広岡御大の著書「野球再生 よみがえれ魂の野球」を読了。「プロ野球を含めた野球全体を、教育と結び付け過ぎている。」、「魅せる野球の定義が狭過ぎる。」といった面には同意出来ないものの、全体を通してなかなか良い事が書かれていると思う。特定チームや特定選手に対して阿るOBが多い中で、己が信念&主張を毅然と貫き通している御大の姿が垣間見られて嬉しかった。
「ジャイアンツを心から愛するが故の苦言も多く呈されている。「苦言は薬なり。甘言は疾(やまい)なり。」という諺が在るが、ジャイアンツ関係者がどれだけ真摯にこの苦言を受け入れられるかで、ジャイアンツの未来は明るくも、又暗くもなるだろう。
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巨人のチーム作りを見ていて、IT産業に関る若者達の姿を重ねた。パソコンの前に座り込み、汗水垂らさず大金を稼ぎまくる若者達で在る。「今稼げば良い。」というそれこそ安っぽい価値観は、「勝てば良いんでしょ。」という巨人と同類。彼等の「勝ち組」願望は、結果的に「負け組」を作り出し、格差社会を生んだ。金に物を言わせて、それこそ汗水垂らさずして他球団から超大物を獲得し、翌日から平然とスターティング・メンバーに張り付けた巨人は、金の無い球団との格差を生み、選手達の拝金主義を培養した。球界内での一人勝ちを目論んだ巨人の行く末は、私にははっきりと見えていた。共存共栄という意識の欠片も無いチーム作りの先に在るのは破綻の二文字。
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当ブログを立ち上げた当初から何度も書いている事だが、「ファンの為に」という言葉を錦の御旗にし、実際には身勝手さ”だけ”しか感じられない選手達が居る事に自分は不快感を覚え続けている。その辺も含め、御大は選手達の甘えを指摘。
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選手年俸の査定は、各球団によって異なる。だが、優勝をしたかしないか、という物差しは共通の筈。優勝出来なかったチームの一軍選手査定は、一律5%ダウンから始めても良い。「三割打ったから。」、「ホームラン30本を達成したから。」といって、優勝出来なかったのなら、それは極めて貢献度の低い数字なのだから。まして「タイトル料」等必要無い。個々の努力は認めるが、野球はあくまでも団体競技で在って、個々の数字は最高の結果をもたらした時にだけ評すれば済む事だ。(中略)
スポーツ紙で「越年交渉」等という見出しを見る度にうんざりする。ゴルフのプロ選手達の年俸を参考にして欲しい。彼等は勝たなければ賞金は入って来ない。好成績を挙げ続けないと、高給取りにはなれないのだ。この厳しさが今のプロ野球選手達には無い。年俸というのは、働いた者への報酬なのだ。働きもしていない選手が、高給を保証される制度の見直しは絶対に必要で在る。(中略)
出来高払いには、目標数値を達成出来なかった時の減額というものが無い。選手は達成すれば儲かり、達成しなくても損はしない。こんな契約は不公平で在る。(中略)
ファンサービス、ファンの為に-今の選手達が最近になってやたらと口にする様になった。2004年のストライキ騒動以来、「ファン」は或る意味選手達の「免罪符」になっている。選手の環境を向上させるのも、年俸を上げるのも全てファンの為という論法だった。「ふざけるな。」と一喝したい気持で在る。唯、金に目が眩んでいるだけではないか。ファンを見捨てて、チームへの恩義を忘れて、平気で他チームへ移る選手、チーム愛の欠片も無く、チームを金を稼ぐ単なる器としか考えていない選手は、今や金だけによって支配されているメジャーへでも飛び込めば良い。
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そして、コーチの質にも疑問を投げ掛けている。ジャイアンツが無敵を誇ったV9時代だが、御大は「教育という作業が無かった時期」と評している。「選手は育てるもの」という指導者の役割を判っているコーチが殆ど居なかった(荒川博打撃コーチ等は例外としている。)事に加えて、高い意識を持つ選手達が自らを磨いていたので、川上体制のコーチ達は手持ち無沙汰だったと。「選手に気持良く仕事をして貰う事がコーチの仕事。」と言って憚らないコーチが居た程に指導者の意識は低く、「今日のスイングは良かったねー。明日も頑張ってね。」といった歯の浮く様なおべんちゃらを言い、選手に媚を売るだけのコーチが首脳陣の重鎮として存在。そういった「選手を育てる。」という高い意識を持った指導者は現在の球界にも数少ないと嘆いている。
