ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

39年前の”酒鬼薔薇事件”

2008年01月04日 | 書籍関連
東大安田講堂事件」や「黒い霧事件」等が発生した1969年。この年の4月23日の午後、川崎市に在る私立高校の男子生徒(15歳)が惨殺された。胸部12ヶ所、背中七ヶ所、頭部12ヶ所、顔面16ヶ所の合計47ヶ所を滅多刺しにされ、左胸部に負った深さ15cmの刺し傷が致命傷。鎖骨下の動脈は切断され、「殆ど即死状態だったのでは。」と言われる程の凄まじさ。そして犯人は被害者を刺殺した後、左手で頭部を押さえ付け、鋭利な刃物で肩から水平に頸部を切り落としており、死体が発見された際には胴体から凡そ10数cm離れた所に首が転がっていたという。犯人は被害者と同級生の少年で、「中学時代から被害者の属するグループより、虐められ続けたのが犯行動機。」との事だった。*1

「39年前の”酒鬼薔薇事件”」とも言えるこの残酷な事件。自分はネット上の情報で、数年前に初めて知った。発生時にはこの世に生を受けていたが、幼かったが故に全く記憶に無い。当時はかなりセンセーショナルに報じられたと思うのだが、親に聞いても「そう言えば、そんな事件が在ったかも・・・。」という曖昧さ。少年が犯した残酷な犯罪という事で、それ程詳細に報じられる事が無かったのだろうか?

この事件の事を知り、ネット等で詳細を調べた事が在る。”少年法の壁”も在り、知り得るのは当時の新聞記事や裁判記録程度。つまり、加害者少年側から発信された情報ばかりと言っても良い。だから「長年に渡って陰湿な虐めが在り、その復讐として起こってしまった事件」という認識が自分の中には在ったのだが、今回読んだ「心にナイフをしのばせて」は被害者少年の親族や友人達からの証言で構成されており、事件の別の様相が見えて来た。

あくまでも被害者サイドからの証言なので、それを全面的に事実として受け容れるかどうかは難しい所では在る。被害者少年と同じグループだった者は「加害者少年をからかったりはしていたが、虐めてはいなかった。」としているが、これも”する側”と”される側”では当然認識が異なる訳で、加害者少年にとってかなりの苦痛だった可能性は捨て切れない。唯、当時の記録によると「何か困難に逢ったり、悩みが在る場合は、一人になりたがり、自分の弱みを見せるという事を極度に恐れる傾向が在る。」(横浜鑑別所作成「鑑別結果通知票」)、「自己中心的で他人に配慮が及ばない。サディズム激情内包し、時に動物的反応を呈し、前後の見境が無くなる。」(「少年調査票」)、「友人の腕を捻って骨折させたり、学校のロッカーを壊したりする事が在った。」(「学校照会書」)、「自分の意見を強く主張して他人を攻撃する為、嫌われる傾向が在る。素直に非を認めず、自分が遣ったという責任を取らず、遣ってしまった事は仕方がないという言い方をした。」(小学校の「行動記録」)といった記述が目に付く事から、「虐めが原因の殺人事件」という単純な物では無かった様に感じられる。

被害者少年は、父母と妹の4人家族だった。この事件を境に、残された3人の人生は大きく変わってしまう。頑固で堅物で、誰よりも心強い人間と思っていた父親が一寸した事で涙を溜めてしまう程涙脆くなり、最期迄息子への思いを抱えたまま1988年に病死。息子に期待と愛情を注ぎ込んでいた母親はショックの余り一日にして白髪となり、現実を受け容れられずに睡眠薬を服用し昼夜関係無しに眠り続ける日々を送る。(その為に、当時から数年間の記憶が殆ど無いという。)意識が在る時でも、何者かが憑依したかの様に”別人格”が現れて暴れ出す事も在ったとか。生存中は”出来の良い兄”と親から比較され反発し続けて来た妹は、兄を失ったショックに加えて(「自分でもすっかり涙が涸れてしまったんじゃないかと思う程、この30年、泣く事を忘れてしまった。私の胸の中で渦巻いていた感情が石の様に固まり、涙はその中に閉じ込められてしまったのかもしれない。」という彼女はコメントしている。)、両親の兄への思いが自分に向いた”重さ”から益々反発を強め、自暴自棄になった事も。

