所謂ジャンクフードが好き。「物凄く美味しい!」という訳では無いけれど、手軽に食せるのが良い。でも、そればかりでは飽きてしまうし、時には料理人の“細工”が楽しめる料理を食したくもなる。小説も同様だ。手軽に読める作品も良いけれど、時にはじっくり腰を据えて読む作品を手に取りたくなる。
若い頃に良く読んでいた赤川次郎氏の作品は、ジャンクフードの範疇に入るだろう。誤解して欲しくないのは、ジャンクフードというのをマイナス・イメージで考えている訳では無いという事。「誰でも手軽に読める、面白い作品。」という意味で在って、決して「質が劣っている。」というのでは無い。作家は皆、それこそ身を削って作品を仕上げていると思うし、「手軽に読める作品=劣等」と断じてしまうのは、その作家に対して非礼な事。
今でも好きな作家の一人で、出版された全作品を読破している西村京太郎氏。トラベル・ミステリーを著す第一人者と称される作家だが、彼の作品もジャンク・フードの範疇に在ると思っている。手軽に読めて、面白い作品ばかりだからだ。そんな彼の近年の作品を読んでいて気になるのが、「頁稼ぎ」と思える様な点が見受けられる事。2月に刊行された作品「吉備古代の呪い」から、一部を抜粋してみる。
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肝心の、ワインのボトルは、部屋には、残されていなかったから、犯人が、持ち去ったのではないかと、一一〇番した。ホテルのルーム係の男性が、十津川に、話した。「今朝、ホテルに、岡山の吉野多恵子という女性の方から、電話があったんです。兄が、そちらに、泊っているが、いくら電話をしても出ない。何かあったのかもしれないので、部屋を見てくれませんかと。それで私が、マスターキーを使って部屋に入ってみたら、このお客さんが、死んでいたんです。」
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「こんなに読点(、)を使う必要在るの?」と思われた人も居られるだろう。読点が余り使われていない長々とした文章も読み難いが、これ程迄に読点が多いと、それはそれで気になって仕方無い。たかが読点なれど、これだけ多用すると全体ではかなり頁数を稼げるだろう。蔵書を数年前にドカンと処分してしまった際、西村作品も含まれていた。故に現物が無いので断言は出来ないが、昔の彼の作品はこんなに読点を使用していなかった様に思う。
又、彼の作品は基本的に雑誌に連載されているケースが多いので、それ迄の経緯に触れざるを得ないという事情が在るのだろうが、それにしても台詞の中で長々と経緯を何度も説明するというのは、まるで“橋田ドラマ”の様で辟易としてしまう。拳銃や車の仕様を必要以上に長々と説明するのも含めて、頁稼ぎをしている様に思えてしまうのだ。
彼の作品がジャンクフードの範疇に在るとしたが、デビュー当時の作品は異なっていた。「四つの終止符」や「天使の傷痕」、「歪んだ朝」、「南神威島」、「汚染海域」等々、所謂社会派ミステリーと称される、じっくり腰を据えて読みたい小説が多い。ジャンクフードのテーストも良いが、時には又「四つの終止符」の様な作品も著して欲しい。
若い頃に良く読んでいた赤川次郎氏の作品は、ジャンクフードの範疇に入るだろう。誤解して欲しくないのは、ジャンクフードというのをマイナス・イメージで考えている訳では無いという事。「誰でも手軽に読める、面白い作品。」という意味で在って、決して「質が劣っている。」というのでは無い。作家は皆、それこそ身を削って作品を仕上げていると思うし、「手軽に読める作品=劣等」と断じてしまうのは、その作家に対して非礼な事。
今でも好きな作家の一人で、出版された全作品を読破している西村京太郎氏。トラベル・ミステリーを著す第一人者と称される作家だが、彼の作品もジャンク・フードの範疇に在ると思っている。手軽に読めて、面白い作品ばかりだからだ。そんな彼の近年の作品を読んでいて気になるのが、「頁稼ぎ」と思える様な点が見受けられる事。2月に刊行された作品「吉備古代の呪い」から、一部を抜粋してみる。
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肝心の、ワインのボトルは、部屋には、残されていなかったから、犯人が、持ち去ったのではないかと、一一〇番した。ホテルのルーム係の男性が、十津川に、話した。「今朝、ホテルに、岡山の吉野多恵子という女性の方から、電話があったんです。兄が、そちらに、泊っているが、いくら電話をしても出ない。何かあったのかもしれないので、部屋を見てくれませんかと。それで私が、マスターキーを使って部屋に入ってみたら、このお客さんが、死んでいたんです。」
