一昨年の記事「異論を許さない雰囲気」でも触れたが、今から24年前の1988年に日本球界で起こった或る出来事が強く印象に残っている。其れは「史上最強の助っ人」と呼ばれ、1985年にはタイガースを日本一に導いた大功労者のランディ・バース選手が、シーズン序盤に急遽アメリカへ帰国した際、マスメディアを中心に巻き起こったバース選手への猛バッシングだ。彼が急遽帰国を決めたのは水頭症に罹患した息子が手術を受ける事になり、生命の危機も在り得たので、「息子を傍で見守りたい。」という理由からだった。
だがしかし「親の死に目に会えないのが、有名人の宿命。」という“美学”が幅を利かせる我が国に在っては、「家族に関する事柄で仕事を放り出すなんて、とんでもない事だ!」といった論調で、バース選手は猛バッシングを食らってしまったのだ。
自分は学生時代に、父親を病気で失っている。或る日、学校から帰宅した際に、父親が亡くなった事を知らされたという状況。亡くなるなんて全く想像だにしていなかったので、残された家族は正に茫然自失。親の死に目に会えなかった経験をしているからこそ、「家族の死に目には、何としても立ち会いたい。」という強い思いが在り、バース選手への猛バッシングが巻き起こった際には、彼に対する擁護の思いで一杯だった。
AERA(1月23日号)には、「親の死に目に会いたい」という記事が載っていた。昨年12月、グランプリファイナルに出場予定だった浅田真央選手は遠征先のカナダで母親の危篤を知らされ、出場をキャンセルして帰国。だがしかし、成田空港に到着した直後、父親からのメールで母親が亡くなった事を知る。母親の死に目に会えなかった訳だが、浅田選手は遠征先で危篤の報を知らされた際の事を自身のサイトで後日、「今直ぐに帰りたい、という気持ちと、試合を欠場しても良いのか?という思いで複雑でした。」と記したと言う。
AERAでは浅田選手が緊急帰国した直後、「同じ状況に置かれたら、貴方ならどうしますか?」というアンケートを行った。113人が回答を寄せたが、国際大会を欠場して帰国した浅田選手の判断を、「当然だと思う。」と回答した人が74%だったとか。自分も「親の危篤には、目の前の仕事を擲ってでも駆け付ける。」と答えた人が62%で、「駆け付けない。」とした人は僅か8%という結果。
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「タイ出張中に肺癌療養中だった父の危篤の連絡を受けたものの、全てを放り出して日本に帰国する事は、取引先にも迷惑が掛かる為、どうしても出来なかった。」(商社、38歳男性)という“現実”を綴った回答も在った。
此の男性は、翌日の仕事を上司や部下に引き継ぎ、取引先に事情を説明するのに1日を要した。其の日の深夜便で帰国しようとしたが、搭乗数時間前に永眠の連絡を受けたと言う。
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「取引先や同僚等に迷惑が掛かるから、仕事を放り出す訳にはいかない。」という思いは、自分も理解出来る。出来るだけ迷惑が掛からない様に段取りはするだろうけれど、でも「此の彼の様に、遺漏無く行えるか?」となると、恐らくは無理だろう。自分は其処迄“仕事人間”に徹し切れず、“家族”を優先してしまうから。
話を戻すが、「浅田選手の判断」に対して肯定的な人が74%も居た事に、自分はホッとする思いが在った。バース選手の場合と比べると「性別の差」や「年齢の差」が在るし、何よりも「バース選手の息子の場合は無事助かったが、浅田選手の場合は母親が亡くなってしまった。」という違いが在り、其の事での同情の思いが強く反映されているのかもしれない。
けれど「終身雇用制度が完全崩壊し、組織に何れだけ忠誠を誓った所で、首を切られる時には容易く切られてしまう。」という現実が在る以上、「24年前」と「今」とでは、「仕事と家族との重点の置き方」も大分変って来ているのかもしれない。昨年発生した「東日本大震災」で、多くの人が「家族との絆」を再認識した事も大きいのだろうが。
しかし24年前と意識が全く違うというのはその通りと思います。24年前にさまざまな言論の主導権を握っていたのが昭和一桁、10年代以上の人たちである、ということもあると思います。その世代で今も元気なナベツネ、石原慎太郎、いますけど、私の周囲眺めるとその世代ボケてダメになったひとばかりです。意外と戦中派の大正族は元気すぎて困る人多いですが。ネットはやらない人多いでしょうね。
今、ネット上で声が大きいのは団塊ジュニア~50代でしょう?
ちなみに団塊世代の近所の小母さんは「真央ちゃんは可哀想だと思うが、親の死に目に会えないのがプロの…」と言っていました。うたごえ運動のリーダーだった田舎の元活動家もやっぱ年寄りの考えなのだなと感慨深かったです。
「国民の孫」と「外人」の違い、確かに其れも在るでしょうね。
自分の場合、父親が早くに亡くなっていなかったら、そして終身雇用制が崩壊する等の雇用に関する変動が無かったなら、「滅私奉公的な人生」を送っていたかもしれません。
フィギュアスケートは、家族総出で選手をバックアップするという面が他のスポーツより強いらしく、家族がマネージャーやスコアラー的な役を務めることも多いそうです。
そのようにして競技生活を支えてきたお母様にとって、娘の晴れ舞台を直前にして自分が危篤に陥り、娘に「出場か欠場か」の選択をさせざるを得なくなることに、混濁した意識の中で無念を感じていたのではないかと思います。もちろんその一方で、死ぬ前に愛娘にひと目会いたいというお気持ちもまたあったと思います。
母方の曾祖母が亡くなる直前、「今日の試験は欠席してお祖母ちゃんに付き添う」と言った、当時大学生だった母に、曾祖母は「学業をしっかり修めてほしい。きちんと試験を受けなさい」と言い聞かせて送り出した、という話を祖母や母から繰り返し聞いていました。
そのためか、私としては、「親の死に目に会えないのが競技者の宿命」という考え方ではなく、「競技生活を支えてくれた親御さんとしては、晴れ舞台で活躍することを願っていたのではないか」という点を考えました。
しかし、これは私の個人的な考えで、仕事人としてのポリシー、家族の一員としてのポリシーは十人十色だと思います。
昨年末に読んだ雫井脩介氏の小説「銀色の絆」(http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/346783c0793c09e57cbbbd831fe692aa)はフィギュアスケート界を描いた作品なのですが、選手当人も然る事乍ら、家族のバックアップが如何に重要かというのを認識させられる内容でした。
浅田選手がプロとして脂が乗り切っている中、必死で支えて来た御母様が病の床に就いていたという事だけでも、御母様にとっては辛かった事でしょう。そして天に召される可能性を御母様自身が感じ取った時、其の無念さは如何許りだったか・・・想像するだに胸が痛いです。
親の死に目・・・残された子供もそうですが、旅立つ親の側にも、人其れ其れの考え方が在って当然で、「此れが正当だ!」なんていう物は在り得ない。