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教育というのは、教える側と教わる側という二つの車輪が、常に正常に、同じ方向を向いて回転して行く事で初めて成果を生じる。(今のジャイアンツの様に)片方だけ充実(選手の獲得だけに奔走)しても意味が無い。(中略)
私には温めている夢が在る。プロ野球に「コーチ養成学校」を設けたい。野球のあらゆる技術、トレーニング、栄養学といった総合的な基礎知識を学び、一定のレベルに達した者にはライセンスを与える。こうした養成コーチを各球団に提供し、若い選手達の指導に専念させる。実績を積んで、学校卒業者が認められる様になれば、プロに拘らず全国の野球クラブチーム等に派遣しても良い。奇抜なアイデアかもしれないが、これだけ指導者が不足している現状からすれば、養成する以外事態を好転させる事は出来ないと思う。
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この本の中で御大が最も猛省を促しているのは、彼自身と同じ立場の評論家や解説者と称するOBに対して。
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「軽い。」つくづく最近の評論家、解説者を見ているとそう思う。それに「弱い。」。監督采配や選手のミスにも、余り批判的なコメントが出来ない。勿論、勉強をしていないから気付かないという部分も在るが、遠慮している事が在り在り。「余りきつい事を言うと、後で使って貰えない。」、「選手、監督との関係を大切にしたい。」という類いだ。これでは評論家、解説者の肩書きが泣く。(中略)
今でもラジオで解説をやっている。月1回程度だが、昔に比べると何となく力が入らない。球場で見掛ける解説者、評論家達は選手と無駄話をし、夜の食事の約束をし、愚痴の聞き役に徹しているだけ。同業者なのだが、学習意欲の無い若手には関心が無い。今はこういった「軽い」解説者の方が重宝がられる。私の様に言いたい事を言う解説者は、毒舌のレッテルが貼られてしまう。
断っておくが、私は毒舌では無い。正論を述べているだけだ。正論を聞いて耳の痛い者は、これを毒舌という。心が痛む原因が在るのに、それを認めたくないから言葉に「毒」を盛られて傷付いた振りをする。おかしいと思う事はどんな柵が在ろうと、はっきり指摘すれば良い。言葉を濁していては、何時か野球を見る目も曇ってしまう。
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小気味良く正論を吐いている様で、その実際は自らを利する方向へと世論誘導しているだけのOBならば、今の球界にも少なからず居る。しかし過去の言動に疑問を感じない部分が無い訳では無いが、広岡御大の様に正論を毅然と吐けるOBの存在は非常に貴重だと思う。仰木彬氏や近藤貞雄氏、藤田元司氏等、心から野球を愛したOB達が鬼籍に入られた今だからこそ、広岡御大には長く正論を吐き続けて貰いたい。
最後に、「日本選手のメジャー流出」に付いて御大が触れた部分を記したい。
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日本球界は「球界の空洞化」と嘆く前に、「どんどん米国へ派遣してやる。」位の気概を持って貰いたい。スター選手が抜けても良い。その穴を埋められる選手をどんどんこしらえれば補充出来る。小さな世界で、尚且つ、個々の利益だけを常に考えているから、視野が益々狭くなり、殻に閉じ籠っってしまうのだ。
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「ジャイアンツを心から愛するが故の苦言も多く呈されている。「苦言は薬なり。甘言は疾(やまい)なり。」という諺が在るが、ジャイアンツ関係者がどれだけ真摯にこの苦言を受け入れられるかで、ジャイアンツの未来は明るくも、又暗くもなるだろう。
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巨人のチーム作りを見ていて、IT産業に関る若者達の姿を重ねた。パソコンの前に座り込み、汗水垂らさず大金を稼ぎまくる若者達で在る。「今稼げば良い。」というそれこそ安っぽい価値観は、「勝てば良いんでしょ。」という巨人と同類。彼等の「勝ち組」願望は、結果的に「負け組」を作り出し、格差社会を生んだ。金に物を言わせて、それこそ汗水垂らさずして他球団から超大物を獲得し、翌日から平然とスターティング・メンバーに張り付けた巨人は、金の無い球団との格差を生み、選手達の拝金主義を培養した。球界内での一人勝ちを目論んだ巨人の行く末は、私にははっきりと見えていた。共存共栄という意識の欠片も無いチーム作りの先に在るのは破綻の二文字。
