昨日は映画を2本鑑賞して来た。若い頃は日に4本観る等、映画館を”梯子”するのも珍しくなかったが、あの硬く狭苦しい椅子で長時間観続けるのは心身共にしんどくなって来た為、梯子をしなくなって久しくなる。10数年ぶりの快挙(?)と相成った訳だが、流石に同行してくれたおねえちゃんは呆れ返っていた(笑)。鑑賞した映画は、「ALWAYS 三丁目の夕日」と「男たちの大和/YAMATO」。先ずは「ALWAYS 三丁目の夕日」に付いて記したい。
「ALWAYS 三丁目の夕日」には、昨年記事で書いた様に、期待と共に大きな不安を感じていた。と言うのも、原作の漫画「三丁目の夕日」の古くからのファンなので、「あのノスタルジックな雰囲気を、映像として堪能出来るのか。」というのが期待が在る一方で、過去にも多くの漫画が実写化されて来たが、その殆どがオリジナルの良さをぶち壊しにした御粗末な内容だったからだ。
結論から言えば、「ALWAYS 三丁目の夕日」は忠実にオリジナルの良さを生かしていた。サブ・キャラクター1人の性別を男性から女性に設定変更してはいたが、特に違和感は無く、寧ろその事でホンワカした雰囲気を醸し出していた。
昭和33年を舞台にしているこの作品。その頃の余韻が未だ残っていた時代に幼少期を過ごした自分には、郷愁を覚える原風景がてんこ盛りだったのが何とも心地良かった。そういった風景を見て育っていない世代には、逆に目新しさが感じられたのではなかろうか。
使い古された表現だが、「生活は貧しかったが、心は今よりも豊かだった時代」が其処には在ったと思う。欲しい物が数え切れない程在り、それを手に入れる為に必死で働いていた時代。皆が必死で生きていたけれども、心には未だ未だ余裕が在った様に感じる。
「是が非でも欲しいという物が特に無い。」という意見を最近良く耳にする。「欲しい物は特に無いのだけれども、”取り敢えず”御金は欲しい。」という昔とは一寸アプローチの違った思考が幅を利かしている現代。どっちの時代が幸せなのかは個々人の価値観によって異なるだろうが、少なくとも自分には「三丁目の夕日」の時代は居心地の良さを感じる。
これと言って特筆すべき点も無い、極めて平凡な日常生活が描かれているこの作品。でも、決して退屈さを感じさせる内容ではない。「平凡という事が、今の世の中に在っては、新しい価値観の一つになり得ている。」そんな思いの残る作品。*1
総合評価は、80点としたい。
*1 この映画の雰囲気は、帆印様のブログ「Papa's Treasure HOIN」内の「Rubber」という記事で、実に上手く纏められておられる。
「ALWAYS 三丁目の夕日」には、昨年記事で書いた様に、期待と共に大きな不安を感じていた。と言うのも、原作の漫画「三丁目の夕日」の古くからのファンなので、「あのノスタルジックな雰囲気を、映像として堪能出来るのか。」というのが期待が在る一方で、過去にも多くの漫画が実写化されて来たが、その殆どがオリジナルの良さをぶち壊しにした御粗末な内容だったからだ。
結論から言えば、「ALWAYS 三丁目の夕日」は忠実にオリジナルの良さを生かしていた。サブ・キャラクター1人の性別を男性から女性に設定変更してはいたが、特に違和感は無く、寧ろその事でホンワカした雰囲気を醸し出していた。
昭和33年を舞台にしているこの作品。その頃の余韻が未だ残っていた時代に幼少期を過ごした自分には、郷愁を覚える原風景がてんこ盛りだったのが何とも心地良かった。そういった風景を見て育っていない世代には、逆に目新しさが感じられたのではなかろうか。
使い古された表現だが、「生活は貧しかったが、心は今よりも豊かだった時代」が其処には在ったと思う。欲しい物が数え切れない程在り、それを手に入れる為に必死で働いていた時代。皆が必死で生きていたけれども、心には未だ未だ余裕が在った様に感じる。
「是が非でも欲しいという物が特に無い。」という意見を最近良く耳にする。「欲しい物は特に無いのだけれども、”取り敢えず”御金は欲しい。」という昔とは一寸アプローチの違った思考が幅を利かしている現代。どっちの時代が幸せなのかは個々人の価値観によって異なるだろうが、少なくとも自分には「三丁目の夕日」の時代は居心地の良さを感じる。
これと言って特筆すべき点も無い、極めて平凡な日常生活が描かれているこの作品。でも、決して退屈さを感じさせる内容ではない。「平凡という事が、今の世の中に在っては、新しい価値観の一つになり得ている。」そんな思いの残る作品。*1
総合評価は、80点としたい。
*1 この映画の雰囲気は、帆印様のブログ「Papa's Treasure HOIN」内の「Rubber」という記事で、実に上手く纏められておられる。
私のブログにコメントありがとうございました。
この映画、前評判の高さから期待しすぎてしまってか、“普通”にしか感じられませんでした。期待させ過ぎられるのも考えモノ???
