小学生から中学生になった辺り迄だったろうか、郊外に在る墓に御参りした帰り道、或る場所によるのが楽しみだった。「オートスナック」、それは田舎道の脇に在る無人の店舗で、中には様々な飲食物の自動販売機が置かれていた。コンビニが普及していなかった当時、24時間営業で熱々の食べ物を提供してくれるオートスナックは、便利な「無人レストラン」だったと言える。
3月29日付けの東京新聞(朝刊)に、「昭和の無人レストラン レトロ自販機を味わう」という記事が載っていた。十代の頃より全国放浪の旅を続けているという魚谷祐介氏(37歳)は、5年程前に「昭和に出来た自販機コーナーが殆ど姿を消している。」事に気付き、非常に寂しく思ったのだそうだ。と言うのも、商店が無い山中や、店が閉まっている深夜にオートスナックで空腹を凌いで来た思い出が蘇って来たから。「レトロ自販機は、貴重な昭和史の資料だ。」と考えた彼は以降、現役で稼働している“彼等”の姿を写真や映像として記録すべく、全国各地を捜し回る事に。
紙面にはレトロ自販機の写真が載っていたが、これが何とも懐かしい。「グーテンバーガー」に「カップヌードル」、「ラーメン」、「うどん」、「蕎麦」、「珈琲」、そして「トーストサンド」と全てに見おぼえが在るし、実際に利用したのも幾つか在る。自販機の中で“調理”され、熱々の状態で取り出し口から出て来るこれ等の飲食物を、どれだけ多くの人達が味わった事か。24時間営業のコンビニが普及した事でオートスナックの需要は減り、墓参りの帰りに寄っていた件のオートスナックも何時の間にか消え去っていたっけ。
【「トーストサンド」の自販機】
記事によると、熱々の食べ物を提供する自販機は1970年代~1980年代にかけて普及したとか。中でも、生麺を湯通ししてスープを注ぐうどん及び蕎麦の自販機が大ヒット。大手の富士電機リテイルシステムズ曰く、ピーク時の1980年代は同社だけで年間100~200台を製造し、1995年には製造中止となったとの事。
2007年に「グーテンバーガー~味わいの自販機コーナー~懐かし自販機」というサイトを立ち上げた魚谷氏。情報を募り乍ら今も残る場所を調査しており、昨年は北海道から関東迄約80ヶ所を回ったそうだ。今年中に中部や西日本にも調査範囲を広げる予定というのだから、そのアクティヴさは凄い。今迄の調査によると「都市部や主要道路沿いでは、コンビニに追われて多くが姿を消し、幹線道路を繋ぐ『県道レヴェル』の道沿いに残っている事が多い。」そうで、面白いのは「理由は不明なれど、群馬県に集中して残っている。」という点。
尚、千葉県成田市には「オートパーラーシオヤ」なるオートスナックが残っている。1978年にオープンしたこの店のうどん及び蕎麦は生麺、ハンバーガーは手作り品とか。店を管理するガソリンスタンドの社長は取材に訪れた記者に対して「少々の故障は自分で直しているけれど、もう機械は作っていないから、何時迄やれるかなあ。」と語ったそうだ。
上記の「グーテンバーガー~味わいの自販機コーナー~懐かし自販機」以外に、「山田屋」なるサイトでもレトロ自販機の情報がふんだんに載っている。懐かしさを覚える写真も多いので、覗かれる事を御薦めしたい。
3月29日付けの東京新聞(朝刊)に、「昭和の無人レストラン レトロ自販機を味わう」という記事が載っていた。十代の頃より全国放浪の旅を続けているという魚谷祐介氏(37歳)は、5年程前に「昭和に出来た自販機コーナーが殆ど姿を消している。」事に気付き、非常に寂しく思ったのだそうだ。と言うのも、商店が無い山中や、店が閉まっている深夜にオートスナックで空腹を凌いで来た思い出が蘇って来たから。「レトロ自販機は、貴重な昭和史の資料だ。」と考えた彼は以降、現役で稼働している“彼等”の姿を写真や映像として記録すべく、全国各地を捜し回る事に。
