ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

寝返りの決断が遅れた原因!?

2016年06月26日 | 歴史関連

福留孝介選手、2千本安打達成おめでとう!!

 

福留選手の場合、メジャーで放った498安打を加えての2千本安打達成。日本球界だけで2千本安打以上を達成した者は過去に48人居るが、日米通算を合わせると福留選手で52人目となる。

 

日本球界だけで言えば、200勝以上達成した者は過去に24人。選手数や出場機会数の違い等は在るが、「48人対24人」という数字を考えると、4年前の記事「『名球会』の入会資格に付いて考える」でも書いた様に、名球会の入会資格を「日本球界での記録をスタート地点とし、『通算150勝』、『通算270セーヴ』、『通算2,100安打』の何れかを満たした選手。」といった感じに変更した方が良いと思うのだが・・・。

 

閑話休題

 

“裏切者の武将”として、何人かの名前が浮かぶ。斎藤道三明智光秀筒井順慶松永久秀小山田信茂等々。個人的には「明智光秀を裏切者としてしまうには、少し気の毒な気がする。」のだけれど、一般的に有名な“裏切者の武将”としては、小早川秀秋の名を挙げる人は多そうだ。関ヶ原の戦いにて、自身の裏切りで西軍を敗れさせてしまった事で、400年以上経った今でも、裏切者の代名詞の様になっている。裏切った2年後に狂い死にしたという説も在るし、自らの決断を彼の世で、小早川秀秋はどう思っている事だろうか。

 

そんな彼に関するニュースが報じられていた。

 

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「関ヶ原の小早川秀秋、疾患で『寝返り』遅れ?」(6月25日、読売新聞

 

関ヶ原の戦い(1600年)で戦国武将・小早川秀秋(1582~1602年)が西軍から東軍に寝返った際、決断が遅れたのは、過度の飲酒で肝硬変から発症した肝性脳症による判断力低下の可能性が在る。とするユニークな説を、兵庫県姫路市御立東の脳神経外科・若林利光さん(63歳)が、秀秋の当時の病状等を記した史料から纏めた。

 

26日に茨城県つくば市で開かれる日本病跡学会総会で発表する。

 

戦いで西軍側の秀秋は寝返りを誘われていたが、中々動かず、東軍を率い徳川家康が怒り出す程だったとされる。戦闘開始から約4時間後、西軍・大谷吉継を襲ったのを切っ掛けに、西軍の武将が次々に寝返り、東軍勝利に繋がった。

 

若林さんは、安土桃山時代から江戸時代初めに活躍し、秀秋も診た医師・曲直瀬玄朔診療録医学天正記」の記述に注目。秀秋に付いて「酒疸一身黄 心下堅満而痛 不飲食渇甚」(大量の飲酒による黄疸鳩尾付近の内臓が硬く痛みが在り、飲食出来ず、喉の渇きが激しい。)の記述から、肝硬変と考えられると言う。

 

飲酒後に嘔吐し、赤い尿が出たとも在り、肝性脳症を併発する程悪化していた可能性が高いと判断。脳症では指示への反応や判断が遅くなる、若林さんは「関ヶ原での決断の遅れの要因では。」と推察する。

 

国立国際医療研究センター肝炎情報センター千葉県市川市)も、大量の飲酒は肝硬変の原因の1つで、「記述に在る症状からは、肝硬変が疑われる。」と言う。

 

小和田哲男静岡大名誉教授戦国史)は「『寝返りの遅れは、東西何方が有利か、最後迷っていた。』とするのが通説だ」とした上で、「当時は15歳頃からの飲酒も多く、医師の見地からは、その様な解釈も成り立つのでは。」と話している。

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浅野長矩(浅野内匠頭)が「江戸城刀傷事件」を起こした要因の1つとして、「彼が癇癪持ちだったから。」という説が在る。「歴史上の事件に、或る人物の病気が関係していた。」というのは、結構在りそう。


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