符牒です。他人が読めない名前には、社会性がありません」と。
<以上4月24日 mixiニュース(Business Media 誠)より転載。
あいかわらずバカ親のオモチャにされる子供が後をたちませんね。子供がかわいそうです。子供にこんな名前をつけるバカ親の顔をみて小一時間説教をしてやりたいものです。幸いに私の周りにはそんな変な名前をつけた親が居ないのが救いなのですが。
なんだかだんだんと日本が劣化していく気がしてしょうがありません。95年に李鵬元中国首相がオーストラリアを訪れた時、フォーク首相との会談で、話題が日本のことに及んだ時、李鵬首相より「あんな国、20年もすれば消滅していますよ」といったそうですが、日本は日本人個人の内部から崩壊していきそうな気がします。こんな国に一体誰がした!
その責任の一端は子供たちの教育をつかさどる日教組であると思いますが。
加藤卓也弁護士のコメント、所謂「人名事典」に載っている範疇の難読漢字も在りますから全てを一括りには出来ませんが、言わんとしている事はその通りだと思います。
日本が劣化して行っているというのは、自分も感じる所。唯、古代の遺跡から「今時の若者はどうしようも無い。」といった現代でも相通じる年長者の不満を記した物が見付かったりもしており、意外とどの時代でも「我が国はどんどん駄目になっている。」と思っているのかもしれません。
日教組におかしな点が少なくないとは自分も思います。何よりも子供達の事を置き去りにして、自らの私利私欲の為に活動している様に“思える”点は非常に疑問。しかし「日教組“だけ”が悪なのか?」となると、それも違う様に感じます。(tak様も「責任の一端」と記されている様に、その辺はきちんと認識されておられますが。)教育行政を司っていた(いる)文科省(旧文部省も含め。)や、それを監督すべき政治家達(与野党を問わず。)にも責任が在るでしょうね。そして子供達を見守る大人達の責任も全くゼロでは無い筈。傍観者で居られるのは、普段から子供達のおかしな言動を見掛けたら逐一指導出来ている人だけではないかという気がします。最終的に教育を司る組織の責任は当然大きいけれど、教育というのが学校だけで為される物でも無く、国家&国民の責務。
以前、祖母の死去の際に祖母の謄本を取ったのですが、曽祖母の名前は変体仮名(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8F%E6%B0%91%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E5%8F%B0%E5%B8%B3%E5%8F%8E%E9%8C%B2%E5%A4%89%E4%BD%93%E4%BB%AE%E5%90%8D)を使っており誰も読めませんでした。
名前というものは時代によって変化するものなのでしょう。この曾祖母の名前を例に挙げるまでもなく、現在90代以上の女性の名前には現代では考えも付かないような「変な名前」が時折見られます。もっとも男性も「捨松」だの「丑松」だの今から考えると珍妙です。
どうでも良いが自分の父親の名前は「吉明(ヨシアキ)」ですが、数年前病院で「キチメイさんですか?」と言われた事があります。本人の友人同士ではたまに音読みで呼び合うことはあるようですが、そういう場でそんなふうに呼ばれてちょっと困惑したそうです。
外国では中国のアヘン戦争後~1945年ごろまでの富裕層の名前には英国風の名前がつけられた例が多々あります(現在でも香港、台湾やでみられます。もしかすると現代中国の大都市でも復活しているかも)。中国語名と併用している例もあれば英語名のみという例も多く、何かの本でその風潮を憂う当時の中国の愛国者だったかあるいはそういう風潮を馬鹿にした当時の日本人だったかの発言を読んだ記憶があります。
キリスト教圏では聖人の名を各国語流につけるのが定例ですが(例えば英語「メアリー」仏語「マリー」独語など「マリア」)、第二次世界大戦後は欧州に於いて「アメリカ風の名」をつけるのが流行った頃があり、現在でもイタリアやフランスで見受けられるそうです。