インターネットの普及により、我々は(普及以前と比べると)格段に多くの情報に、短時間で触れられる様になった。其れ迄は辞典等を用い、時間を掛けて求める情報を見付け出したり、時にはどうやって調べたら良いか判らず、結局は情報入手を断念したりしていた事を考えると、本当に便利な世の中になった物だ。
然し、短時間で多くの情報に触れられる様になった一方で、其れ等の情報の中には“事実で無い情報”が少なからず含まれている事にも、注意を払わなければいけないだろう。
以前、“電子掲示板上”に「安倍晋三首相が成し遂げて来た凄い業績」みたいな書き込みが、矢鱈とコピー・アンド・ペーストされていた時期が在った。業績なる物が20項目程、箇条書きされた内容。「へー、こんな事してたんだ。」と知らない情報も在ったので、逐一自分で検証してみた所、全くの嘘が6割程、安倍首相の業績と言えるのかどうか判断に迷うのが2割程、そして事実は2割程。其の2割の事実も、首相なら誰でもして来たで在ろう事が多く、“凄い業績”と書く程の事でも無かった。そんな内容なのに、「安倍首相って、こんな凄い事をして来たんだ。」と、溢れ返っていた激賞の書き込み。
昨年、「一旦“立ち止まって”考える」という記事を書いた。「与えられた情報を鵜呑みにせず、一旦“立ち止まって”考える。」という事が出来れば、どう考えても嘘と判る情報を事実と妄信する人が少なく無い。
又、一昨年の記事「履き違え」で書いた様に、そういう人達は概して「自分達に都合の良い情報は、仮令事実では無くても『事実だ!』と言い張る一方、明らかな事実で在っても自分達にとって不都合な情報に関しては『捏造だ!』と叫ぶ、非常に御都合主義なメンタリティー。」だったりする。
共通するのは「自身で思考する事を完全停止し、居心地の良い場所に逃げ込んでいる。」という事で、此れは“右”や“左”、“中道”を問わずに存在したりする。
第二次世界大戦で亡くなった人間は、世界で5千万~8千万人とも言われている。我が国でも、大勢の国民が亡くなった。一般庶民の証言を読んでいて感じるのは、「末期には戦争に対する反感が多数を占めるも、開戦から中期位迄は、戦争に突き進んだ事に否定的な声がそんなに多くは無く、寧ろ好意的な声すら少なく無かった。」という事。「“上”から与えられていた情報が、自分達にとって都合の良い事許りだった。」というのは勿論大きいが、「自身で思考する事を完全停止し、居心地の良い場所に逃げ込んでしまった人達。」が多かったのも事実ではなかろうか。
映画監督の伊丹万作氏が残した言葉「多くの人が、今度の戦争で騙されていたと言う。幾ら騙す者が居ても、誰一人騙される者が無かったとしたら、今度の様な戦争は成り立たなかったに違い無いので在る。『騙されていた。』と言って平気で居られる国民なら、恐らく今後も何度でも騙されるだろう。否、現在でも既に別の嘘によって、騙され始めているに違い無いので在る。」は、其れを証明していると思う。
自分達が心地良い情報源だけに触れ、そして転がっている情報を検証する事無く“事実”と妄信し、「XXを追い出せ!」とか「○○を殺せ!」なんぞと叫ぶ輩が、“国内外”で増えている。そういう輩が増えれば増える程、不毛な諍いは増え、そして最終的には戦争という形に結び付く事だろう。
今日は、71回目の“鎮魂の日”。悲劇を再び生み出さない為にも、「自分の頭で、冷静に情報を検証する。」という癖を付けなければならないと思う。