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・ 「医療は学問では無く、社会システムです。医学は単なる学問。医学という土台の上に、国民の意思で医療という家を建てる様なもの。其処では医学の結果と正反対の事が行われる事も在ります。一番の違いは、医療は患者さんから御金を戴く事が出来る。だけど医学は御金を取れない。それどころか、御金を注ぎ込まなければ医学は進歩しません。」
・ 医療崩壊のきっかけは、新医師臨床研修制度の導入だった。良質な臨床研修医を育成するという大義名分の下には、医局の力を削ぐという腥い目的が隠されていた。官僚が目論む思惑は、素晴らしい成果を上げた。「白い巨塔」と揶揄されていた大学病院は、たった二年で瓦解した。正確に言えば「白い巨塔」こそが虚構だった。確かに教授選に血道を上げ、権謀術数に明け暮れる医者は居る。但し大学病院に在籍している大多数の医師は、そうした権謀術数の世界とは無縁だった。だが官僚は虚構の大学病院に改革の照準を合わせた。膨れ上がった虚構の世界しか知らない官僚の目には、大学病院の医局制度は自分達官僚機構と同質の組織と映り、その禍々しさに辟易とさせられてしまったのだろう。反射的に彼等が取った手段が、米国制度の中途半端な移植という最悪の選択肢だった。こうして、殆どの大学病院は実質上、機能不全に陥ってしまった。(中略)人材補給を断たれた大学病院医局は、システム維持の為に、地域医療を支えていた中堅医師を大学に呼び戻す。こうして地方医療の現場は人材を失う。地域医療を支えて来た一人の中堅医師を大学に呼び戻す影響は、ドミノ倒しの様に、十倍になって現場に跳ね返る。例えば、地域中堅病院で外科を五人の医師で維持していたとする。この改革によって五人の内、一人が失われる。しかし、失われるのは一人だけでは無い。その事により、残された四人の臨床業務の負担が増える。手術件数から当直の回数迄、単純に増加する。その事でゆとりを無くした現場では更なるドミノ倒しが起こる。残された四人の外科医の負担が増大し、疲労が蓄積する。或る日、嫌気が差して、又一人辞める。残り三人、負担は倍増。又一人、辞意を固める。残り二人になると手術も組めない。こうして手術室の閉鎖、入院病棟の縮小が検討される。此処迄は未だ、一つの病院内の話だ。一つの病院でこうした事が起こると、その負担が近隣病院に撒き散らされる。一つの病院の内部で起こったドミノ倒しが、地域単位で起こる。そして次々と病院が閉鎖する。
・ 「御存知の通り、今、産婦人科医療は崩壊寸前迄追い込まれています。それは産婦人科が抱える特異な問題のせいです。赤ちゃんが生まれるのは当然と考える患者さん。そういかなかった時に医療を訴える様に焚き付ける、遺族や弁護士の方達、そうした体制を誘導しておき乍ら、個々の問題をあたかも部外者の様な顔で糾弾する担当省庁の役人達。そうした方々に対するささやかな反撃です。」
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現役の医師で在り作家でも在る海堂尊氏の近刊「ジーン・ワルツ」より、心に残った文章を抜粋してみた。実際に医療現場に身を置いているだけに、よりリアルに読み手の心に染み渡る。
この作品の題材は、「神の領域」とも言える生殖医療。人工授精のエキスパートで美貌の産婦人科医・曾根崎理恵の元に、複雑な事情を抱えた5人の女性が集まる。「結婚して8年。3歳の男子を抱え、第二子を受胎した34歳の甘利みね子。」、「キャリアウーマンとして多忙な日々を過す中、予想外の妊娠に戸惑う28歳の神埼貴子。」、「父親が誰か判らない子供を身籠り、中絶の為に病院を訪れた19歳の青井ユミ。」、「不妊外来に通い始めて5年。人工授精歴は数知れず、過去に3度着床するも、全て2ヶ月以内に流産。39歳という年齢から、4度目の着床がラスト・チャンスと思っている荒木浩子。」、そして「55歳で双子を身篭った山咲みどり。」。「患者の強い願い」と「医事行為の限界」との狭間で懊悩する医師達の姿が、“冷徹な魔女(クール・ウイッチ)”こと曾根崎理恵に重ね合わされている。「神の領域を、人間は何処迄侵食して良いのか?」は、答えがすっとは導き出せない難しい問題だと再認識。
扱っている題材が題材だけに、男性よりも女性の方がより感情移入出来る作品かもしれない。小説としての完成度が、海堂氏にしては低い様に感じられた。総合評価は星3つ。