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当ブログを立ち上げた当初から何度も書いている事だが、「ファンの為に」という言葉を錦の御旗にし、実際には身勝手さ”だけ”しか感じられない選手達が居る事に自分は不快感を覚え続けている。その辺も含め、御大は選手達の甘えを指摘。
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選手年俸の査定は、各球団によって異なる。だが、優勝をしたかしないか、という物差しは共通の筈。優勝出来なかったチームの一軍選手査定は、一律5%ダウンから始めても良い。「三割打ったから。」、「ホームラン30本を達成したから。」といって、優勝出来なかったのなら、それは極めて貢献度の低い数字なのだから。まして「タイトル料」等必要無い。個々の努力は認めるが、野球はあくまでも団体競技で在って、個々の数字は最高の結果をもたらした時にだけ評すれば済む事だ。(中略)
スポーツ紙で「越年交渉」等という見出しを見る度にうんざりする。ゴルフのプロ選手達の年俸を参考にして欲しい。彼等は勝たなければ賞金は入って来ない。好成績を挙げ続けないと、高給取りにはなれないのだ。この厳しさが今のプロ野球選手達には無い。年俸というのは、働いた者への報酬なのだ。働きもしていない選手が、高給を保証される制度の見直しは絶対に必要で在る。(中略)
出来高払いには、目標数値を達成出来なかった時の減額というものが無い。選手は達成すれば儲かり、達成しなくても損はしない。こんな契約は不公平で在る。(中略)
ファンサービス、ファンの為に-今の選手達が最近になってやたらと口にする様になった。2004年のストライキ騒動以来、「ファン」は或る意味選手達の「免罪符」になっている。選手の環境を向上させるのも、年俸を上げるのも全てファンの為という論法だった。「ふざけるな。」と一喝したい気持で在る。唯、金に目が眩んでいるだけではないか。ファンを見捨てて、チームへの恩義を忘れて、平気で他チームへ移る選手、チーム愛の欠片も無く、チームを金を稼ぐ単なる器としか考えていない選手は、今や金だけによって支配されているメジャーへでも飛び込めば良い。
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そして、コーチの質にも疑問を投げ掛けている。ジャイアンツが無敵を誇ったV9時代だが、御大は「教育という作業が無かった時期」と評している。「選手は育てるもの」という指導者の役割を判っているコーチが殆ど居なかった(荒川博打撃コーチ等は例外としている。)事に加えて、高い意識を持つ選手達が自らを磨いていたので、川上体制のコーチ達は手持ち無沙汰だったと。「選手に気持良く仕事をして貰う事がコーチの仕事。」と言って憚らないコーチが居た程に指導者の意識は低く、「今日のスイングは良かったねー。明日も頑張ってね。」といった歯の浮く様なおべんちゃらを言い、選手に媚を売るだけのコーチが首脳陣の重鎮として存在。そういった「選手を育てる。」という高い意識を持った指導者は現在の球界にも数少ないと嘆いている。
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教育というのは、教える側と教わる側という二つの車輪が、常に正常に、同じ方向を向いて回転して行く事で初めて成果を生じる。(今のジャイアンツの様に)片方だけ充実(選手の獲得だけに奔走)しても意味が無い。(中略)
私には温めている夢が在る。プロ野球に「コーチ養成学校」を設けたい。野球のあらゆる技術、トレーニング、栄養学といった総合的な基礎知識を学び、一定のレベルに達した者にはライセンスを与える。こうした養成コーチを各球団に提供し、若い選手達の指導に専念させる。実績を積んで、学校卒業者が認められる様になれば、プロに拘らず全国の野球クラブチーム等に派遣しても良い。奇抜なアイデアかもしれないが、これだけ指導者が不足している現状からすれば、養成する以外事態を好転させる事は出来ないと思う。
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この本の中で御大が最も猛省を促しているのは、彼自身と同じ立場の評論家や解説者と称するOBに対して。
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「軽い。」つくづく最近の評論家、解説者を見ているとそう思う。それに「弱い。」。監督采配や選手のミスにも、余り批判的なコメントが出来ない。勿論、勉強をしていないから気付かないという部分も在るが、遠慮している事が在り在り。「余りきつい事を言うと、後で使って貰えない。」、「選手、監督との関係を大切にしたい。」という類いだ。これでは評論家、解説者の肩書きが泣く。(中略)
