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「『まったり』、『がっつり』多用=20~30代の半数超‐『若気る。』正解は1割台」(9月20日、時事通信)
20~30代の6割以上が「ゆっくり、のんびりする。」の意味で「まったりする。」を使い、7割の人が「若気る。」(なよなよしている。)の意味を取り違えていた事が20日、文化庁の国語に関する世論調査で判った。
言葉遣いに気を使っている人は、10~50代の各年代で8割を超える等、過去2回の調査と比べ最多だった。
一方、「話し言葉として、新語を普段使うか?」尋ねると、「まったり」や、「しっかり、沢山。」という意味で「がっつり」を使うと答えた人は10代で略半数、20代で6割を超えた。
「中途半端で無い。」という意味での「半端無い。」、「正反対」を表す「真逆」を使う人も10代で6割を超え、10~30代を中心に新語を使う人の割合が高かった。
一方、「若気る。」や「割愛」(惜しい物を手放す。)の意味を正しく理解していた人は1割台に留まり、其れ其れ「薄笑いを浮かべる。」、「不要な物を捨てる。」と間違えている人が多かった。「舌先三寸」を「口先三寸」とする等、慣用句の誤用も目立った。
文化庁国語課は「言葉は変わって行くので、全て誤用と言い切れない。」とする一方、「意味を理解せぬ儘、誤った使われ方を見聞きし、其の儘覚えてしまうのではないか。」としている。
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3年前の記事「嗚呼、勘違い」で記したが、自分も言葉の誤用は結構経験が在る。「須く」(当然。)や「姑息」(一時の間に合わせにする事。)等は、其れ其れ「全て。」、「卑怯」という意味だと思い込んでいた。又、「押しも押されもせぬ」(実力が在って、堂々としている。)が正しい表現なのは頭で判っていても、油断するとついつい「押しも押されぬ」と、未だに誤って使ってしまうし。
で、今回の記事だが、「にやける」は自分も「薄笑いを浮かべる。」の意味でずっと使っていた。今回の記事を書く上で、「にやける」が漢字で「若気る」と表すのを初めて知り、「此の漢字を見れば、確かに『薄笑いを浮かべる。』という意味では無いのに気付くだろうが・・・。」と思った次第。
唯、文化庁国語科の方が指摘している様に、「言葉とは、時代によって変わって行く物。」で在る。嘗ては「誤用」で在った物でも、多くが普通に使う様になれば、其れは「誤用では無くなる。」という事も在ろう。
「真逆」という表現は、余り好きじゃない。「『正反対』の方が、“響き的に”美しい。」という思いからだけれど、此れは飽く迄も“個人の趣味”だけれど。