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「こんなに読点(、)を使う必要在るの?」と思われた人も居られるだろう。読点が余り使われていない長々とした文章も読み難いが、これ程迄に読点が多いと、それはそれで気になって仕方無い。たかが読点なれど、これだけ多用すると全体ではかなり頁数を稼げるだろう。蔵書を数年前にドカンと処分してしまった際、西村作品も含まれていた。故に現物が無いので断言は出来ないが、昔の彼の作品はこんなに読点を使用していなかった様に思う。
又、彼の作品は基本的に雑誌に連載されているケースが多いので、それ迄の経緯に触れざるを得ないという事情が在るのだろうが、それにしても台詞の中で長々と経緯を何度も説明するというのは、まるで“橋田ドラマ”の様で辟易としてしまう。拳銃や車の仕様を必要以上に長々と説明するのも含めて、頁稼ぎをしている様に思えてしまうのだ。
彼の作品がジャンクフードの範疇に在るとしたが、デビュー当時の作品は異なっていた。「四つの終止符」や「天使の傷痕」、「歪んだ朝」、「南神威島」、「汚染海域」等々、所謂社会派ミステリーと称される、じっくり腰を据えて読みたい小説が多い。ジャンクフードのテーストも良いが、時には又「四つの終止符」の様な作品も著して欲しい。
書籍と関係ありませんが、ジャンクフードでマクドナルドのダブルチーズバーガーがやめられません。
ところで「ジャンクフード」というより「ファストフード」といったほうがイメージしやすいかもしれませんね。
iorin様も西村作品を読んでおられましたか。読み易くて、尚且つ面白い。構成力を含め、彼が類稀なる作家なのは確かで、それだからこそ45年以上も第一線で頑張っておられるのだと思います、今でも好きな作家なのですが、初期の社会派ミステリーがかなり好きでしたので、又ああいったテーストの作品を読みたいなあと。
因にマックで言えば、月見バーガーが自分は好きです。
文章を書くのは好きですが、他者の目を意識した際には色々考えますね。自分の場合は何とか思いを伝えたいとする余り、文章が冗長になり過ぎる傾向が在り、文章を判り易くする為に何処で読点を付ければ良いか苦慮する事が多々。それでも近年の西村作品には「読点多過ぎ・・・。」と感じてしまうし、仰る様にこれだけ在ると逆に読み難さを感じます。
「ジャンクフード」とするか「ファーストフード」とするか、実はかなり迷ったんです。その結果、西村作品の“守備範囲”の広さ(初期~現代)を考えると、良い意味でより雑多な意味合いを感じるジャンクフードを選択した次第です。
ファストフード文学というと「その時代には非常に人気があったが後世では忘れられてしまう作家」を連想します。源氏鶏太なんて典型例かと。菊池寛、石坂洋二郎なんかもそうかなア。。。
前に国語の先生と「純文学系で第二の源氏鶏太になりそうな人」を挙げあったのですが、最右翼候補として「林真理子」「村上龍」「渡辺淳一」「曽野綾子」が挙がりました。印象としては「時代と寝ている」「世渡り上手」ですね(笑)。曽野サンはもう文学作品よりも評論家という印象かな。このタイプだと思想は異なるでしょうが五木寛之、野坂昭如も当てはまるかも。さあ、50年後どうなっているでしょうか。
近年の西村作品の文体、実際に目で追う以上に、言葉を発してみると非常に不自然さを感じてしまうんです。「読者の読み易さを考慮。」したものなのか、又は「単なる頁稼ぎ。」なのか。その辺は西村氏のみぞ知るな訳ですが。
北方作品は読んだ事が無いのですが、彼も短く文を切るスタイルなんですね。あくまでも彼の雰囲気からすると、滔々と長文で行く感じがしましたので一寸意外。自分自身(giants-55)が冗長な文章になり勝ちな人間で、所謂「上手な文章の書き方」的な本を読むと「文章は出来る限り短文で、スッキリ書いた方が良い。」なんて書かれているものですから、読点をそれなりに使うのは好ましく思っているのですが、流石に西村氏の場合は・・・。
それぞれのファンの方には申し訳無いけれど、「時代と寝ている作家」というイメージは何となく判りますね。そう言えば先日、「左翼のオピニオン・リーダー的なイメージが強かった糸井重里氏(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B3%B8%E4%BA%95%E9%87%8D%E9%87%8C)も、今や普通の評論家って感じになってしまった。」といった趣旨の記事が載っており、これには一寸笑いました。