今でもラジオで解説をやっている。月1回程度だが、昔に比べると何となく力が入らない。球場で見掛ける解説者、評論家達は選手と無駄話をし、夜の食事の約束をし、愚痴の聞き役に徹しているだけ。同業者なのだが、学習意欲の無い若手には関心が無い。今はこういった「軽い」解説者の方が重宝がられる。私の様に言いたい事を言う解説者は、毒舌のレッテルが貼られてしまう。
断っておくが、私は毒舌では無い。正論を述べているだけだ。正論を聞いて耳の痛い者は、これを毒舌という。心が痛む原因が在るのに、それを認めたくないから言葉に「毒」を盛られて傷付いた振りをする。おかしいと思う事はどんな柵が在ろうと、はっきり指摘すれば良い。言葉を濁していては、何時か野球を見る目も曇ってしまう。
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小気味良く正論を吐いている様で、その実際は自らを利する方向へと世論誘導しているだけのOBならば、今の球界にも少なからず居る。しかし過去の言動に疑問を感じない部分が無い訳では無いが、広岡御大の様に正論を毅然と吐けるOBの存在は非常に貴重だと思う。仰木彬氏や近藤貞雄氏、藤田元司氏等、心から野球を愛したOB達が鬼籍に入られた今だからこそ、広岡御大には長く正論を吐き続けて貰いたい。
最後に、「日本選手のメジャー流出」に付いて御大が触れた部分を記したい。
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日本球界は「球界の空洞化」と嘆く前に、「どんどん米国へ派遣してやる。」位の気概を持って貰いたい。スター選手が抜けても良い。その穴を埋められる選手をどんどんこしらえれば補充出来る。小さな世界で、尚且つ、個々の利益だけを常に考えているから、視野が益々狭くなり、殻に閉じ籠っってしまうのだ。
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私は最近すっかりプロ野球を見なくなりました。
最近テレビ放送される時間帯に帰宅できないこと、我が家でのチャンネル権を子供たちに奪取されたことが大きいですが(なお、今年になって関西では巨人戦は毎日実況されていないようです)。
確かに日本のプロ野球は面白くなくなったと思います。ドラフトで逆指名制度が適用されたこと、フリーエージェント制が敷かれたことがプロ野球を面白くなくした大きな要因だと思います。それに超一流選手のメジャーリーグ挑戦が拍車をかけたように思います。イチロー選手がマリナーズへ移籍した2001年は日本よりもメジャーリーグを主に野球を見ていました。
日本プロ野球界の現状に対してご指摘の通り広岡さんは正論を吐かれているのですが、よく考えますとこれは人材育成について一般社会にも言えることだと思います。人材不足を嘆く企業トップの話を数多く聞きますが、果たしてこれまで効果的な人材育成ができるよう努力していたのか、コンサルタント会社に丸投げしていたのが関の山ではないかなど、自らを振り返る方が先ではないかと思います。
同時期に活躍した名遊撃手、吉田義男の守備を華麗、自らの方が堅実と評価したところがあったと記憶してます。が、自分の印象は逆だったのでちょっと笑っちゃったんですよ。
これまた同時期に活躍された豊田泰光さんあたりのお話だと、ヨッサンは別格だということです。
確か小西得郎さんは、「なんと申しましょうか、例えて言えば、豊田は木綿、広岡は麻、吉田は絹の手触りでしょうか……」と喩えられたとか。
広岡さんの負けん気が伝わってきて面白かったですよ。
思えば、僕も野球選手でした。
小学校の卒業文集にも、将来の夢には野球選手と書いた様な気がします。
広岡さんは、そのころ西武の黄金時代に監督として君臨していました。
管理野球と批判されることもありましたが、あのころの西武はやはり強く、かっこ良かったです。
一人か二人のスーパースターで成り立つチームではなく、脇役の活躍で勝つチームといった感じで、いかにもパ・リーグって感じがしました。
いまみたいに、パ・リーグの試合はいつも観られるわけでなく、真剣勝負が観られるのは、日本シリーズぐらいのもの。
毎年でてくる西武は、無気味に感じました。
一方で、江夏や田淵の選手生命を断ったのも広岡さんでした。
あの時は、広岡さんは酷い人だと思ったものでしたが、いま自分が社会人になった今、広岡さんの選択は正解だと思います。
2000本安打や200勝のために、実力がないのにレギュラーに居座るのは、あまりみたくはないものですからね。
まだまだ、広岡さんにはメディアにでてほしいですね。