昨日行われた「ドラゴンズv.s.ジャイアンツ 」戦はジャイアンツが勝利を収め、これでチーム創立(1934年)から73年目にして通算5千勝を達成した。我が国で初めて職業野球リーグが開始となったのは1936年だが、アメリカ遠征していた関係からその年の春季大会を欠場し、夏季大会から参加したジャイアンツ。従って公式戦での初勝利は同年7月3日に行われた対大東京軍戦だったという。その「黎明期」から「第二次黄金時代」、「V9」、「戦国時代」、「第二次長嶋政権」と経て来て、「新時代(低迷期?)」に到っている。
ジャイアンツが通算千勝目を挙げたのは1952年8月8日の事で、対戦相手はカープだった。そして2千勝目(1965年7月25日)、3千勝目(1979年4月9日)、4千勝目(1993年5月30日)の対戦相手は何れもドラゴンズ。ジャイアンツを除いたセ・リーグのチーム数は5チームなので、各々の記念勝利の対戦相手になる確率は20%というのに、今回を含めて5回の内4回がドラゴンズというのは、元名古屋人の自分としては因縁を感じてしまう所でも在る。
ここ数年、ジャイアンツの駄目さ加減を嫌と言う程見せ付けられて来たので、昨日の試合で延長戦に入った段階で「今日はジャイアンツの負けだな。」と正直思っていた。昨年迄のジャイアンツならば、間違い無くサヨナラ負けを食らっていた展開。それが勝ってしまうのだから、今季こそは期待をしても良いのだろうか?*1
因みに現在存続しているチームの通算勝利数(昨日現在)は以下の通り。
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ジャイアンツ
5,000勝3,514敗263引き分け(勝率0.587)
バファローズ
4,423勝4,065敗310引き分け(勝率0.521)
タイガース
4,416勝4,122敗263引き分け(勝率0.517)
ドラゴンズ
4,395勝4,102敗291引き分け(勝率0.517)
ホークス
4,337勝3,989敗308引き分け(勝率0.520)
ライオンズ
3,895勝3,397敗316引き分け(勝率0.534)
マリーンズ
3,683勝3,594敗316引き分け(勝率0.506)
ファイターズ
3,656勝4,108敗309引き分け(勝率0.470)
カープ
3,467勝3,793敗294引き分け(勝率0.477)
スワローズ
3,406勝3,892敗253引き分け(勝率0.466)
ベイスターズ
3,297勝4,007敗248引き分け(勝率0.451)
ゴールデンイーグルス
97勝200敗6引き分け(勝率0.326)
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ジャイアンツ73年の歴史の中で、自分がリアル・タイムで観戦して来たのは半分強。V9時代の記憶が殆ど無いので、”実質的に”初めて触れたジャイアンツ監督というと第一次政権時の長嶋茂雄監督という事になろう。それから「藤田元司監督(第一次)→王貞治監督→藤田元司監督(第二次)→長嶋茂雄監督(第二次)→原辰徳監督(第一次)→堀内恒夫監督→原辰徳監督(第二次)」と、これ迄に5人のジャイアンツ監督の姿を見守って来た訳だ。ジャイアンツをもっと古い時代から応援されて来た先輩方が少なくない中、自分の様な若造がどうこう言うのは僭越極まりないのだが、通算5千勝を記念して「自分がこれ迄に見て来た中で、良くも悪くも印象的な試合の上位10位」を選んでみたいと思う。
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1位 王貞治選手が756号ホームランを放ち、”世界のホームラン王”の座に
野球人ではダントツで王さんファンの自分故、当然乍ら1977年9月3日に行われたこの試合を1位に選ばせて貰った。奇しくもあれから、今年で30年目を迎える事になる。対スワローズ23回戦の3回1死走者無し、ツー・スリーのカウントから鈴木康二朗投手の投じた球を王選手が振り抜き、打球はライト・スタンド中段に突き刺さった。ブラウン管を食い入る様に見つめ、「19時10分6秒」に起こったこの出来事に震える程の感動を覚えていた自分。普段はホームランを打っても喜びを顕にする事が殆ど無かった王選手が、両手を挙げて満面の笑顔でホームに帰って来るシーンが今でも忘れられない。
