ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

偏見

2005年09月21日 | 御笑い関連
昨日の新聞に、落語家の立川志らく氏が「落語へのひどい偏見」という記事を載せていた。

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・ 或るTV番組にゲストで呼ばれた際、アシスタントの女性タレントから「落語家さんと聞いていたから、もっと御爺さんかと思っていた。」と驚きの表情で言われた。

・ 笑点への出演が落語家の到着点だと信じ切っている人が結構居て、「志らくさんも、一日も早く笑点に出られる様に頑張って。」と励まされる事が在る。

・ 落語家は全員貧乏だと思い込んでいる人が居る。又、「落語家だから着物で出演して貰わないと困る。」と言うTV番組のディレクターが居た。(「野球選手だからといって、ユニフォームを着て出演しますか?」と言い返したそうだが。)

・ 打ち上げで御客と対等に会話していた所、「あんたの態度は落語家としてなっていない。」と他の客に注意された事が在る。「落語家はもっとペコペコして、御客全員に御酌をして廻る等、自分を殺して御客に尽くせ。」という事らしく、「その通りで在り、それをするのが落語家の本質だ。」と或る先輩からも言われた。
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最後の件に関しては、「だから貴方の落語はつまらないんだ!」と”心の中で”毒づいたそうだが(笑)、志らく氏は「技術と己の感性で、落語を語るのが落語家の本質。御客への感謝の気持ちは大切だが、遜れば良いというものではない。こういう愚かな先輩と、偏見に満ちた御客が、落語という素晴らしい芸能を、年寄りだけの娯楽といったイメージにしてしまったのだろう。」と結んでいる。そういった面は確かに在ると思う。最近は、若い層を中心に落語がブームになっていると耳にするので、そういった閉ざされたイメージも徐々に薄れては行くのだろうが・・・。

偏見というよりも思い込みといった方が適切かとは思うが、悪役専門に演じている役者は私生活でも同じ様に思われてしまう事が多々在るという。又、以前に水戸黄門を演じていた役者が話していたのだが、撮影の為に田舎を訪れると、「本物の黄門様(演じている役者というのではなく、歴史上の人物としての水戸黄門。)が来てくれた。」と涙ながらに手を合せる御年寄りも結構居たとか。

志らく氏の記事を読んでいて、ふとそんな事を思い出してしまった。
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2 コメント

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落語は娯楽。 (syuu)
2005-09-21 07:20:46
最近の落語がなんとなく魅力がないのも、そいういう偏見があるからなのでしょうか。昔小学生だった私は父と共に落語の大ファンで、通学途中に落語全集を読み漁ったものでした。今テレビでやっている落語を見ていても、どうも惹きつけられる方が少ないですね。落語はお年寄り・・というのは絶対!間違っていると思いますね。落語は日本古来の娯楽です。

悪役と聞いて思い出しましたが、昔東京に住んでいた頃、地下鉄で時代劇の悪役をやっている方にお会いしました。でも、とってもダンディーで、物静かな素晴らしい紳士でしたよ。水戸黄門様もそうですが、高橋秀樹さんは「桃太郎侍」、松平健さんは「暴れん坊将軍」と、固定されたイメージがぬぐわれないのは、なんだかかわいそうな気がします。

なんでも「固まったイメージの目」で人やものをみてしまうのは、日本人の悪い癖なのでしょうか。
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立川志らくさん (りさ・ふぇるなんです)
2005-09-21 13:50:04
どっかで聞いた名前と思ったら、鈴木光司対談集「天才たちのDNA」で同じようなことをおっしゃってました。

関東のほうがそういう締め付けがきついのかな?



関西では落語家は着物・・などの思い込みは少ないように思います。

三枝さんやさんまさん(一応落語家)や鶴瓶さんの影響でしょうか。

でも、さんまさんはともかく、三枝さんや鶴光さん鶴瓶さんって着物の世界も大事にされてるんですよね。

着物の世界がバックボーンにあって、初めてテレビの世界などで無茶が出来るとわかってるんです。



美術も同じで、王道がしっかりしてないと前衛は光らないんですね。

(おお~美術ブロガーらしいコメントだ^^)

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