日本シリーズでジャイアンツが連勝出来た最大要因は、投手陣の頑張りに在る。昨日の試合に先発した澤村投手も本当に良く頑張ったと思うが、心に引っ掛かるのは1回表に与えた2死球。好打者揃いのファイターズ打線故、内角の厳しい所を攻めるのは当然だけれど、当てては駄目。況してや、1イニングに2死球なんて言語道断。ファイターズ及び其のファンの方々に対し、申し訳無い気持ちで一杯。死球を受けた陽岱鋼&中田翔両選手が第3戦以降も、問題無く出場出来る事を祈っている。
クライマックスシリーズのファイナル・ステージ、ドラゴンズの3連勝で土俵際に追い込まれたジャイアンツを救ったのは、第4戦に先発した澤村投手。“熱投”でドラゴンズ打線を抑え込んだのも流れを変えたが、試合後のヒーロー・インタヴューでは比較的クールな受け答えが多かった彼が、第4戦のヒーロー・インタヴューで「明日も勝つ!!」とシャウトした事が、流れの変化を更に強めた気がしている。
一昨日、勝利投手になった内海投手がヒーロー・インタヴューで「明日も勝つ!」とシャウトしていたのは、間違い無く澤村投手を意識した物だろう。そして昨日のヒーロー・インタヴューで、澤村投手は周りの期待通りに「明後日も勝つ!」とシャウト。少なくとも自分の中で「明日も勝つ!」は、今年の「新語・流行語大賞」の候補となった。
閑話休題。
東京新聞の連載コラム「東京トリビア」は「東京に関する意外な話」を取り扱っているが、10月17日付け(朝刊)の記事は「へーっ。」という内容だった。
先達てJR東京駅の丸の内駅舎が復元&公開されたが、此の丸の内駅舎内の3階にに嘗て、女子校が在ったのだとか。終戦間際、戦争で男手を取られ、駅に従事する女子職員の数は開業時(1914年)の10倍近い200人余に。其処で、当時の天野辰太郎駅長は「女子職員の教養を高めよう。」と、1945年5月に女子校を開校。正式名称はハッキリしないが、「東京駅高等女学校」とか「東京駅女子高等学校」等と呼ばれていたと言う。
旧国鉄の女子職員が通学し、日本橋の女学校の教師等が朝8時から2~3時間、授業をしていたそうだが、開校から1ヶ月も経たない内に東京駅は空襲に遭い、教室の在る3階部分は消失。其の後は駅舎内の空き部屋を転々とし乍ら、8月の終戦を迎えた。そして男達が戦地から復員してくると、何時の間にか無くなってしまったそうだ。詰まり、東京駅高等女子学校(乃至は東京駅女子高等学校)が存在していた期間は、極めて短かったという事になる。
意外な事実は、本当に多いもの。