2位 1983年の日本シリーズ
1983年10月29日~11月7日に渡り、藤田元司監督率いるジャイアンツと広岡達朗監督率いるライオンズが繰り広げた日本シリーズ。結果から言えばジャイアンツは3勝4敗でライオンズに敗れたのだが、「死闘」という言葉がこれ程迄に相応しいシリーズは無いという位、逆転に次ぐ逆転の試合展開。放課後の視聴覚室で、先生や友達数人と中継を熱く見入っていた。
3位 10.8決戦
1994年10月8日、日本プロ野球史上初めて、シーズンの勝率が同率首位で並んだチーム同士での最終戦直接決戦となった試合。長嶋茂雄監督率いるジャイアンツと高木守道監督率いるドラゴンズが相見え、長嶋監督をして「国民的行事」と言わしめる程の注目の試合だった。ジャイアンツは”3本柱”と称された槙原寛己投手、斎藤雅樹投手&桑田真澄投手を継ぎ込み、6対3でドラゴンズを破っての優勝を果たす。関東地区では48.8%というとてつもない視聴率を記録したという。
4位 ウォーレン・クロマティー選手の満塁ホームラン
1986年10月3日に行われた対スワローズ戦。前日の試合で高野光投手(スワローズ)から頭部に死球を受け、そのまま病院に担ぎ込まれて入院したクロマティー選手。出場は無理と思われていた翌日の試合、病院を抜け出した彼は、6回裏3対3で2死満塁というチャンスに代打として打席に入り、尾花高夫投手の投じた球をセンター・スタンドに叩き込んだ。勝ち越しに成功したジャイアンツは、結局8対3で勝利を収める事に。奇跡の満塁ホームランを放ち、王監督と熱い抱擁を交わすクロマティー選手の姿が印象的だった。
5位 1994年の日本シリーズ
1994年10月22日~29日に渡り、長嶋茂雄監督率いるジャイアンツと森祇晶監督率いるライオンズが相見えたシリーズ。1983年、1987年&1990年と、対ライオンズとの日本シリーズを負け続けていたジャイアンツ。多くのジャイアンツ・ファンのみならず、ジャイアンツの選手達ですら「もうライオンズには勝てないのではないか。」と思っていたで在ろう状況で臨んだシリーズだが、結果は4勝2敗でジャイアンツが日本一の栄冠に輝く。積年の悔しさが一気に晴れた。
ジャイアンツが通算千勝目を挙げたのは1952年8月8日の事で、対戦相手はカープだった。そして2千勝目(1965年7月25日)、3千勝目(1979年4月9日)、4千勝目(1993年5月30日)の対戦相手は何れもドラゴンズ。ジャイアンツを除いたセ・リーグのチーム数は5チームなので、各々の記念勝利の対戦相手になる確率は20%というのに、今回を含めて5回の内4回がドラゴンズというのは、元名古屋人の自分としては因縁を感じてしまう所でも在る。
ここ数年、ジャイアンツの駄目さ加減を嫌と言う程見せ付けられて来たので、昨日の試合で延長戦に入った段階で「今日はジャイアンツの負けだな。」と正直思っていた。昨年迄のジャイアンツならば、間違い無くサヨナラ負けを食らっていた展開。それが勝ってしまうのだから、今季こそは期待をしても良いのだろうか?*1
因みに現在存続しているチームの通算勝利数(昨日現在)は以下の通り。
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ジャイアンツ
5,000勝3,514敗263引き分け(勝率0.587)
バファローズ
4,423勝4,065敗310引き分け(勝率0.521)
タイガース
4,416勝4,122敗263引き分け(勝率0.517)
ドラゴンズ
4,395勝4,102敗291引き分け(勝率0.517)
ホークス
4,337勝3,989敗308引き分け(勝率0.520)
ライオンズ
3,895勝3,397敗316引き分け(勝率0.534)
マリーンズ
3,683勝3,594敗316引き分け(勝率0.506)
ファイターズ
3,656勝4,108敗309引き分け(勝率0.470)
カープ
3,467勝3,793敗294引き分け(勝率0.477)