被害者少年の親類縁者の心にも相当な傷を負わせたこの事件、被害者が属していたグループの少年の心にも未だに深い傷を残している様だ。自分としては虐めているという感覚は無かったものの、もしかしたら加害者少年は虐めと捉えていたのかもしれないし、そうで在れば自分が被害者の代わりに殺されていた可能性も在った訳で、加害者&被害者双方に対してはずっと深い思いを抱えていると。被害者サイドの人々の殆どが、この事件発生と共に自分の中で時間を止めてしまっている様に感じられる。

この本の中で一番驚かされたのは、加害者の元少年が現在は弁護士として働いているという事。自らの法律事務所を持ち、街ではその名を知られた名士と言える存在なのだとか。罪を償った上での”現在”が在るのならば特にどうこう言う事は無いが、書かれている内容を読む限りでは悪い事をしたという意識が皆無の様で、仮に虐めが原因で在ったとしても、此処迄の”無感情さ”というのは不気味ですら在った。

2004年度で、日本政府が犯罪加害者の更正に掛ける支出は年間466億円。それに対して、被害者の為の予算が年間僅か11億円。だという。何ともな費用バランスだ。これでも被害者の為の予算は”酒鬼薔薇事件”以降に増額されているのだそうで、それ以前は僅か数千万円と、加害者に掛ける費用の一千分の一以下だったというのだから驚き。

息子を失った哀しみを埋め合わせる為か、事件から2年程して家庭環境が複雑な小学校1年の女の子を両親が養女にしようとしていたが記されているのだが、その女の子の言動にはゾッとさせられてしまった。様々な人間模様が垣間見られ、色々考えさせられる本だ。

*1 この事件に付いては、幾つかのサイトで詳細が記されている。(サイト1サイト2

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3 コメント

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Unknown (shadow9)
2008-01-05 16:16:03
こんにちは。
TBではお世話になっていますが、コメントは初めてでしょうか。

この事件については、我がブログでも取り上げましたが、当時いじめがあったかどうかは別として、問題は被害者、加害者のその後です。
ご指摘のとおり、加害者は少年法に守られ、その後弁護士として生活をしており、一方被害者側は、悲惨な経緯をたどっています。
また、加害者側からは補償も謝罪もなく、被害者遺族の請求に対して、加害者の父親は殆ど“恵んでやる”という態度で、しかも借用書を書けなどといったそうです。
この加害者の氏名、顔写真もありますが、それを晒すことも少年法に触れるらしい。
刑事事件、裁判は、常に被告のためにあり、残酷に殺害された被害者、ご遺族は無視され続けてきました。
死んでしまったものはしょうがない、それが現実。
まったく理不尽。
MEPHIST
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歴史の事実 (村石太事件)
2011-04-08 11:29:40
恐ろしい事件でしたね。国会で 民営化問題があるとこういう事件が 起きる?他に何かあるのかなぁ?
犯罪のない世の中になるといいですね
人は 美しくないのかなぁ。
悪い奴らばかりの 世の中になったらどうなる。
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>村石太事件様 (giants-55)
2011-04-08 15:01:29
書き込み有難う御座いました。

「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ(例え砂浜の砂が無くなる様な事が在ったとしても、盗人は世の中からは消えないだろう。)」とは、安土桃山時代に出没&処刑された盗賊・石川五右衛門の有名な辞世の句ですが、残念乍ら何時の時代にも盗賊に限らず、犯罪に手を染める輩は消えない。全くゼロになるのは無理にしても、少しでも犯罪が、其れも凶悪犯罪が少なくなって欲しいものです。
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