①もう新作が読めないのか・・・
凝り性故、作風が気に入ると、其の作家の作品を、全て読破したくなる。次々に好きな作家が現れ、一時期は千冊近くの本を所有していたが、“断捨離”という用語が流行る以前に、「身の回りを、出来るだけシンプルにしたい。」という思いが強くなり、バッサリと本を処分した。
でも、好きで好きで堪らない作家の本だけは、どうしても捨てられず、今でも手元に置いている。全作品が揃った作家で言えば、海外ではアーサー・コナン・ドイル氏とアガサ・クリスティー女史、日本では東野圭吾氏と山崎豊子女史だ。
「其の山崎豊子女史が一昨日、心不全にて88歳で亡くなられていた。」事が、昨日明らかとなった。年齢を考えれば「来たるべき時が来た。」という感じだけれど、大好きな作家の死は残念でならない。
山崎作品と言えば、“社会の闇”に光を当てた物が少なく無い。“実際に起こった出来事”を題材にし、徹底的な取材の上で書き上げた作品は、多くの反響を得て来た。「取材対象への思い入れが強くなり過ぎた結果、フィクションの小説とはいえ、“実際の人物”とは異なったイメージになっている。」といった批判も在ったけれど、読者に様々な問題提起をする作家だったのは間違い無い。
小説「運命の人」の連載が決まった際、「年齢を考えると、此れが自分の最後の作品になるかもしれない。」といった発言を、山崎女史が語っていたのを覚えている。今から8年前の話だ。だから、此の小説が刊行された時、「もう新作は読めないのか・・・。」と思った。しかし、今年の8月から小説「約束の海」の連載が開始となり、「良かった!」と喜んでいたのだが・・・。
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「山崎豊子作品ベスト5」
1位:白い巨塔
2位:沈まぬ太陽
3位:大地の子
4位:不毛地帯
5位:仮装集団
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本当に本当に本当に・・・、もう彼女の新作は読めなくなってしまった。合掌。
②国民なんか眼中に無し!
「4月から9月」を上半期とするならば、昨日は上半期の最後となる。だからこそ、下半期開始に向けての人事という事なのかもしれないが、昨日発表となった「小泉進次郎議員を、東日本大震災の復興を担当する内閣府政務官に起用。」というニュースには、安倍晋三首相の妙な思惑を感じてしまう。今日、10月1日に「来年4月1日から、消費税を3%上げ、5%にする。」と、安倍首相は表明すると言われており、其の反発を少しでも逸らす目的で、“自民党のアイドル”小泉議員を起用した様に思うからだ。
昭恵夫人との茶番劇疑惑に続き、「自民党の中では真面な方。」と評価していた小泉議員にも茶番劇疑惑を感じる様になっており、安倍首相&小泉議員双方の利益が合致しての、「消費税増税に対する批判逸らし作戦」の様な気がしてならない。
以前にも何度か書いたが、「少子高齢化が進む我が国に在っては、“徹底的に無駄を省いた上”で、其れでも足りなければ、“用途を福祉に限定した”消費税の増税は仕方無い。」と考えている。
しかし、用途を福祉に限定した筈の消費税なのに、自民党の内部から漏れ聞こえて来るのは、「一部を公共事業に回す。」という掟破りの声。「景気が良くなれば税収が大幅に増え、赤字も一気に減らせる。」と“無根拠な理由”を口にし、公共事業への散蒔きをし続けて来た結果、莫大な赤字を積み上げた過去を、すっかり忘れたかの様な自民党。「消費税増税→公共事業への散蒔き→更なる消費税増税→公共事業への散蒔き→更なる消費税増税→・・・」という“負のループが、遠からずに完成しそうな予感が。
私利私欲の充足しか考えていない様な政治家達。改めて「国民なんか眼中に無し!」という彼等のスタンスを感じるのは、昨年の衆議院解散前に「消費税増税という“重荷”を国民に背負って貰う以上は、国会議員も身を切らなければいけない。次の国会会期内に『議員定数の大幅削減』を含む抜本改革案を纏める。」と民・自・公で3党合意したにも拘らず、彼此と“見苦しい言い訳”をした上で、会期内に纏めるとした“国民への約束”を反故にしたのみならず、以降は「そんな約束なんか知らない。」と許りに、議員定数の大幅削減は放置され、消費税増税だけが決められ様としている点。
国民を愚弄する政治家も許せないが、愚弄された儘の国民もどうかと思う。「だってしょうがないじゃない♪」【動画】と諦めているだけでは、政治は国民から乖離して行くだけだ。
俺はオリンピック特需で景気が良くなるんならオリンピック以降に増税をしたら良いのにと思うけどこれは経済を知らない素人考えなんでしょうか
