昨年、日本映画界を大きく盛り上げた2つの作品。1つはアニメ「君の名は。」で、自分も実際に映画館で観たが、噂に違わぬ素晴らしい内容だった。(総合評価は、星4.5個とした。)
そしてもう1つの作品が「シン・ゴジラ」で、「大人の鑑賞にも堪え得る素晴らしい作品。」とか「歴代『ゴジラ・シリーズ』の中でも、最高の出来。」といった絶賛の声が上がっており、「じゃあ、映画館で観よう。」と思っていたのだが、タイミングが合わずに上映が終わってしまった。
先日、此の作品が地上波初放送となり、漸く見る事が出来たので、今日は記事にしてみる。
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東京湾アクアラインのトンネルが崩落する事故が発生。首相官邸での緊急会議で内閣官房副長官・矢口蘭堂(長谷川博己氏)が、海中に潜む謎の生物が事故を起こした可能性を指摘する。其の後、海上に巨大不明生物が出現。更には鎌倉に上陸し、街を破壊し乍ら突進して行く。政府の緊急対策本部は自衛隊に対し防衛出動命令を下し、“ゴジラ”と名付けられた巨大不明生物に立ち向かうが・・・。
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今回の「シン・ゴジラ」、(ハリウッド版等を除いた)我が国が制作した物で言えば、「ゴジラ・シリーズ」の第29作目に当たるのだとか。第1作が上映されたのは1954年だから、もう63年経つ訳だ。動き回るゴジラの姿は知っているが、実は自分、ゴジラ作品を見るのは今回が初めて。(「モスラ」は見た事が在るのだけれど、「モスラ対ゴジラ」は見た事が無い。)別に見るのを忌避していた訳では無く、見ない儘に来てしまったという感じ。今回が、“初ゴジラ”という事になる。
「シン・ゴジラ」というタイトルの「シン」は、何を意味するのか?「『新しいゴジラ』という意味での『新』。」、「此れが『真のゴジラ』という意味での『真』。」(「真・仮面ライダー 序章」的捉え方。)、将又「『神的存在のゴジラ』という意味での『神』。」等々、色々な捉え方が出来様が、作品内の遣り取りからすると、「神的存在のゴジラ」という意味合いでの「神・ゴジラ」という事なのだろう。
上記した様に、自分は過去のゴジラ作品を全く見ていない。なので、過去の作品の中に同様の設定が在ったか否かは知らないのだが、「シン・ゴジラ」でのゴジラは姿が徐々にに変化して行く。両手を幽霊の様に下げ、のっしのっしと歩くゴジラの姿しか知らない自分には、ゴジラが初上陸した際の這って進む姿(見た目も含め、“モスラの幼虫”の様な妙ちきりんさ。)には唖然茫然。“本来のゴジラ”の姿になった時には、ホッとした思いが。
正体不明の巨大生物が出現し、慌てふためく日本政府。「此の生物は、一体何なのか?」と“御用学者”を集めて会議を開くも、「過去に見た事が無い。」とか「良く分析しないと判らない。」等と、全く意味を持たない主張許り。又、「現行法の範囲内、又は過去の判例内で出来得る事は何か?」と“形式”に固執し過ぎて、無駄に時間を費やして行く。(石破茂元防衛大臣が食い付きそうな話だが。)「軍部が暴走し、無政府状態となった事で、戦争に突き進んでしまった。」という我が国の過去を考えると、「法律に則った形で物事を進める。」というのは最優先されるべきだけれど、不測の事態に対しては“或る程度の幅”を持たせる事は必要だろう。
首相の大河内清次(大杉漣氏)の消息が不明となった事で、農林水産大臣の里見祐介(平泉成氏)が首相臨時代理に就任する。未曾有の国難に直面に、日本のトップとして“火中の栗を拾う”事を誰もが嫌がった結果、論功行賞と派閥順送りだけで出世して来た彼に御鉢が回って来た訳だが、緊急事態に在り乍らも“他人事モード”だったり、「首相って大変なんだなあ。」と呟いたりと、日本の政治家をずっと見て来た人ならば、ニヤッとしてしまう設定。(最後の最後で大河内は、意外な策士振りを見せるのだけれど。)上で記した日本政府の不毛な対応を含め、外国人よりは日本人の方が、じわーっと伝わって来る物が多そうな作品。