紙面にはレトロ自販機の写真が載っていたが、これが何とも懐かしい。「グーテンバーガー」に「カップヌードル」、「ラーメン」、「うどん」、「蕎麦」、「珈琲」、そして「トーストサンド」と全てに見おぼえが在るし、実際に利用したのも幾つか在る。自販機の中で“調理”され、熱々の状態で取り出し口から出て来るこれ等の飲食物を、どれだけ多くの人達が味わった事か。24時間営業のコンビニが普及した事でオートスナックの需要は減り、墓参りの帰りに寄っていた件のオートスナックも何時の間にか消え去っていたっけ。
【「トーストサンド」の自販機】
記事によると、熱々の食べ物を提供する自販機は1970年代~1980年代にかけて普及したとか。中でも、生麺を湯通ししてスープを注ぐうどん及び蕎麦の自販機が大ヒット。大手の富士電機リテイルシステムズ曰く、ピーク時の1980年代は同社だけで年間100~200台を製造し、1995年には製造中止となったとの事。
2007年に「グーテンバーガー~味わいの自販機コーナー~懐かし自販機」というサイトを立ち上げた魚谷氏。情報を募り乍ら今も残る場所を調査しており、昨年は北海道から関東迄約80ヶ所を回ったそうだ。今年中に中部や西日本にも調査範囲を広げる予定というのだから、そのアクティヴさは凄い。今迄の調査によると「都市部や主要道路沿いでは、コンビニに追われて多くが姿を消し、幹線道路を繋ぐ『県道レヴェル』の道沿いに残っている事が多い。」そうで、面白いのは「理由は不明なれど、群馬県に集中して残っている。」という点。
尚、千葉県成田市には「オートパーラーシオヤ」なるオートスナックが残っている。1978年にオープンしたこの店のうどん及び蕎麦は生麺、ハンバーガーは手作り品とか。店を管理するガソリンスタンドの社長は取材に訪れた記者に対して「少々の故障は自分で直しているけれど、もう機械は作っていないから、何時迄やれるかなあ。」と語ったそうだ。
上記の「グーテンバーガー~味わいの自販機コーナー~懐かし自販機」以外に、「山田屋」なるサイトでもレトロ自販機の情報がふんだんに載っている。懐かしさを覚える写真も多いので、覗かれる事を御薦めしたい。
アメリカの古い映画を見ていると、人気の余り無い様な場所にポツンとモーテルが在って、主人公が其処に泊まるなんていうシーンが在ります。そして、彼等が利用するのが、所謂オートスナック。だから、子供の頃にオートスナックを見掛けると、アメリカの匂いを感じた物。
管理人さんも返事に気を使わないで下さいね。
これ懐かしい!
でも…日本じゃねーんですね!
アメリカなんです。
会社が倒産して、女房に離縁されて不貞腐れた私は30代に、東海岸のアパラチア山脈沿いの
自然遊歩道(野宿も必要で、結構にハードで危険もある)を歩く旅に出ました。
アメリカ人は数か月かけて東を南部から北部まで歩きます。食糧をデポするなんか出来ませんから、行く先々のスーパーで買い求めて、補給地点の宿泊施設に送りながら旅を続けます。
で、教会のある町には必ず宿泊できるモーテルがあるので、泊まるのですが。
食糧は次のモーテルに郵送してしまってるので、夜中に腹が空くのです。
そして必ず写真みたいなフード自販機が設置されてました。
アメリカの都市部は自販機なんか置くと壊されて掠奪されるから、自販機ありません!
でも片田舎のモーテルでは、必ずこれが置いてあるんだすね。
大体はチョコバーとかですが、大きい町にはハンバーガーとかもあった。(日本にも昔、アリマシタね?)感動でした。
自然歩道の徒歩旅行する者は、朝が早いし、携帯食が必要だから、かなり助かります。
でも、日本で70年代に見掛けたのが、アメリカの90年代に遭遇するのも変な話ですね。
これがカンボジアでは「腹が減った」言うと、
いきなり鶏を一羽持ってこられて閉口しました(笑)
自販機はやはり先進国のものですかね?
