ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

「錨を上げよ」

2013年12月02日 | 書籍関連

記事「海賊とよばれた男」で総合評価「星4つ」を付けた様に、百田尚樹氏が著し此の小説は、文句無しに面白い小説だった。最後の方で「『こういう人物は素晴らしい!』とか『国家を最優先して考えないのは売国奴だ!』等と政治利用される可能性も懸念しないでは無い。」と敢えて記した様に、小説を通して伝わって来る著者の“思惑”に危うさを感じていたのも事実。

 

「海賊とよばれた男」を読了した時点では、百田氏に関する知識は「『探偵!ナイトスクープ』【動画】のメイン構成作家を務める等、売れっ子の放送作家。」という位しか無かったのだが、其の後、彼がTwitterや雑誌等、の場で“的主張”、其れも「唯一無二的な決め付けをし、自身の意に沿わない人間に対してはあからさま嘲笑する様なスタンス。」での物が目立つのには、正直ガッカリさせられた。そして安倍晋三首相と彼が非常に近しい関係に在り、“御友達”で在る彼を安倍首相がNHK経営委員に“押し込んだ”事を知るに到っては、「『海賊とよばれた男』を読了した際に危うさを感じたのは、安倍首相が有する危うさ同質だったからか。」と腑に落ちたのだった。

 

百田氏が公の場で発信している主張に相容れない部分が少なく無いものの、彼が生み出す小説が面白いのは事実。彼自身と彼の作品とは、基本的にクロス・オーヴァーさせない様にしているのだが・・・。

 

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戦争が終わって丁度10年目、未だ空襲が残る大阪下町に生まれた作田又三(さくた またぞう)。

 

高度経済成長60年安保闘争東京オリンピック大阪万博よど号ハイジャック事件日本列島改造論石油ショック・・・激動の昭和の時代、生まれ乍ら野生児・作田又三は、人生という荒海を渡って行く。いざ海図無き嵐の海へ。さあ、を上げよ!

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百田氏の小説「錨を上げよ」を手にした時、其のタイトルから「『海賊とよばれた男』の様な、硬派な内容なのかな。」と思ったのだが、其の予想は全く裏切られた。

 

野卑」、「狡い」、「しぶとい」、「先を考えない場当たり主義」、「自分本位」、「惚れっぽい」といった気質有する作田又三(「又三」という名前を目にすると、どうしても此の人を思い浮かべてしまうのだが。)が主人公。兎に角灰汁の強い人間で在る。

 

一部ネタバレになってしまうが、「錨を上げよ」の中で又三は20人近い女性に恋心を抱くのだが、其の惚れっぽさも然る事乍ら、自身の身勝手さ(相手に対して過度純潔さを求める一方、相手に対する配慮に欠けている等。)から何度も“振られ”てしまう学習能力の無さには、正直呆れてしまう。

 

又、其れ以上に呆れてしまうのは、彼の「先を考えない場当たり主義」で、其の事により彼は常に、好んでいる訳では無いのだけれど波瀾万丈な道へと進んで行ってしまう。「出来の悪い高校で、不良生活を送る。→左翼の活動グループに身を置く。→高校を卒業し、スーパーの店員となるが、店長と衝突して退社。→猛勉強し、同志社大学に入学。→学生生活に失望し、大学を中退。→上京し、様々なアルバイトをするも、長続きしない。→右翼団体に身を置く。→右翼団体から逃げ出し、パチンコ店やレコード店等で働く。→北海道に渡り、海栗密漁で大儲けする。→ソ連の警備艇に追われ、結果として足の指2本を失う。→東京に戻り、放送作家となる。→放送作家として成果を残して行くも、或る事件を切っ掛けに、放送作家を辞める。→タイへ渡る。→帰国。」と、ざっくり記しただけでも、其の波瀾万丈さが何れ程の物なのか、理解して戴けるだろう。

 

人生に於ける分岐点”で、又三は様々な人間と出遭い、そして影響を受けて行く。後に或る人物から「君は一言で言えば、『愛する男』だな。」と言われる又三だが、特に大きな影響受けるのが「女性」。彼の“捻じ曲がった愛情”も在って、結果的に彼女達からは小っ酷い仕打ちを受ける。