スワローズ
3,406勝3,892敗253引き分け(勝率0.466)
ベイスターズ
3,297勝4,007敗248引き分け(勝率0.451)
ゴールデンイーグルス
97勝200敗6引き分け(勝率0.326)
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ジャイアンツ73年の歴史の中で、自分がリアル・タイムで観戦して来たのは半分強。V9時代の記憶が殆ど無いので、”実質的に”初めて触れたジャイアンツ監督というと第一次政権時の長嶋茂雄監督という事になろう。それから「藤田元司監督(第一次)→王貞治監督→藤田元司監督(第二次)→長嶋茂雄監督(第二次)→原辰徳監督(第一次)→堀内恒夫監督→原辰徳監督(第二次)」と、これ迄に5人のジャイアンツ監督の姿を見守って来た訳だ。ジャイアンツをもっと古い時代から応援されて来た先輩方が少なくない中、自分の様な若造がどうこう言うのは僭越極まりないのだが、通算5千勝を記念して「自分がこれ迄に見て来た中で、良くも悪くも印象的な試合の上位10位」を選んでみたいと思う。
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1位 王貞治選手が756号ホームランを放ち、”世界のホームラン王”の座に
野球人ではダントツで王さんファンの自分故、当然乍ら1977年9月3日に行われたこの試合を1位に選ばせて貰った。奇しくもあれから、今年で30年目を迎える事になる。対スワローズ23回戦の3回1死走者無し、ツー・スリーのカウントから鈴木康二朗投手の投じた球を王選手が振り抜き、打球はライト・スタンド中段に突き刺さった。ブラウン管を食い入る様に見つめ、「19時10分6秒」に起こったこの出来事に震える程の感動を覚えていた自分。普段はホームランを打っても喜びを顕にする事が殆ど無かった王選手が、両手を挙げて満面の笑顔でホームに帰って来るシーンが今でも忘れられない。
2位 1983年の日本シリーズ
1983年10月29日~11月7日に渡り、藤田元司監督率いるジャイアンツと広岡達朗監督率いるライオンズが繰り広げた日本シリーズ。結果から言えばジャイアンツは3勝4敗でライオンズに敗れたのだが、「死闘」という言葉がこれ程迄に相応しいシリーズは無いという位、逆転に次ぐ逆転の試合展開。放課後の視聴覚室で、先生や友達数人と中継を熱く見入っていた。
3位 10.8決戦
1994年10月8日、日本プロ野球史上初めて、シーズンの勝率が同率首位で並んだチーム同士での最終戦直接決戦となった試合。長嶋茂雄監督率いるジャイアンツと高木守道監督率いるドラゴンズが相見え、長嶋監督をして「国民的行事」と言わしめる程の注目の試合だった。ジャイアンツは”3本柱”と称された槙原寛己投手、斎藤雅樹投手&桑田真澄投手を継ぎ込み、6対3でドラゴンズを破っての優勝を果たす。関東地区では48.8%というとてつもない視聴率を記録したという。
4位 ウォーレン・クロマティー選手の満塁ホームラン
1986年10月3日に行われた対スワローズ戦。前日の試合で高野光投手(スワローズ)から頭部に死球を受け、そのまま病院に担ぎ込まれて入院したクロマティー選手。出場は無理と思われていた翌日の試合、病院を抜け出した彼は、6回裏3対3で2死満塁というチャンスに代打として打席に入り、尾花高夫投手の投じた球をセンター・スタンドに叩き込んだ。勝ち越しに成功したジャイアンツは、結局8対3で勝利を収める事に。奇跡の満塁ホームランを放ち、王監督と熱い抱擁を交わすクロマティー選手の姿が印象的だった。
5位 1994年の日本シリーズ
1994年10月22日~29日に渡り、長嶋茂雄監督率いるジャイアンツと森祇晶監督率いるライオンズが相見えたシリーズ。1983年、1987年&1990年と、対ライオンズとの日本シリーズを負け続けていたジャイアンツ。多くのジャイアンツ・ファンのみならず、ジャイアンツの選手達ですら「もうライオンズには勝てないのではないか。」と思っていたで在ろう状況で臨んだシリーズだが、結果は4勝2敗でジャイアンツが日本一の栄冠に輝く。積年の悔しさが一気に晴れた。