「ハレ(晴れ)とケ(褻)」という世界観が我が国には在る。「日常生活がケ」、「儀礼や祭、年中行事等の非日常な面はハレ」で在り、昔の正月は非日常的な世界、そうハレの世界だった。正月の為だけに用意された御節料理や御屠蘇を飲食。三箇日は閉まっている店が殆どで、シーンと静まり返った商店街を着物姿の男女が歩いている姿を良く見掛けたもの。祖父母の家で久し振りに顔を合わせた従兄弟連中と、普段は全くやらない百人一首や凧揚げに興じるのも又、非日常的な世界だったと言えよう。
ところが近年の正月は、それ以外の日との境界線が余り無くなって来た様に感じる。元日から開店している店は結構在るし、御節料理等の特別食を用意しない家庭も増えていると聞く。街中で着物を見掛ける事も殆ど無くなった。百人一首や凧揚げ等では無く、普段と同じ様にゲーム機で遊んでいる子供達。これも時代の違いと言ってしまえばそれ迄なのだが、正月の非日常性が好きだった自分からすると、何とも寂しい感じがしてしまう。
小学生だった時分、正月の楽しみの一つが年賀状。「今年は何枚届くかなあ。」と、親戚縁者や友人達からの年賀状を楽しみにしていた。「キキーッ。」と郵便配達員が乗る自転車のブレーキ音が聞こえると、速攻でポストを覗きに行ったものだ。
新聞の読者投稿欄に先日、年賀状に関する記事が寄せられていた。子供が何人か居られる父親からの記事で、「上の子供達には多くの年賀状が届いたのに、下の子供(確か小学校低学年だったと思う。)には僅か1枚しか届かなかった。」という内容。個人情報保護法の絡みで住所録が作成&配布されておらず、友達に年賀状を出したくても出せないからだそうで、その僅か1枚は教頭からの物だったとか。「上の子供達は年賀状を楽しみにしているのに、その楽しみを味わえない下の子は可哀想。」といった父親の気持ちが吐露されていたが、年賀状を楽しみにしていた幼少時を思うと全く同感。
「一度も会った事が無いメル友が居る。」とする子供達が相当数居る御時世だから、年賀状では無くてメールで新年の挨拶を交わしているのかもしれないが、「非日常的なツールの年賀状で交わす挨拶。」と「何時もと全く変わらないコミュニケーション・ツールのメールで交わす挨拶。」とでは全く違った意味合いが在るのではなかろうか。どうも個人情報保護法は、悪い面でばかり効力を発揮している様に感じてしまう。
ところが近年の正月は、それ以外の日との境界線が余り無くなって来た様に感じる。元日から開店している店は結構在るし、御節料理等の特別食を用意しない家庭も増えていると聞く。街中で着物を見掛ける事も殆ど無くなった。百人一首や凧揚げ等では無く、普段と同じ様にゲーム機で遊んでいる子供達。これも時代の違いと言ってしまえばそれ迄なのだが、正月の非日常性が好きだった自分からすると、何とも寂しい感じがしてしまう。

小学生だった時分、正月の楽しみの一つが年賀状。「今年は何枚届くかなあ。」と、親戚縁者や友人達からの年賀状を楽しみにしていた。「キキーッ。」と郵便配達員が乗る自転車のブレーキ音が聞こえると、速攻でポストを覗きに行ったものだ。

新聞の読者投稿欄に先日、年賀状に関する記事が寄せられていた。子供が何人か居られる父親からの記事で、「上の子供達には多くの年賀状が届いたのに、下の子供(確か小学校低学年だったと思う。)には僅か1枚しか届かなかった。」という内容。個人情報保護法の絡みで住所録が作成&配布されておらず、友達に年賀状を出したくても出せないからだそうで、その僅か1枚は教頭からの物だったとか。「上の子供達は年賀状を楽しみにしているのに、その楽しみを味わえない下の子は可哀想。」といった父親の気持ちが吐露されていたが、年賀状を楽しみにしていた幼少時を思うと全く同感。
「一度も会った事が無いメル友が居る。」とする子供達が相当数居る御時世だから、年賀状では無くてメールで新年の挨拶を交わしているのかもしれないが、「非日常的なツールの年賀状で交わす挨拶。」と「何時もと全く変わらないコミュニケーション・ツールのメールで交わす挨拶。」とでは全く違った意味合いが在るのではなかろうか。どうも個人情報保護法は、悪い面でばかり効力を発揮している様に感じてしまう。

