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昭和14年の夏。2年前に始まった支那事変が泥沼化しつつ在った。陸軍が日独伊三国軍事同盟の締結を強く主張する中、海軍次官の山本五十六(役所広司氏)、海軍大臣の米内光正(柄本明氏)、事務局長の井上成美(柳葉敏郎氏)は、信念を曲げる事無く、同盟に反対の立場を採り続けていた。日本がドイツと結べば、何倍もの国力を持つアメリカと戦争になる。其れだけは、何としても避けなければならないと考えていたのだ。だが世界情勢は急転、第二次世界大戦が勃発してしまう・・・。
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映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-」を観て来た。「山本五十六」と言えば「連合艦隊司令長官として真珠湾攻撃やミッドウェー海戦の総指揮に当たった。」事や、「陸上攻撃機にて前線視察に向かう途中、其の情報を得ていたアメリカ軍の戦闘機に襲撃&撃墜されて死亡した。」事等が有名だろう。
彼が生まれたのは1884年というから、戊辰戦争終結(1869年)から15年しか経っていない年という事になる。「秩父事件」、「日清戦争」、「日露戦争」、「大逆事件」、「第一次世界大戦」、「満州事変」、「五・一五事件」、「二・二六事件」、「日中戦争」、「第二次世界大戦」等々、山本元帥の生きた時代には国内外で大きな事件や戦争が次々に発生しており、激動する時代に翻弄された人物と言っても良い。
真珠湾攻撃が為されたのは1941年で、戊辰戦争終結から72年が過ぎ去っている訳だが、「軍部内では『戊辰戦争で勝利を収めた薩長の出身者』と『戊辰戦争で負けた旧幕府勢力の出身者』との確執が存在していた。」というのは、「未だ『幕末』を引き摺っていた。」という意味で苦笑するしか無い。様々な思惑から、必ずしも指揮系統が一本化されていなかった状況も描かれており、「山本長官も大変だったろうなあ。」と思ったりも。
「国力の差を考えれば、アメリカと戦うなんて無謀も無謀。なのに何故、日本はアメリカとの戦いに突入してしまったのか?」と、自分を含めた“戦争を知らない世代”は疑問に思う。でも此の作品を観ると、現代でも「同じ過ちを繰り返し兼ねない危うさ」が在る事に気付かされる。
日独伊三国軍事同盟締結に反対している事に憤り、若手の軍人達が井上成美の元に押し寄せるシーンが在る。「信頼を置く事が出来るドイツと、何故同盟を結ばないのか?」と迫る彼等に対し、井上は(当時のドイツの国家元首で在る)アドルフ・ヒトラーが著した「我が闘争」の一節を“原文で”読み上げて聞かす。其れは「日本人を蔑ろにする記述」で、「そんな相手に対して、どうして信頼を置く事が出来るのか?」という井上の思いが在ったのだ。其れに対して若手軍人達は「そんな記述は、自分達が読んだ『我が闘争』の中には無かった。おかしい!」と益々憤るのだが、山本長官は「翻訳する際、(「ドイツを日本の友好国として印象付けたい。」と思う者達の思惑から)不都合な部分は削除されたのだろう。何事も、大本迄遡って確認しないといけない。」と諭す様に話し掛けていた。
香川照之氏が演じる新聞記者は「世の中に、閉塞感が満ち溢れている。『中国との戦いを邪魔しているアメリカと戦え!』というのが世論で在り、其れに反して日独伊三国軍事同盟締結に反対している貴方はおかしい!!」と山本長官を詰り(其れに対して山本長官が「閉塞感を煽っているのは、貴方方ではないのか?世論とは、本当に国民の声なのでしょうか?」と疑問を呈していたのが印象的。)、「日本は戦争すべきで在る。」といった論説を紙面に載せ続ける。開戦以降は軍部が発表する情報を鵜呑みにし、「日本は勝利を重ねている。」と喧伝。日本の戦局が不利になっている事を肌で感じ始めて以降も同様だったのに、終戦を迎えた途端に「アメリカの民主主義は正しい。」といった“手の平返し”の紙面作りをしていたのには、唯々苦笑してしまうだけ。
戦争に疑問や抵抗を感じる者が居る一方で、「第一次世界大戦で景気が回復した様に、不景気な現状を打破するには戦争をするしか無い。日本は此れ迄、戦いで負けた事が無いのだから、アメリカにだって勝てる!」と無根拠な思考から戦争を望む国民の姿も描かれていた。「戦争が実際に起こったら、自分達も戦場に駆り出される可能性。」や「戦場で手足を吹っ飛ばされたり、死ぬかもしれないという可能性。」をリアルに頭でイメージする事無く、「自分達とは無関係な場所で行われる戦争」という意識しか無い様な彼等の姿に、ゾッとする思いが。