 

年齢(1955年生まれという設定の又三に対し、百田氏は1956年生まれ。)や「同志社大学中退→放送作家」という経歴等から、「錨を上げよ」は百田氏の自伝的作品の様にも感じたのだが、又三の家族構成等、幾つかの違いが在り、必ずしも自伝的作品という訳では無い様だ。とは言え、百田氏が又三に自身を投影させているのは確かだろう。

 

冒頭で記した様に「公の場で“右的主張”、其れも『唯一無二的な決め付けをし、自身の意に沿わない人間に対してはあからさまに嘲笑する様なスタンス。』での物が目立つ百田氏。」が、「錨を上げよ」の中で「(過ぎた)左翼思想のみならず、(過ぎた)右翼思想にも批判をしている。」という点が興味深かった。双方の共通点を挙げた上での批判で、そういった面では共感覚えるも、「では、公の場で“右的主張”、其れも『唯一無二的な決め付けをし、自身の意に沿わない人間に対してはあからさまに嘲笑する様なスタンス。』を取っているのは、何なんだ!?」という疑問も湧く「小説は“仮の姿”で記し、現実社会では“本当の姿”で主張する。」という事なのだろうか?

 

ハッピーエンドで終わる小説では無い。寧ろ心中がざわめい尻切れ蜻蛉の様な形で終わってしまった。という感じがする。バラバラになってしまった又三の家族の其の後が気になるし。

 

上巻&下巻併せて、1,200を超える大作だが、先が気になって一気に読了。総合評価は、星3つ


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6 コメント

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giants55様 (AK)
2013-12-02 16:25:18
この記事、背景の色と文字が混ざって大変読みづらいです。

百田氏に関しては彼の学歴と彼の言動で腑に落ちることがあります。彼が通っていた当時の同志社大学は自治会の権力が強大でした。自治会の思想に反する団体、個人はリンチに遭うことも少なくなかった時代です。彼個人と自治会関係者が何があったかまでは知りませんし、興味もないのですが、コンプレックスがあったであろうことは想像に易いことです。この時代ぐらいまでの左翼は圧倒的な「インテリイメージ」でした。実際には暴走族のような行為しかしていなかったとしても。
ちなみに彼は当時関西のテレビ番組で「みじめアタッカー」として有名でした。

コンプレックスといえば朝日・岩波(&日経?)叩き好きの「産経文化人」なんてのは典型例ですしね。今は知りませんが、彼らが学生だった時代(~1980?)の岩波の地位はすごいものでしたし、私は田舎の人間なので特に感じるのですが、首都圏のインテリ(学者、専門職、大企業社員)で60歳前後までの方の朝日購読率はかなり高いでしょうね。朝日と日経読んでいないと馬鹿にされるような雰囲気を感じたことがあります(うちの田舎では地方紙購読率が高くて、朝日と日経というと「先生」か変わり者という印象でした)。
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>AK様 (giants-55)
2013-12-02 23:18:45
書き込み有難う御座いました。

「今月は、シックなテンプレートにしよう。」と思って選んだのですが、見難さを感じさせてしまい、申し訳在りませんでした。早速変更しましたが、如何でしょうか?

「ラブアタック!」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%96%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%83%83%E3%82%AF!)、好きで良く見ていました。彼の番組にて「関西の大学では『○年生』というのでは無く、『○回生』という呼称を使うんだ。」と知った関東人は結構多かったと言いますが、自分も其の1人です。又、此方(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%96%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%83%83%E3%82%AF!#.E5.87.BA.E5.A0.B4.E3.81.97.E3.81.9F.E8.91.97.E5.90.8D.E4.BA.BA)で紹介されている様に、「出場していた一般人の中から、後に少なからずの有名人が輩出された。」というのは知っていましたが、百田氏もそうだったというのは、今回の書き込みで初めて知りました。

