18歳の少年3人が小学校に侵入し、小屋で飼育されていた兎1羽を持ち去った上、公園でサッカーのボール代わりに蹴り回して殺害したというニュースには暗澹たる思いしか無かった。食すという目的ではなく、自らの快楽を満たすだけの為に、小さな命を奪い取った行為。こういった鬼畜の所業を、平然と為せる神経が全く理解出来ない。強者と弱者の色分けが明確化して行く中で、より弱きモノに対して残酷さのベクトルが向いて行っているのは寒々しい限り。
この事件を報じるスポーツ紙の中に、「ウサギで殺ッカー」という見出しを付けているのものが在った。「サッカー」に語呂合わせした訳だ。
常々、スポーツ紙の駄洒落的な見出しの妙には舌を巻く思いが在り、そのセンスには好意的な目を向けている自分なのだが、今回のこのタイトルには不快感すら感じた。よもや、この見出しを付けた担当者が、「我ながら素晴らしい語呂合わせだ。」と悦に入っていたとは思いたくないが、それにしてもこういった残酷な事件に、面白半分にも”思える”見出しを付けるのはどうかと思う。勿論、記事の中身は深刻にこの事件を報じたものなのだが、仮に見出しだけを見た人間に事の重大性を軽く”感じさせて”しまう懸念を覚える。記事に目を通した人間で在っても、この見出しによって事件を軽く捉えさせてしまう事も考えられなくはないだろう。
以前にも書いたが、マスメディアが言葉遊びに走り過ぎている現状に憂慮の念を持っている。「未成年買春」を「援助交際」、「中高年への暴行」を「オヤジ狩り」等と面白おかしく言葉遊びしている事で、事の悪質さや問題性を薄れさせているのではないか?それなりに分別の在る大人で在っても、こういった言葉遊びによって、麻痺させらてしまっている所が在るのではないか?況や、精神的に未成熟な子供達で在れば、その捉え方が一層軽くなってしまうのではないか?
センセーショナリズムに毒されてしまった受け手の側もそうだが、情報を送り出すマスメディアの側も、こういった報道の在り方が本当に良いものなのか考え直すべきだろう。
この事件を報じるスポーツ紙の中に、「ウサギで殺ッカー」という見出しを付けているのものが在った。「サッカー」に語呂合わせした訳だ。
常々、スポーツ紙の駄洒落的な見出しの妙には舌を巻く思いが在り、そのセンスには好意的な目を向けている自分なのだが、今回のこのタイトルには不快感すら感じた。よもや、この見出しを付けた担当者が、「我ながら素晴らしい語呂合わせだ。」と悦に入っていたとは思いたくないが、それにしてもこういった残酷な事件に、面白半分にも”思える”見出しを付けるのはどうかと思う。勿論、記事の中身は深刻にこの事件を報じたものなのだが、仮に見出しだけを見た人間に事の重大性を軽く”感じさせて”しまう懸念を覚える。記事に目を通した人間で在っても、この見出しによって事件を軽く捉えさせてしまう事も考えられなくはないだろう。
以前にも書いたが、マスメディアが言葉遊びに走り過ぎている現状に憂慮の念を持っている。「未成年買春」を「援助交際」、「中高年への暴行」を「オヤジ狩り」等と面白おかしく言葉遊びしている事で、事の悪質さや問題性を薄れさせているのではないか?それなりに分別の在る大人で在っても、こういった言葉遊びによって、麻痺させらてしまっている所が在るのではないか?況や、精神的に未成熟な子供達で在れば、その捉え方が一層軽くなってしまうのではないか?
センセーショナリズムに毒されてしまった受け手の側もそうだが、情報を送り出すマスメディアの側も、こういった報道の在り方が本当に良いものなのか考え直すべきだろう。
感心させられました。
(^_^;)
注目を集めようとするものなのでしょうが、どうも・・・。
また、その少年達には私も腹立たしい思いでいっぱいですね。子供には残酷な面もあるけれど、18歳ではもう分別がつかなくてはいけない歳だと思います。また、残酷と言っても、これはやりすぎ。人間としてやってはいけないことではないでしょうか?