自らに不都合な事実は全否定したり、見ようとしなかったりし、都合の良い部分のみを取り入れる。今も、そういった人達が少なからず居る現実。又、閉塞感を口にする人達の中には、「戦争が起きたら、全てが好転するかも。」と考える者が少なくないという話も見聞する。こういった人達が増えて行けば、同じ過ちを繰り返し兼ねないだろう。
総合評価は星4つ。
バルチック艦隊を破り日露戦争に勝利したものの、日本の戦費は底をつき国力の限界にあって、アメリカに仲裁を求めた。その結果戦争に勝利したにもかかわらず、ロシアから賠償金を引き出せず、世論は政府の弱腰に非難を浴びせた。
しかし、事実を冷静に見れば、ロシアは帝政から共産主義への政治の転換期にあたり、とても戦争だけに集中できる状況ではなかったし、負けたといってもロシアの国力から言えば、極東の局地戦に負けただけ、という意識があって日本の国力の疲弊を見透かされていた、というのが事実でしょう。
彼我の国力や状況を冷静に分析し、交渉に臨んだからこそ無用な泥沼に入ることなく、勝利という現実だけを手に出来たのに、その現実だけを知らされ、無邪気に「勝利」だけを知らされて喜んだからこそ、その後に続く長い戦争を繰り返し、結局手痛い敗戦を迎えることになったといえるでしょう。
事実は良い事も都合の悪いこともすべて隠さず伝えることが、選択を誤らない唯一の方法なのですね。
日露戦争(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%9C%B2%E6%88%A6%E4%BA%89)の終結は1905年ですが、其れから12年後にはロシア革命(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E9%9D%A9%E5%91%BD)が起こっています。悠々遊様も指摘されている様に、日露戦争の最中から既にロシア内では“帝政”に揺らぎが出ており、彼の国は「内憂外患」を抱えていた状態。人員や資源等、持てる物を全て戦争に投入し、ギリギリの所で何とか戦っていた日本に対し、ロシアは内部の引き締めを図りつつ戦っていたという感じだったでしょうね。「此処で戦争を終結させても、実質的に失う物は余り無い。故に、戦争の終結はOK。」というのがロシアの考えだったろうし、そういった“現実”を知らされなかった日本国民の間には、「戦争に勝ったのに、何故賠償金が得られないのだ?」と憤りの声が上がったのも判らないでは在りません。
「事実は良い事も都合の悪い事も全て隠さず伝える事が、選択を誤らない唯一の方法なのですね。」というのは、全く其の通りだと思います。自民党の隠蔽体質を詰り乍ら、自らが政権の座に就くと同様の事をしてしまっている民主党。此れではいけません。
話は全く変わるのですが、此の作品の中で本筋とは全く無関係なれど、印象に残るシーンが在りました。其れは山本長官が妻、そして4人の幼子達と食卓を囲むシーン。1匹の煮魚を山本長官が箸で1摘み取っては、子供達や妻に分け与えて行く。最初は子供達、其れも年長の者から「はい、○○。」と1人1人名前を呼んで、最後は妻に分け与える。柔和な表情を浮かべる山本長官に、子供達は「有り難う御座いました。」と言葉を返して行く。何気無いシーンなのですが、1人で1匹の煮魚を食すのが普通となっている今では、こういう光景が妙に懐かしくも在りました。と言って、自らの幼少期にそういう事が在った訳では無いのですが。
すでにそこそこの地位にあったでしょうに、それでも1尾の煮魚を家族で分けて食す、その何気ない営みの中から、人間山本五十六の人柄が偲ばれるというわけですね。
その時代、貧富の差に拘らず皆が質素倹約だったかといえば、決してそうではなかったはず。現在に比べ社会全体が相対的に貧しかっただけで、その時代の基準でいえばそこそこ贅沢な暮らしをしていた人はたくさんいたでしょうから、余計際立つエピソードではないでしょうか。
魚を数える際、自分はどうしても「匹」という単位を使ってしまうのですが、悠々遊様が使われた「尾」という単位は趣が感じられ、良いですね。
不景気で苦しむ人達が居る一方、其の不景気を逆利用して儲けている人達も居る。仰る様に、世の中が貧しくても、贅沢な暮らしを送っていた人も当時は居た事でしょう。其れなりのポジションに在ったのだから、山本長官も贅沢な暮らしをしようと思えば出来たのかもしれないけれど、慎ましやかな生活が垣間見える食事シーンは印象的。何よりも「家族の為に、1尾の煮魚を取り分けている父親。」と「そんな父親に対して、嫌味無く感謝の言葉を返す子供達。」という構図に、自分は心を打たれました。