“自分の年齢”を意識する時って、結構在ると思う。“自分の誕生日を迎え時”なんていうのは典型だろうが、“自分以外の人間に関する出来事に触れた時”というのも、多いのではないだろうか。
自分の記憶を遡ってみると、そういう機会は何度も在った。最初に意識したのは「自分と同世代の女性タレントが20代前半という若さで、癌にて亡くなった時。」だろう。其れ以前に父親が病で若くして亡くなっていたので、「人って、呆気無く亡くなってしまうんだなあ。」と痛感してはいたけれど、自分と同世代の人間が亡くなったという事に、“世の無常さ”というのを改めて感じたし、「こんな若くしても死んでしまう事が在るのだから、日々を大切に生きないといけないなあ。」という思いに。
野球が好きなので、同世代のプロ野球選手が引退したり、指導者に就任した時にも、自分の年齢を意識して来た。「彼が、引退したのか。」とか、「彼が、監督に就任するのか。」といった具合に。現役選手から管理職へという変化を、我が身と重ね合わせてしまうのだ。
父が亡くなった年齢に自分がなった時も、自分の年齢というのを強く意識した。「父親が亡くなった年齢迄、自分は生きられないのではないか?」という不安が、心の中にずっと在ったので。(矢張り、若くして父親を亡くされた中井貴一氏も、同じ思いを持ち続けていたと言う。)
同世代の友人の親が亡くなった時もそうだが、子供の頃から見知って来た芸能人が亡くなった時は、「自分も、そんな年齢になったんだなあ。」と感じさせられる。特に若い年齢で亡くなった時は強く感じられ、今年で言えば「西城秀樹氏が、63歳で亡くなられた。」時がそうだ。若い頃は“健康”を絵に描いた様な人だったので、「ヒデキでも、こんなに若くして亡くなってしまうのか。」と、大きなショックを受けた。