我が国で「将軍」と言えば、一般的には「征夷大将軍」を意味する。「征夷大将軍の一覧」を見ると、一番最初は「飛鳥時代後期から奈良時代前期に掛けての公卿・巨勢麻呂」と記されているが、此れは“征夷大将軍的役割の最初”という意味で在って、“征夷大将軍という呼称が与えられた最初”となると、「奈良時代から平安時代初期に掛けての公卿・大伴弟麻呂」という事になろう。
だが、一般的に言えば「将軍=征夷大将軍」という認識は薄く、なので「将軍」となると「鎌倉将軍」、「足利将軍」、そして「徳川将軍」というイメージを持つ方が殆どではなかろうか。
歴史にそう詳しくは無い方でも、「徳川将軍は、全15代。」という事は知っていると思う。又、「足利将軍も、全15代。」というのも、割と知られていると思う。
では、「鎌倉将軍は、全部で何代?」と問われて、正しく答えられる人は何人居るだろうか?「初代・源頼朝 、2代・ 源頼家 、そして3代・源実朝で頼朝の血は途絶えたから、鎌倉将軍は全3代でしょ。」という答えが多そうだが、実は「鎌倉将軍は、全9代。」なのだ。
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「鎌倉将軍」
① 源頼朝(在職:1192年7月12日~1199年1月13日)
② 源頼家(在職:1202年7月22日~1203年9月7日)
③ 源実朝(在職:1203年9月7日~1219年1月27日)
④ 藤原頼経(在職:1226年1月27日~1244年4月28日)
⑤ 藤原頼嗣(在職:1244年4月28日~1252年2月20日)
⑥ 宗尊親王(在職:1252年4月1日~1266年7月20日)
⑦ 惟康親王(在職:1266年7月24日~1289年9月14日)
⑧ 久明親王(在職:1289年10月9日~1308年8月4日)
⑨ 守邦親王(在職:1308年8月10日~1333年5月22日)
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鎌倉将軍で最も在職期間が長いのは9代・守邦親王の「24年9ヶ月12日」で、逆に最も短いのは2代・源頼家の「1年1ヶ月16日」。又、最も長生きしたのは7代・惟康親王の「63歳」で、逆に最も早く亡くなったのは5代・藤原頼嗣の「18歳」。
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「足利将軍」
① 足利尊氏(在職:1338年9月24日~1358年6月7日)
② 足利義詮(在職:1359年1月7日~1367年1367年12月28日)
③ 足利義満(在職:1369年2月7日~1395年1月8日)
④ 足利義持(在職:1395年1月8日~1423年4月28日)
⑤ 足利義量(在職:1423年4月28日~1425年3月17日)
⑥ 足利義教(在職:1429年4月18日~1441年7月12日)
⑦ 足利義勝(在職:1442年12月19日~1443年8月16日)
⑧ 足利義政(在職:1449年5月21日~1474年1月7日)
⑨ 足利義尚(在職:1474年1月7日~1489年4月26日)
⑩ 足利義材(在職:1490年7月22日~1493年8月11日)
⑪ 足利義澄(在職:1495年1月23日~1508年5月15日)
⑩[再任]足利義材(在職:1508年7月28日~1522年1月22日)
⑫ 足利義晴(在職:1522年1月22日~1547年1月11日)
⑬ 足利義輝(在職:1547年1月11日~1565年6月17日)
⑭ 足利義栄(在職:1568年3月6日~1568年10月?日)
⑮ 足利義昭(在職:1568年11月7日~1588年2月9日)
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14代・足利義栄の在職終了日は、はっきり判っていない様だ。そして、鎌倉将軍、足利将軍、徳川将軍を通じて、唯一2度将軍を務めた(再任された)10代・足利義材。
足利将軍で最も在職期間が長いのは4代・足利義持の「28年3ヶ月20日」で、逆に最も短いのは14代・足利義栄の「7ヶ月25日(在職終了日がはっきり判っていないが、10月31日迄務めていたとして算出。)」。又、最も長生きしたのは15代・足利義昭の「61歳」で、逆に最も早く亡くなったのは7代・足利義勝の「10歳」。
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「徳川将軍」
① 徳川家康(在職:1603年2月12日~1605年4月16日)
② 徳川秀忠(在職:1605年4月16日~1623年7月27日)
③ 徳川家光(在職:1623年7月27日~1651年4月20日)
④ 徳川家綱(在職:1651年8月18日~1680年5月8日)
⑤ 徳川綱吉(在職:1680年8月23日~1709年1月10日)
⑥ 徳川家宣(在職:1709年5月1日~1712年10月14日)
⑦ 徳川家継(在職:1713年4月2日~1716年4月30日)
⑧ 徳川吉宗(在職:1716年8月13日~1745年9月25日)
⑨ 徳川家重(在職:1745年11月2日~1760年5月13日)
⑩ 徳川家治(在職:1760年5月13日~1786年9月8日)
⑪ 徳川家斉(在職:1787年4月15日~1837年4月2日)
⑫ 徳川家慶(在職:1837年4月2日~1853年6月22日)
⑬ 徳川家定(在職:1853年11月23日~1858年7月6日)
⑭ 徳川家茂(在職:1858年10月25日~1866年7月20日)
⑮ 徳川慶喜(在職:1867年1月10日~1868年1月3日)
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徳川将軍で最も在職期間が長いのは11代・徳川家斉の「49年11ヶ月18日」で、逆に最も短いのは15代・徳川慶喜の「11ヶ月14日」。又、最も長生きしたのは15代・徳川慶喜の「77歳」で、逆に最も早く亡くなったのは7代・徳川家継の「8歳」。
鎌倉将軍、足利将軍、そして徳川将軍の中で最も在職期間が長いのは11代・徳川家斉(流石、“膃肭臍将軍”!)の「49年11ヶ月18日」で、逆に最も短いのは足利義栄の「7ヶ月5日」。又、最も長生きしたのは15代・徳川慶喜の「77歳」で、逆に最も早く亡くなったのは7代・徳川家継の「8歳」という事になる。
一覧を見て御気付きの方も居られ様が、“将軍不在の期間”、即ち“将軍の空位期間”が結構存在する。「権力の座を揺らがせない為、前将軍が亡くなったら即日、新将軍を就任させる。」というのが普通だと思い込んでいたので、意外な事実だった。「3代・源実朝の後、4代・藤原頼経が就任する間なんぞは、『7年』も将軍の空位期間が存在した。」のだから驚きだ。