「設置後40年を経過した地下タンクの改修&交換を義務付けた改正消防法が2月1日より厳格化された事で、廃業するガソリンスタンドが続出するのではないかと報道されていますね。6年前にも記事(http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/c9832b4d7b082370927f8b029be22a5b)で書いたのですが、地下タンクの改修&交換には多くの費用が掛かり、自動車離れや後継者難等から、「もう続けられない。」とするオーナーが多いとか。飲み物は別にして、食べ物の自動販売機というのは、革新統一COCO'S様が指摘されている理由等から、どんどん消えて行ってしまうのでしょうね。寂しい話です。
今後とも、何卒宜しく御願い致します。
減り、部品も入手困難だから、修理ができる技術者が、
いなくなり、後継者難から、閉店が、相次ぎ、寂れていく、
時代にあって、かろうじてお店守る事業主は、頭が痛いと話します。いけるところは、残ってほしいです!
「ドライブイン」もそうですが、「モーテル」なんていう言葉も死語化した感じが在りますよね。
先達てのニュースで、「清貧」という居酒屋が取り上げられていました。こちら(http://kaettekukko.n-da.jp/e98951.html)に詳細が書かれていますが、「店側が食材と調理場を提供し、客が自分達で料理する居酒屋。」という物。そもそもは「都会でキャンプの雰囲気が味わえる店」というコンセプトの様ですが、消費者の倹約志向も在って、結構流行っているそうです。(調理師免許云々等の法律面もクリアしているとか。)御紹介戴いた「無人カフェ」が流行っているのも、同じ流れの中に在るのでしょうね。
そういえば同じことを感じるものとして
「ドライブイン」を思い出します。
道を走っていても、この看板を見ることが
めっきり少なくなりました・・・
また少し違うかもしれませんが
大阪梅田の駅前などにはこういう商売もあり升(URL)。
以前からあることは知っていたのですが
記事に取り上げられるほどの人気とは
知りませんでした。
先日、当ブログのアクセス数が異常な伸びを示した日が在りました。「何でだろう?」と思っていたのですが、どうやらその日にネット上でオートスナックに関する記事が載っており、それで検索した方々が当ブログを訪問して下さった様でした。ですのでオートスナックという存在に興味を持たれた方が、増えているのかもしれませんね。
御友達の地道な“取材”を御存知ならば、余計に彼の”成果”に脚光が当たり始めた事を嬉しく感じられるでしょうね。
自分もそうですが、“あの時代”を知っている者ならば、魚谷氏のHPには時間を忘れて見入ってしまう事でしょう。「タモリ倶楽部」でHPが取り上げられると良いですね。
今後とも何卒宜しく御願い致します。
彼の本当に血の汗をかく様な思いで、これらのオートレストランを地道な活動で画像等で残してきた事が、今こうして話題になってきている事がもの凄く嬉しいのです。でも彼の凄いところは、こう云った地道な活動をしているにも関わらず、その移動とともに彼の傍らには、いつもギターがある事なのです。
彼は本当に音楽の分野でも非凡なものを持っているので、このオートスナック以外にも彼のHPでその音楽や更には写真(これも本当に凄いです)も堪能して頂きたいものだと思います。
彼の夢は、タモリクラブでサイトが紹介される事だそうです。なにかこの勢いだと、時間の問題で実現しそうな気がします。
当時は「熱々の食べ物が手軽にテイクアウト出来る。」というだけで有難さを感じていた訳ですが、確かにハンバーガーなんぞは小さいサイズでしたね。一回だけですが、何故か出来上がったカップヌードルが生温く、麺が硬いままだった事が在りましたけれど、あれってやっぱり機械の不具合だったのでしょうね。
そうそう、こういった自販機を置いていたボーリング場って在りましたね。あれは「律子さん、律子さん、中山律子さん♪」の一寸後位だったか・・・。
やはりコンビニの普及が大きかった様に思いますね。あの頃は辺鄙な場所どころか、街中でも熱々の食べ物を手軽にテイクアウト出来る場所がそうは無かったし。(マクドナルド位だったか。)ですので、ああいう自販機は本当に便利だった訳ですが、今じゃあコンビニで買えちゃいますしね。
もちろん故障したら店員は直してくれるわけでなくお金を返してくれるだけだった。
やはり衰退したのはコンビニの影響でしょうか?