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「日本の選択 あなたはどちらを選びますか? ~先送りできない日本2~」(著者:池上彰氏)より抜粋
これからも日本では高齢者が増え続けます。いまは現役世代が3人で1人の高齢者を支えている状態ですが、2023年には2人で1人、2050年には1人で1人を支えなければならなくなります。そのときに必要な社会保障費は現状レヴェルを維持するなら250兆円ほど。現在の108兆円からすると2倍以上に膨らみます。その増加分を消費税で賄おうとしたら、消費税率は単純計算で56%まで上げなければいけません。
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少子化が大幅に改善されれば話は別なのだろうが、そうで無ければ今から37年後の2050年には、現役世代1人が高齢者1人を支えなければいけないと言う。数字としては認識していたものの、改めて目にすると、大きな不安を覚える。
今後、今の社会保障費レヴェルを維持するというのは現実的じゃないと思うし、確実に下げて行かなければならなくなる事だろう。だから、「消費税率を、56%迄上げる。」なんて事は流石に無いと考えるが、「可成りの高率迄は、上げる事になるのだろうなあ。」という気はしている。
「尤もらしい理由を掲げ、社会的な弱者を叩く事で、自身の不平&不満を解消する捌け口としている。」といった風潮が、昨今は世界的に強くなっている様に感じる。違法な行為をしている者が叩かれるのは当然の事と思うけれど、そうじゃ無いケースが結構見受けられ、日本も其の例外では無い。そういった風潮が広がって行き、そして「現役世代1人が、高齢者1人を支えなければいけない。」という事態になれば、“姥捨て山”が復活する可能性だって零では無いだろう。
そんな危機的な状況になろうとしているのに、「国民には次から次へと“重荷”を背負わせ乍ら、自分達の身は全く切ろうとしない国会議員達。」というのは、一体何なのだろうか?おかしな特権を手放さず、議員定数削減も「数人レヴェル」だけで済ませようとしている(としか思えない)のだから、「ふざけるな!」と言いたくなる。
議員定数の大幅削減を全くしようとしない一方で、「有名人を、今夏の参院選に擁立する動き。」が次々に出ている。有名人の候補者だから、全て駄目とは言わない。過去で言えば、西川きよし氏なんぞは、地道に良く頑張っていたと思うし。でも、有名人で国会議員になったケースの殆どは、糞の役にも立たないで終わってしまったのも事実だろう。
例外は勿論在るけれど、選挙に立候補する有名人は概して、「一般的な知名度は在るものの、現状は中途半端なポジションに在る。」というのが多くはないだろうか?「中途半端なポジション」とヤンワリ書いたけれど、ストレートに書けば「“彼の人は今”的な落ち目状態」。「国会議員“にでも”なって、金と名声を手に入れよう。」という思考を、露骨に感じてしまう事が殆ど。
特定の政党が大勝した事で増産された“小泉チルドレン”やら“小沢チルドレン”やらの中にも、そういった連中が少なく無かった。そして今夏の参院選では、「自民党から出馬しさえすれば、どんな人間でも当選する。」という雰囲気が在り、「知名度がそこそこ在る。」というレヴェルの有名人でも、我も我もといった感じで自民党からの出馬に前のめりになっている様だ。確固たる主義&思考を持った人ならば良いのだが、上記した様な「国会議員になりさえすれば、其れでOK。」といった感じの有名人の名前も噂に上がっている。
「有名人だから、多くの得票が期待出来る。」という理由だけで、有象無象を擁立しようとする、国民を舐め切った政治家も悪いが、そんな風に政治家に舐め切られてしまった国民も悪いと思う。危機的な状況に在る我が国なのだから、国民はもっと真剣に政治家を選んで欲しい。
父親もそうですが、戦時中に幼児期を過ごした人達の中には、若くして亡くなるケースが少なく無い様に感じます。「育ち盛りの時期に十分な栄養を得られなかった事が、長生き出来ない理由なのかなあ。」と思ったりするのですが、過度なストレスを抱えて生きて来たというケースも、同様に長生き出来ない気がしますね。