・ 「医療は学問では無く、社会システムです。医学は単なる学問。医学という土台の上に、国民の意思で医療という家を建てる様なもの。其処では医学の結果と正反対の事が行われる事も在ります。一番の違いは、医療は患者さんから御金を戴く事が出来る。だけど医学は御金を取れない。それどころか、御金を注ぎ込まなければ医学は進歩しません。」
・ 医療崩壊のきっかけは、新医師臨床研修制度の導入だった。良質な臨床研修医を育成するという大義名分の下には、医局の力を削ぐという腥い目的が隠されていた。官僚が目論む思惑は、素晴らしい成果を上げた。「白い巨塔」と揶揄されていた大学病院は、たった二年で瓦解した。正確に言えば「白い巨塔」こそが虚構だった。確かに教授選に血道を上げ、権謀術数に明け暮れる医者は居る。但し大学病院に在籍している大多数の医師は、そうした権謀術数の世界とは無縁だった。だが官僚は虚構の大学病院に改革の照準を合わせた。膨れ上がった虚構の世界しか知らない官僚の目には、大学病院の医局制度は自分達官僚機構と同質の組織と映り、その禍々しさに辟易とさせられてしまったのだろう。反射的に彼等が取った手段が、米国制度の中途半端な移植という最悪の選択肢だった。こうして、殆どの大学病院は実質上、機能不全に陥ってしまった。(中略)人材補給を断たれた大学病院医局は、システム維持の為に、地域医療を支えていた中堅医師を大学に呼び戻す。こうして地方医療の現場は人材を失う。地域医療を支えて来た一人の中堅医師を大学に呼び戻す影響は、ドミノ倒しの様に、十倍になって現場に跳ね返る。例えば、地域中堅病院で外科を五人の医師で維持していたとする。この改革によって五人の内、一人が失われる。しかし、失われるのは一人だけでは無い。その事により、残された四人の臨床業務の負担が増える。手術件数から当直の回数迄、単純に増加する。その事でゆとりを無くした現場では更なるドミノ倒しが起こる。残された四人の外科医の負担が増大し、疲労が蓄積する。或る日、嫌気が差して、又一人辞める。残り三人、負担は倍増。又一人、辞意を固める。残り二人になると手術も組めない。こうして手術室の閉鎖、入院病棟の縮小が検討される。此処迄は未だ、一つの病院内の話だ。一つの病院でこうした事が起こると、その負担が近隣病院に撒き散らされる。一つの病院の内部で起こったドミノ倒しが、地域単位で起こる。そして次々と病院が閉鎖する。
・ 「御存知の通り、今、産婦人科医療は崩壊寸前迄追い込まれています。それは産婦人科が抱える特異な問題のせいです。赤ちゃんが生まれるのは当然と考える患者さん。そういかなかった時に医療を訴える様に焚き付ける、遺族や弁護士の方達、そうした体制を誘導しておき乍ら、個々の問題をあたかも部外者の様な顔で糾弾する担当省庁の役人達。そうした方々に対するささやかな反撃です。」
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現役の医師で在り作家でも在る海堂尊氏の近刊「ジーン・ワルツ」より、心に残った文章を抜粋してみた。実際に医療現場に身を置いているだけに、よりリアルに読み手の心に染み渡る。
この作品の題材は、「神の領域」とも言える生殖医療。人工授精のエキスパートで美貌の産婦人科医・曾根崎理恵の元に、複雑な事情を抱えた5人の女性が集まる。「結婚して8年。3歳の男子を抱え、第二子を受胎した34歳の甘利みね子。」、「キャリアウーマンとして多忙な日々を過す中、予想外の妊娠に戸惑う28歳の神埼貴子。」、「父親が誰か判らない子供を身籠り、中絶の為に病院を訪れた19歳の青井ユミ。」、「不妊外来に通い始めて5年。人工授精歴は数知れず、過去に3度着床するも、全て2ヶ月以内に流産。39歳という年齢から、4度目の着床がラスト・チャンスと思っている荒木浩子。」、そして「55歳で双子を身篭った山咲みどり。」。「患者の強い願い」と「医事行為の限界」との狭間で懊悩する医師達の姿が、“冷徹な魔女(クール・ウイッチ)”こと曾根崎理恵に重ね合わされている。「神の領域を、人間は何処迄侵食して良いのか?」は、答えがすっとは導き出せない難しい問題だと再認識。
扱っている題材が題材だけに、男性よりも女性の方がより感情移入出来る作品かもしれない。小説としての完成度が、海堂氏にしては低い様に感じられた。総合評価は星3つ。
海堂尊氏の作品、実際に現場で働いておられる方ならではのリアルな記述が心に残ります。必ずしも患者本位では無く、問題在りと感じざるを得ない点が医師の側“にも”在ったとは思いますが、現場を知らずに机上であれこれ決め、現場を混乱させ捲ったのに知らぬ存ぜぬを決め込んでいる役人達の問題も決して小さくはないのでしょうね。