「○○と言えばXX」といった感じで、「特定の事柄が取り上げられると、必ずと言って良い程、喩えとして名前が挙げられる有名人。」というのが居る。“裏切者”と言えば小早川秀秋の名前が挙がるし、“芸能人の年の差カップル”と言えば、昔ならば上原謙夫妻、そして今ならば加藤茶夫妻の名前が挙がる事が多い。
一般的に言えば、名誉な事柄で名前が挙がるのなら未だしも、不名誉な事で名前が挙がるのは当人達も嫌に違い無い。でも、「露出度が上がって何ぼ。」という芸能人なら、人々の記憶から完全に消え去るよりは、不名誉な事柄でも名前が挙がる方が嬉しいのかもしれない。
「決して名誉な事柄では無いけれど、其れが取り上げられると、必ずと言って良い程、喩えとして名前が挙げられる有名人。」を、何人か選んでみた。
*********************************
① “盗みの被害”と言えば・・・桑野正義氏
2002年11月~2003年9月の約1年間の間に、国内外で3度も盗みの被害に遭った。“髭以外全部引っ手繰られた海豹の餌”なんていう酷い綽名が付けられた事も【音声】。
どうでも良い事なのだが、歴史番組に良く登場する奈良大学学長・千田嘉博氏の顔が桑野氏に見えて仕方無い。学内では学生達から、“くわまん”と密かに呼ばれているのではないか?
【桑野正義氏】
【千田嘉博氏】
② “NHK紅白歌合戦でのミス”と言えば・・・生方恵一氏
1984年の「第35回NHK紅白歌合戦」で、総合司会を務めた生方氏の「ミソラ事件」は、余りにも有名。2年前に同氏が亡くなられた際も、「『ミソラ事件』で御馴染みの生方恵一氏。」と伝えられた程。
1986年、TV番組の撮影で訪れたケニアで、10日の間にライオンと豹に、立て続けに2度襲われた。
④ “珍プレーの王者”と言えば・・・宇野勝氏
1981年8月26日に起きた「宇野ヘディング事件」【動画】は強烈なインパクトが在り、此のプレーによって“珍プレー”なる呼称が、一般的に定着したと言っても良いだろう。
“打っ飛んだ政見放送”は結構在るが、最も忘れられないのは赤尾敏大先生の物【動画】。思想的には相容れ無かったけれど、人間的に妙な魅力が在る人だった。
先日の都知事選同様、1991年の都知事選も分裂選挙だった。与党の自民党等が推薦したのは、NHKの看板報道番組となった「ニュースセンター9時」で初代キャスターを務める等、報道畑で華々しい活躍を見せ、“ミスターNHK”とも呼ばれた磯村尚徳氏。其れ迄、自民党は現職の鈴木俊一氏を推薦し続けて来たが、高齢(当時80歳)と多選(4期目)を理由に、磯村氏の推薦に切り替えた。一方、自民党都連は引き続き、鈴木氏を推薦する事に。
「磯村氏のエリート臭さを払拭し、親しみ易さを都民にアピールする。」という事で、当時の自民党幹事長・小沢一郎氏が練り上げた作戦が、「銭湯で都民と触れ合う磯村氏。」という物だった。「真っ裸になった磯村氏が、笑顔を浮かべ乍ら、客の背中をタオルで擦る。」という映像が何度も放送されたけれど、“余りにも態とらしい演出”が有権者の反発を買い、結果的に残ったのは“小汚い裸を晒した磯村氏”という記憶だけ。「其れ迄に積み上げて来た実績が、此の演出によって全て瓦解してしまった。」という感が在る。
以降、“都知事選での分裂選挙”という話題が取り上げられる度(今回もだが。)、「真っ裸になった磯村氏が、笑顔を浮かべ乍ら、客の背中をタオルで擦る。」という映像が、何度も何度も流されて来た。自分が選んだ事とはいえ、磯村氏には同情の思いが。
*********************************