事前の周りからの盛り上げが無ければ、普通に感動して、普通に泣けたかもです。
泣く用意していたのですが、構え過ぎたのかもです。
giants-55さんは、この映画の時代背景をリアルタイムに感じた世代ということですね(?)
リアルタイムな世代の方は、受け取り方が一味違うんでしょうねぇ。
私の場合「ALWAYS」は親の世代になる時代なのですが、何となく聞いてた話という感じ。
殆どは知らない時代なはずなのに懐かしい感じを受けました。
話はずれるかも知れませんが、私の親は昔話を結構してくれます。
「知らないはずなのに懐かしい感じ」はそのあたりから生まれてくる感覚なのかなぁ。
私は、子どもに対して昔話をしているかなぁ…と考えさせられました。
では、またきます
物よりももっと良いものが当時は沢山あったのですよね?
それは人間にとって一番大事なものではないかとこの映画を見て、思い出しました。
思い出したと言う言葉に表れるように、本当は誰もが持っていたあったかい心が忘れ去られてしまう位、今の世の中はせわしないですね。^^;
色々なものが満ち溢れているのに、あの30年代に生きた人々の希望に満ちた心に到底今の日本人は負けていると思います。
と言うか心が豊かでない・・
自分も含めて深く考える機会を与えてくれた映画だと思います。
それでもなお、心にあったかいものを貰えてほ~~~~~~んとうに見に行って良かった♪
リンクさせて頂きますね~。
よろしくですm(__)m
貴ブログの方にレスを付けさせて戴こうと思ったのですが、URLを失念してしまった為、こちらの方に付けさせて戴く失礼を御許し下さい。
ほのぼのとした内容ながら、作り手の”熱さ”伝わって来る作品でしたね。「一生懸命」とか「直向き」という言葉が得てしてダサいと捉えれてしまう昨今、そういう生き方が決してマイナスではないという事に気付かせてくれる作品でも在ったと思います。
これからも宜しく御願い致します。
「三丁目の夕日」は長期間連載されている漫画だけ在って、あの作風が好きな方は結構居られるんですね。作者で在る西岸良平氏の作品に最初に触れたのは、恐らく親父が買っていたエロ漫画雑誌だったと思います(笑)。小学生だった自分は、性への目覚めも在ってコッソリ隠れ読んでいたのですが、何故か巻末には西岸氏の4頁程の作品が載っていたんです。あの独特のタッチ(ソラマメの様な顔立ち。)やホノボノとした作風は今と同じで、一時のエロ気分を忘れて読むのが常でした。
懐古主義にドップリ浸り込むのもどうかとは思うのですが、懐古したり郷愁の念を抱くのって、生活して行く上でのリセット・ボタンの働きをしているのではないかという気がします。ストレスが溜まりがちな現代で、精神的な”逃げ場”をそういった事に求める。昔は昔で辛い事も在っただろうに、「昔は良かったなあ。」と思う事で”一時”の逃げ場を作って、そして、新たに「頑張ろう。」という思いを湧き立たせる。そんな意味合いが在るのではないでしょうか?又は、懐古する事で若かりし頃の自分に触れ、自らを活性化させる。女性で言えば、美容液の様な存在ではないかと(笑)。要はドップリ浸り込むのではなく、リセット・ボタンとしての意味合い、前向きに生きて行く為の切り替えで在れば良いのでしょうね。
「日帰りの夢」に載っている詩、良いですね。記憶違いで無ければ、シャンソンの歌詞にこれと似た様なものが在ったと思います。
高橋留美子さんって「うる星やつら」とか「めぞん一刻」を描かれた方ですよね?自分は所謂ガンダム世代なのですが、ガンダムは全く見た事が無く、又、高橋留美子さんの作品が大人気の頃に漫画を読み漁っていましたが、彼女の作品は全く読んでいないというかなり変わった人間です(^o^;;;。
この映画は私の中で一番の映画です。
昭和という時代に浸らせてくれるだけでなく、