学生運動を知らない世代なのですが、書物やら映像やらで知る範囲では、「左翼」も「右翼」も、極端に偏ったケースでは、遣っている事が何等変わらないというのは在りますね。「極端に排他的思考で在るのみならず、力尽くで“異端”を排除しようとする。」という事なんぞは、全く同じ。自分が「極左」も「極右」も、共にシンパシーを全く感じ得ないのは、そういった面が受け容れられないから。
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Unknown (マヌケ)
2013-12-03 12:56:59
百田作品はもう飽いてきました。 さっそく、受信料は国民の義務とするような提言がなされていますね。 テレビがなくても税金のように義務として徴収?されることになるかもしれませんね。 パソコンやスマホがあれば支払義務が生じるという考えらしいです。 
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>マヌケ様 (giants-55)
2013-12-03 13:49:45
書き込み有難う御座いました。

百田氏の主義&主張には相容れない部分が少なく無いけれど、「常に新しい分野の題材を、小説に取り入れている。」という彼のスタンスは、個人的に評価しています。

「NHKの受信料、TVを所有していない人からも徴収する。」という方針が報じられましたね。インターネットの存在を挙げる等、色々尤もらしい事を言ってはいますが、要は「取り上げられる物は、何でも取り上げる。」という政府の方針(「死亡消費税」等。)と同根の発想。自分達は相変わらず身を斬る改革をしない儘、「良く言うよ。」という感じです。
http://www.huffingtonpost.jp/2013/08/17/death-tax_n_3771670.html#
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ポジティブ?な側面 (AK)
2013-12-06 18:58:05
個人的な体験から学生運動や新左翼・新右翼にはネガティブな感想を持っていますが、ポジティブな側面ではいわゆる当時の「サブカルチャー」の高揚との連動でしょうか。全共闘が当時の政権与党、旧左翼(特に共産党)へのアンチとして猛烈なパワーを発揮した1960年代後半から下火になりつつもくすぶっていた1980年ごろまで、欧米の過激派との呼応関係もあり、凄まじい物でした。演劇(蜷川、つか、等)、映画(ジャン・リュック・ゴダール、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー、若松孝二、大島渚、足立正生等)、音楽(岡林、高石ともや、友部正人、カルメン・マキ、浅川マキ、頭脳警察、裸のラリーズ、ジョンレノン、オノ・ヨーコ他)舞踊、写真(森山大道)、絵画・マンガ(赤瀬川原平、赤塚不二夫)、ジャーナリズム(多くのアングラ雑誌、「週刊金曜日」、現在も出ているのだとロック雑誌の「ロッキングオン」)等。

単純に「新左翼的なアンチ主流文化」「旧弊な文化の拒絶と破壊」が最先端の流行であったのもあるだろうし、一方で政権自体が旧文化の大規模な破壊と新国土創造中であったことも実は大きな影響を与えていたのかもしれません。

結局サブカルチャーの多くは主流派に取り込まれていくことで徐々に商業主義的になるものが多くなっていったこと、また新左翼(特に中核・革マル)の先鋭化とカルト化により、「サブカルチャー」の側が離れていったこと、等もあると思います(例えば蜷川幸雄は全共闘のシンパでしたが、赤軍派の事件が原因でシンパを辞めた)。

ところで今のネトウヨには残念ながらそういう力は全く感じられないです。
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>AK様 (giants-55)
2013-12-06 22:29:34
書き込み有難う御座いました。

自分は学園闘争を知らない世代という事も在り、「右翼」だ「左翼」だという概念に関して、深い部分は良く判らないというのが正直な所です。

そんな自分ですが、「右翼」だ「左翼」だというのに魅力を全く感じ得ない(正確に言えば、「極右」だ「極左」だというのに魅力を感じ得ないという事になるのでしょうが。)のは、実に単純明瞭な理由からなんです。「何や彼んやと尤もらしい主張をする一方で、『目的達成の為なら手段を選ばず。』と、無関係な人間に危害を与える事を厭わない身勝手さ。」や「『自虐史観や反日(偏向)放送は許せない!』と主張する一方で、『日本にとって都合の良い事は全て事実だけれど、不都合な事は仮令事実で在っても(又は事実としか思えなくても)、事実で在る訳が無いとする。」等、彼等が猛烈に嫌っている筈の中国や韓国、北朝鮮と何等変わらない、余りにも身勝手で定まらない判断基準。」等が大嫌い。此れは相手がどういう立場で在れ、そういう思考が垣間見えた時点で、全くシンパシーを感じ得なくなってしまうんです。
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