兎に角、テンポが良いので、飽きる事が無い。“電車爆弾”といった設定は面白かったし、“ゴジラを倒す策”というのが現実的なのも、ストーリーにどんどん引き込まれて行く理由だろう。
「大河内」、「里見」、「財前」、「東」、「柳原」等、登場人物達には、小説「白い巨塔」の登場人物の苗字が多く冠されている。気になって調べたら、「シン・ゴジラ」の総監督&脚本を担当した庵野秀明氏は、同作品のファンらしい。
終わり方が呆気無い感じもしたけれど、こういう形も「在り。」なのだろう。実に見応えの在る作品で、総合評価は星4.5個とする。
人の手を介して生まれて来た荒ぶる神、という、それを倒す側にも相応の大義が要るもので、それが国土の自衛となったのは、自衛隊を破り、米軍を退け、日本を滅ぼしかけたゴジラが強いからでしょう。弱い神は歴史に残らない、神の世界も力が正義という事は、力が人類にとって最大の説得力を持つからだと思います。
まさに、本作が映画史に残るであろう傑作となった事も、その「力」のある事の賜物だと思います。
評判が非常に良いので、ずっと見たいと思っていたのですが、漸く見る事が出来ました。
“進化するゴジラ”、記事でも書きました様に、過去のゴジラ作品を全く見ていないので、そういう設定が以前に在ったかどうかは判らないのですが、彼のメタモルフォーゼは斬新でしたね。又、進化する毎にパワーを増す。四方八方に“ビーム”を放ち、攻撃機を打ち落とすシーンは圧巻で、そういった神の如き強靭な相手に、英知を集めて人間が戦う。見応えが在りました。
怪獣映画というより政治シュミレーション映画としてみると確かに面白いですね。
giants-55さんが書かれているのもその視点からの評価でしょう。
ただ、機関砲はともかく(核搭載でない)ミサイル攻撃にすらビクともしなかったゴジラが、新幹線などの電車爆弾攻撃であっさり転んでしまったのには失笑。
まさか躓いて転んでしまった?
最後は破壊されてがれきの山になっている現場に、凝固剤を積んだ車両群がいとも簡単にたどり着き、一刻を争う作業をシミュレーションもろくにせず完遂するという「神業」に、ご都合主義を見てしまい興ざめ。
人類の非力さをこれでもかと見せておきながら、最後はハリウッド映画顔負けのデウス・エクス・マキナかい、と白けてしまいました。
所詮作りものであっても、観客や読者にいかに「本物」らし見せるかが大事で、肝心なところで説得力を欠くと全部が嘘に見えてしまいます。
よって辛口かもしれませんが、私の評価は3。
単なる怪獣映画では無い、政治シミュレーション映画といった感じは確かに在りましたね。日本の事勿れ主義的な政治にウンザリさせられている者にとっては、苦笑させられるシーンが多かったし。
電車爆弾のシーン、「上半身を中心に猛攻撃を受けたゴジラがやや疲労を見せた中、体型的に下半身に弱さを感じられる様な彼が、足元に電車爆弾を受け、引っ繰り返ってしまった。」という感じで見ておりました。
で、「破壊されて瓦礫の山になっている現場に、凝固剤を積んだ車両群がいとも簡単に辿り着き、一刻を争う作業をシミュレーションも碌にせず完遂するという『神業』に、御都合主義を見てしまい興醒め。」という御指摘、「成る程。」という感じです。「焼け野原どころか、到る所瓦礫の山状態だった。」事を考えると、ゴジラが“偶然”倒れた場所に車両が上手く辿り着くというのは、言われてみれば余りにも御都合主義。考えが其処迄到らなかったので、「確かにそうだなあ。」と思いました。
東宝の田中友幸さんは、「これはうちではできません、独立プロでやってください」となり、3人は原案になりました。
今回の『シン・ゴジラ』は、この原作を踏まえたものだというのが私の推測ですが、いかがでしょうか。
記憶違いで無ければ、ゴジラって当時の水爆実験に対するアンチテーゼ的存在として生み出されたという事で、書き込んで下さったモスラの話といい、昔は「子供“も”見る作品でも、深い思想や所長が在った。」というのを強く感じます。
シン・ゴジラの“初期形態”、自分はモスラの幼虫と重ね合わせて見ていましたので、中村一郎氏等の原作に対するオマージュ的な色合いが在ったのかもしれませんね。