がむしゃらに必死に生きる人たちの姿が、ぬるま湯のような今の私たちに活を入れてくれているようにも感じました。
本当に役者、スタッフ一人ひとりがこだわって、大切に作ったというのが伝わってくる稀有な作品でした。
昔懐かしい要素を盛り込んだ、郷愁感の溢れる作品でしたね。
今ほど物に恵まれてはいなかったけど、それでも探せば楽しめる要素は幾らでもあった。そんな事を感じさせてくれました。
ドタバタ要素にアットホームな雰囲気、そして涙を誘うシーン。古き良き時代をベースにしたストーリーの中に、沢山の内容が盛り込まれた映画でした。
唯過去を省みるのは大事ですがそれにしがみついてばかりでもいけない、とも考えます。私自身の経験から言うと、人間、「郷愁に浸る」のは現状が上手くいっていない時が多いと思います。だから単に現在に不満で郷愁の甘い誘惑に逃げるのであれば、それはいけないのではないでしょうか。上のコメントであった『クレヨンシンちゃんもーれつオトナ帝国の逆襲』はテレビで見ました。過去を懐かしむ事が多かった私は非常に考えさせられました。
時が移ろい、環境が変われば人間はそれに対応しなければいけない。「昔は良かった」なんて言うのは変化に対応できない者の言い訳、と切ってしまうのは酷ですがそういう一面もあるかと。よって過去を振り返り懐かしむのはいいですが安易に郷愁に浸るとはどうか、と自分の苦すぎる経験から思ってしまいます。
とは言え、がむしゃらに頑張ってきてふと後ろを振り返ると……。なんて経験があるのも事実。漫画、『高橋留美子劇場』の一編、「日帰りの夢」の最後にこんなドイツのある詩人の詩の一節が載っています。
時の歩みは三重である 未来はためらいつつ近づき 現在は矢のようにはやく飛び去り 過去は永久に静かに立っている
現在、過去、未来の中で一番優しいのは「変わらない」過去、なのかもしれません。
実はこの映画は未見です(笑)giants-55さんの記事を見てなんだかとても観たくなってしまいました。
私も原作の漫画はよく読んでおりましたので
同じく複雑な心境で見に行きました。
でも雰囲気が出ていましたね。
子役の上手さにも舌を巻きました。
わずかの間に日本は大きく変わってしまったと
あらためて思い知らされましたが
この映画のヒットを思うと
日本人の心はやはり変わっていないのかもしれないと
「一瞬」思ったりしました。
ノスタルジーに浸るだけだとしたら哀しいけど・・・などと見た後もやっぱり
複雑な心境になりました。(笑)
これからもどうぞよろしくお願いいたします!
いいね、俺もわかい頃は・・・。
giants-55さんの映画を見た順序が気になってしまうよ、最初は、三丁目かな?
で、その後に大和かなぁ?
映画の順序で、「感想もまた違ってくるかも?」
こんなことを、ふと思う俺は、不届き者ですな。(笑)
30年前だったら普通の現代劇なんでしょうが、今となってはすっかり時代考証の必要な時代劇となってしまいました。地方に行けばちょと当時の風俗を残した地域も残っているのですが、うちの近所であのような風景を探すのはなかなか骨を折りますね。自分の子供の頃の景色というのは誰しもが流れ去った過去になってしまうのかもしれません。
たしかに、現代に無くて昔にはあったもの「心が豊か」というと抽象的なのですけど将来への希望というものがありました。それは、努力すれば報われるという幻想であり、日本の将来への期待であったのですけれどもすでに成りあがってしまい成長の限界が見えてしまってそれが周知の事実化してしまった現代においてそれはなかなか持ちづらいものでしょう。そういう意味では戦後に生まれ変わった日本という国は昭和30年・40年代という子供時代をすごしバブルという絶頂期を過ぎ国の円熟期なのかもしれません。
一部で非常に有名ですが映画版のクレヨンシンちゃんもーれつオトナ帝国の逆襲は、3丁目の夕日のある意味対極に位置する作品かもしれませんが大変お勧めです。