奇をてらった表現で注目を集めるのも一つかも知れませんが、大事なのは「真剣に捉えなくてはいけないニュースは、真剣に報道すること」なのではないでしょうか?そこにはおちゃらけもおふざけも必要ないと思うのですが・・。
正直言ってものすごい憤りを感じました。
そして、TVで見たとき、ホントにこの3人をそういう目に遭わせてやりたいとすら思いましたね。
TVでは「ボレーシュートやったら死んじゃった」とか言っていたけど、「貴様らが同じことやられたらどないな気がするんや!!」と怒り頂点でした。
うちのブログで取り上げようと思ったんだけど、あまりに残酷で気分の悪い話だったのでやめました。
で、それを面白おかしく表現するスポーツ誌や特に週刊誌ね、これは被害者を小馬鹿にしているとしか思えないですね。
まあ読むとそれなりの文章があるけど、週刊誌の場合、売れるためにうウソでっち上げを平気で書いているのでほとんど読まないですね。
メディアの力ってすごい強いのでいい加減な情報もすぐに浸透してしまいます。
俺はそういうのには惑わされないでホントに正しい情報、必要な情報だけを見ていきたいこのごろです・・・。
子供が残酷な部分を持っている。それも悪意の無い残酷さをというのは確かに在るのですが、でも18歳という年齢の彼等にそれを当てはめてしまうのは疑問を感じなくも在りません。それだけ、彼等の精神が未熟過ぎたという事なのかもしれませんが・・・。
東スポの「エルビスは生きていた!?」とか「ブッシュ大統領が宇宙人と会見していた!?」といった見出しは大好きなのですが(笑)、でも何でもかんでもセンセーショナルな見出しにしてしまう今の風潮に抵抗を覚えます。唯、需要が在ってこそ供給が在るという意味では、ああいったセンセーショナルな報じ方は致し方ないともいえ、それは見る側の問題でも在るんですよね。
higu様も御存知かとは思うのですが、つい先だって迄、アスファルトを突き抜けて育っていた大根のニュースが何度もニュース番組で報じられていました。「ど根性大根」と命名?されたこの大根が、或る日何者かによって折られた事が大々的に報じられていました。そのニュースでは、街の人々の声も流されていたのですが、「何て”残酷”な事をするのか。絶対に許せないです!」という声には正直笑ってしまった所が在ります。だって、皆、普通に大根を食している訳で(面白半分に抜いたという意味で怒るのなら判るのですが。)、それならば大根おろし等は「鋸引きの刑」位残酷なのだろうか?と思ってしまうからです。
そして、その後は折られた大根の残りを「”危篤”状態」と報じたり、「”クローン技術”で再生させる。」等々、まあ意識して面白半分で取上げているのでしょうが、見ていて「もう好い加減にしたら?」と思われました。
センセーショナルな取上げ方を100%否定するつもりもないのですが、やはりTPOに応じて、真面目に報じる(論じる)所は真面目に報じる(論じる)姿勢が在っても良いのではないかと思ってしまいます。特に最近は、何でもかんでも茶化して本質を誤魔化してしまう傾向が強い世の中なので、その思いが強いです。
問題の見出しですがこれは一面ではしょうがないとも思えてしまいます。現代の我々はあまりにもセンセーショナルな出来事に慣れすぎています。私としてはマスコミには「気骨のある」態度や姿勢を望みたいのですが、やはり現実的には受け手に迎合しなければいけないのでしょう(この辺りはgiants-55さんの方が詳しいでしょうが)。
「少年がウサギを殺した」と問題の見出し。どちらが興味(快、不快は別に)を引くかと言えば後者ですよね。
とは言え、やはりこうした報道機関の姿勢には眉をひそめたくなるのですが…。
昔は乞食と言われた人達が、今はホームレスと呼ばれるのは、差別的な表現を避ける意味では良いと感じますが、ニートとか言う存在は、徹底的にさげすむ呼び名にした方が良いと考えます。 なぜならニートと言う言葉がある事によって、『俺は今ニートやってる...』と言うだけで社会的に何らかの市民権を得たような錯覚を持つ連中が多いように思うのです。ある意味でストーカーもそうではないでしょうか? 私は『ストーカー』と言う言葉が広まった時期から、その手の事件が増えたように感じています。変質者は変質者と呼んだほうが良いのではないかと思います。
いずれにせよ、新語を流行らせては得意顔をしているマスメディアの連中....横っ面をはり倒してやりたい気分です。(^^)