まぁ企業には甘く庶民には辛い安部ちゃんはオリンピックが終わったらなんて捕らぬ狸の皮算用はせずに今からガンガン庶民から盗ってやる!とやる気満々なんでしょうね
政府の一連の税制改革を見ていると、賛成できる点がないわけではないのですが、
>「消費税増税→公共事業への散蒔き→更なる消費税増税→公共事業への散蒔き→更なる消費税増税→・・・」という“負のループが、遠からずに完成しそうな予感が。
という点は同感です。公共事業は必要ですが、新規に作ることよりも老朽化した物の補修改修に充ててほしい。改修する場合は必要過剰に麗々しくせずに、安全性はしっかり確保した上で過不足ない改修にしてほしい。Aという地域に建設の仕事がないならば、Aに新規の物を作るのではなく、Bという地域にAの業者を出張させて補修工事の一部を担当させ、その工事費および出張費用に充てるようなことはできないでしょうか。現在の業者が受注・自社および下請とともに工事を行うという制度の下では難しいかもしれませんが…。
国外を見ても、アメリカにおける共和党の反対による予算案不成立のニュースについて、「よほどのことが起きない限り安泰でいられる階層の人や、自分の頑張りや能力・価値観を恃みにして人を批判したり排除したりする傾向のある人が、自分たちやそれに準ずる人たちを標準にした政策を主張しているなあ」と感じます。共和党についてはそう感じる時が少なくない。
議員定数を大幅に減らした所で、少子高齢化のスピードが加速している現状では焼け石に水で、消費税増税に踏み切らざるを得ない状況なのは理解しているんです。でも、国民に其れだけの重荷を背負わせる以上は、「先ず隗より始めよ」で、政治家が率先して身を切らないと、国民は納得出来ない。又、年金の一元化も置き去り状態で、官民間の余りに不公平な状況を改善しないのも、全く理解出来ない。
オリンピック開催決定で気持ちが高揚するのは悪い事では無いけれど、「オリンピック開催&消費税増税在りて、国滅ぶ。」で在っては駄目。
年齢を重ねる事で、考え方が変わって来るという事は、まま在りますよね。子供の頃は「こんな奴、絶対に許せない!」と思っていた様な対象でも、大人になり、社会の中で揉まれて行く中で、「こういう見方も在ったんだなあ。」と気付かされ、許せなかった筈の対象にも許容出来る部分を見出せる事も。
1964年に開催された東京オリンピックの為、様々なインフラが為されました。其れから50年近く経ち、最新だった物が、今や老朽化して来ている。首都高の橋脚の劣化等、安全面で怖さを感じてしまう物も少なく無く、こういう物に関しては、自分も公共事業として行うべきだと思います。
唯、どういった事柄にも言える事なのですが、政治家や官僚が絡むと「先ずは、自分達の利益確保在りき。」で話が進むのが不快。訳の判らない天下り組織を作り、其処を通さないといけない形にしたり、明らかに無駄な出費がされたりと、こういうのは「亡国行為」以外の何物でも無い。
アメリカは他の国に比べると、「自由さ」等の面で好ましく感じる所が少なく無いのですが、「我が身を守るのは自分だけ。」という意識が過剰過ぎて、「皆保険制度」にしても「何で裕福な俺達が、貧乏人達の“尻拭い”をしなければいけないのか!」といった感じになってしまうのは、どうにも受け付けられない。「互助意識」が強かった我が国でも、そういった人達が増えて来ている様で、其の点は残念。
小泉元首相の「脱原発宣言」、正直、彼の本音が何処に在るのか良く判らないでいます。「森元首相とのチーズ・パフォーマンス」(http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/abea76ae4bef40f35a577c81eeed46d1)を始めとして、彼の言動には計算が目立つ。息子は息子で歯切れの良い事を言っている様で、実際には寛容な部分に関しては明言しなかったり、上手く誤魔化したりしているし、小泉元首相の場合も、「脱原発」を主張する事で、「反自民層のガス抜き」や「脱原発を主張する事で、野党の存在感を薄れさせる。」という計算が在る様な気も。
結局、我が国の政治って、昔から「不味い事は、取り敢えず先送り。」という体質が全く変わってないんですよね。少子高齢化がとんでもない事になるのは、もうウン十年前から判っていた事。其れなのに、先送りに先送りを重ねた結果が今。
「自民党は暴走させない。私達が歯止めとなる!」なんぞと大言壮語している某宗教政党も、与党で美味しい汁を吸い続けるのが止められなくなったのか、懸案事項は次々に「取り敢えず、先送り。」という、“思っていた通り”の結論を出している。全くどうしようもないです。