そんなに警戒しなくとも、いまどき家の電話へのいたずら電話やセールスの電話、ほとんどやってこないのですけどね。
(ま、ストーカー被害のことを思えば、住所を秘匿する気持ちもわからないではないですが)ダイレクトメールなども激減しております。
日常と非日常の境目がない正月、が普通になってしまうのでしょうかね?
御節料理ではなく、日常の食事というご家庭も多いようですし。
年賀状についてはうちも同様のケースとなっています。上の子が小学1年生なのですが、やはり住所録をもらっておらず、配布されているのは緊急時の電話連絡網のみ。それに対して幼稚園の下の子のほうは、担任の先生の手書きクラス名簿があり、結構年賀状のやりとりが盛んでした。「小学生になったのに私には全然年賀状が来ない・・・」と悲しそうな上の子を宥めるのに大変でした。
久保課長様の御宅では御節料理が”消滅”してしまったんですね。我が家では未だ”生存”していますが、でも2年程前からはメインの料理は出来合いを買うスタイルになりました。やはり手間が掛かるというのが大きいですね。「黒豆を鮮やかな色にするには、煮る時に錆びた釘を入れるんだよ。」といった御婆ちゃんの知恵も、その内に口伝されなくなって行ってしまうのでしょうか。これも又寂しい話です。
年賀状の話は個人的にかなり驚かされたのですが、やはりそういう現実が在るんですね。御子様が皆同じ様な状況なら未だしも、子供によって年賀状が来なかったりでは本当に可哀想。個人情報保護は大事な概念ですが、もっと柔軟な対応は採れないものなのでしょうかね。
私も大学の卒業者名簿には住所のみ掲載しており、電話番号は載せていません。本当に連絡が必要な場合はまたは良く合う人たちのみに電話番号は知ってもらってますから、それで充分だと思っております。こちらが無防備で居る時にセールスの電話、特にマンション関係が五月蝿いのですがかかって来るとめちゃくちゃムカッときます。「税金対策として。。」などという文言で始まりますから、季節的にそろそろかかってくるかなぁ。彼らは勤務先にもあの手この手で連絡を取ろうとして必死なのです。例えば「○○先生(出鱈目な名前)はいらっしゃいますか?」ということで受付に電話をしてきて「いえ、居ませんが」と返すと「では今いらっしゃる先生はどなたですか?」と聞いてきてうっかり応えると「あっ、その先生です、お願いします」といって繋ごうとしてくる。こういう輩は多いのでまったく覚えのない発信元だと「今処置中で手が離せないので後で連絡しますから、連絡先を聞いておくように」と申しておきます。そうするとまず99%は「じゃ、いいです」といって電話を切りますね。同じ事を何度も繰り返す学習能力のない人たちもいますけど。。。
かなり前の話になりますが、仕事中に自分宛の電話が掛かって来て、受話器を取るといきなり「○○高校の○○だけど覚えてる?」という声が。全く覚えの無い名前だったし、選挙の時期だったので「もしかして○明党の候補の依頼?」と聞き返した所、しどろもどろになり乍らも最後には「実は・・・。」と”白状”。「宗教嫌いだから。」と電話を切りましたが、恐らく同窓会名簿を見て電話して来たのでしょうね(苦笑)。こういう迷惑な輩も居ますから同窓会名簿から個人情報を外す方が居られるのも理解出切るのですが、そうせざるを得ない世情というのは寂しくも在りますよね。