「政治家が国民を舐め切っている国」というのは日本以外にも在るけれど、少なくとも「先進国」と称される国の中で、此れ程「政治家が国民を舐め切っている国」も無いのではないでしょうか。本来は「国」や「国民」を最優先して行動しなければいけない筈の政治家が、実際には「自分達の利益」のみを最優先して動いている。其れなのに肝心の国民は「政治家が口にする空虚なフレーズ」(「美しい国」とか。)や「政治家のパフォーマンス」許りに反応し、内容を検証する事無く、支持してしまう。大人しいく国民性というか、「一億総白痴化政策によって考える能力を失った国民性」という感じではないかと。
自分は「日本」という国が大好きです。だからこそ、少しでも良い方向に向かって欲しいと思い、単なる1人の中年親父の分際で、こんなチンケなブログで毒を吐き続けている訳ですが、最近は「此の国は結局、同じ過ち(箱物行政やら政治家&官僚至上主義等。)を何度も繰り返す許りなんだな。此れじゃあ哀しいけれど、明るい未来は無いかもしれない。」と思う様になりました。凄く残念な話ですけれど・・・。
竹田圭吾氏のツイートには、戦没者を慰霊することにとやかく言われる筋合いはないと言うのはその通りと思うが、そうであれば自国民が何に対してどれだけ誇りを持つかの自由も尊重してほしいよね。 愛国心や愛国的な態度を押し付けるのって中韓が参拝を批判するのと同じじゃないの。
他にも、慶応大学教授の金子勝氏、次々とXデーがやってくるかも。 日本原電が破たんする日、東電の原発事故処理が破たんする日、原賠機構からの交付金を東電が食いつぶす日、関電・九電が安全投資して原発コストがいよいよ火力発電を上回る日、日本原燃が積立金を食いつぶし廃炉資金が枯渇する日・・・・
静かに反発する知の人たちもたくさんいると思います。 が、70%以上もの支持率の勢いでそれらに耳をかさない政治家が好き勝手にふるまい始めたのかなと感じますね。
逸見庸氏及び竹田圭吾氏のツイートに書かれた内容、全く同感です。愛国心の欠片も無い様な連中(脱税行為等)が、愛国心だ何だと声高に叫んだ所で、何等説得力が無い。仮に「多くの国民に愛国心が無い。」と言うのならば、国から利権を集っている様な政治“屋”が多い事も其の理由と思い知るべきではないかと。
戦没者に哀悼の意を表するのは決して悪い事では無いし、自分もそういう気持ちは在る。でも、徒党を組んでぞろぞろと同じ日に靖国神社に参拝するのは、単に「票を意識した行為」としか思えない。行くならば、何故個々で行かないのか?又、靖国神社に参拝した政治家の中で、果たして何れだけの人が千鳥ヶ淵戦没者墓苑に行っているのだろうか?本当に「戦没者への哀悼の気持ち」が在るので在れば、千鳥ヶ淵戦没者墓苑にも行くのが本当だと思うのです。双方に行っている政治家が居るのも知っていますが、多くは靖国神社しか行っていない様で、此れは理解に苦しみます。
「譲れない部分に関しては、断固として譲らない。そういう毅然とした態度で交渉に臨むので、信頼して欲しい。」といった趣旨の発言をし、TPP交渉参加を明言した安倍首相。しかし、其の明言直後から、「アメリカの決めた事には、絶対に従うというスタンス在りき。」といった“取り決め”がポロポロと漏れ出している現実。内には勇ましい発言をする一方、外、特にアメリカに対しては媚び諂っている情けなさ。61年という中途半端な時期に式典を行う意味も判らなければ、其の場に天皇を引っ張り出す露骨な政治利用もどうかと思う。
新聞欄には「首相の1日の動向」を記す欄が設けられていますが、安倍首相になって以降、マスメディアの“重鎮”との会合が、其れ迄の首相達に比べて格段に多い。「一国の長が、様々な意見に耳を傾ける。」というのなら悪くは無いのだけれど、“接待”をする事で“ヨイショ記事”を書かせるのが目的ならば、其れに応じる連中は「マスメディアにとって自殺行為」と言わざるを得ない。
「何でも彼んでも、体制に反対する。」というスタンスは評価出来ないけれど、権力に対してマスメディアは懐疑的でなければいけないと思う。憲法改正により天皇の権力を強化し、マスメディアを掌中に収めて体制翼賛的な報道体制を構築するというので在れば、其れは暗黒の時代への逆戻りを意味するのではないでしょうか?