民進党の細野豪志前代表代行は昨日、民進党に対して離党届を提出した。「基本政策が根本的に異なる共産党との共闘は、自身の信念に反するから。」というのが離党理由で、「自民党に代わって受け皿となる新党を結成する。」と主張。“小池新党”事「日本ファーストの会」との連携も匂わせていた。
民進党の前身・民主党が政権与党だった際、連立を組んでいた社民党が「党是と異なる。」という理由から何度もゴタゴタを引き起こし、結果として民主党政権が瓦解する大きな要因となった。なので、細野氏が「基本政策が根本的に異なる共産党と民進党が共闘するのは駄目。」と言うのも判らないでは無い。
でも、圧倒的な議席数を誇る自民党が“安倍党”と化し、安倍首相の言動に対して「右向け右。」で付き従う中、野党が結束しなければ焼け石に水状態で在る。巨大な象に対し、小さな蟻がばらばらに立ち向かっても勝ち目は無い。「異常な政権運営を行い続けている安倍政権を倒す。」という共通認識を元に共闘するのは、絶対的な間違いでは無い。“理想”は大事だが、“現実”も大事なのだ。
民進党の支持率は低迷状態に在るけれど、実際問題として共産党等との共闘で、“民進党だけでは勝てなかったで在ろう選挙”に幾つか勝っているではないか。自民党や公明党は「基本政策が根本的に異なる共闘は、単なる野合だ。」と批判しているけれど、抑、連立を組む前の自民党と公明党は基本政策で結構異なる部分が多かった。そして、今の公営党は自民党と一心同体にして、「自民党からの“命”令を“乞う”政“党”の“乞う命党”。」となってしまっているのだから、「野合だ何だと良く言えた物だ。」と思ってしまう。あんなにも批判するというのは、裏返せば「民進党が共産党等と共闘されるのを非常に恐れている証左。」と言える。
話を細野氏に戻すが、“本当に”「共産党との共闘が離党の理由。」で在るならば、共闘を決めた2年前の時点で、何故離党しなかったのか?結局は支持率が上がらない民進党で、尚且つ自身が存在感を示せ得なくなった事から、勢いの在る“小池新党”に逃げ込みたかったという事だけだろう。自民党を利するだけの、今回のゴタゴタ劇。細野氏は我が身大事な、“女性問題”を起こしただけの男だったという事か。
過去に何度か書いているが、「女性初の首相になる事が最終目標の小池百合子都知事にとって、自民党は手を握る必要が絶対に在る存在で在り、思考的にも自民党と変わらない。」し、一方「一日も長く首相の座にしがみ付いていたい安倍首相にとっては、『日本ファーストの会と組んで行きたい。』という思いは強い。」という現実が在る。詰まり、「“小池新党”は、“非自民”に非ず。」なのだ。御互いの利害が一致している安倍首相と小池都知事は、「遠くない将来に必ずや手を握る。」と自分は踏んでいる。
今回の離党で「自民党に代わって受け皿となる新党を結成する。」と主張していた細野氏だが、都民ファーストの会と“くっ付いた”状態で其の時を迎えたら、一体どうするのだろうか?又しても離党?否、彼の此れ迄の身の処し方を思えば、色々言い訳を口にした上で、自民党に飲み込まれるのが関の山。百歩譲って離党したとしても、日本ファーストの会以上に自民党寄りの日本維新の会に逃げ込むのが精々だろう。
異常な政権運営を何れだけ続け様と、だらしない野党にも助けられ、安倍一強体制はずっと続いて行くのだろうか?大好きな日本が、どんどんおかしな方向に向かっているというのは、本当に耐え難い事だ。
「なんだかんだ言いながらも日本人は自民党が好きなんですね。日本新党にせよ民主党にせよ、野党が政権を取ったといっても、その中枢は自民党にいた人たちですから」
確かにそうなんですよね。
昔の自民党には極右に近い人から中道左派寄りの人まで幅広くいて、その中道左派寄りの人たちが居心地が悪くなって自民党を出て、社会党などと手を組んだということでしょうか。
昔から不思議に思っていることがあります。
日本の有権者の5割以上は、どこかに雇われているいわゆる労働者や、零細・個人事業主、そしてその家族ですよね?
なのにかつての社会党や民主党・民進党のように、労組に軸足を置く政党ではなく、財界など一部裕福な人たちに軸足を置く自民党のほうがなぜ好きなんでしょうか?
「泣く子と地頭には勝てぬ」や「長いものには巻かれろ」なのでしょうか?
日本版のアメリカンドリームを夢見ているからでしょうか?
共産党は党是が一党独裁のエリート集団によるファシズムだから、100%の信頼はしていませんが、時の権力に対し正論を堂々と主張してきたことには共感を覚えることが多々あります。
選挙で選ばれた公党であるにもかかわらず、いまだに公安警察の捜査対象であるという理不尽さに「判官びいき」のきらいもありますが(苦笑)。
対して、一見正論を吐いているようでも、結局のところ人気の勝ち馬に乗ろうと離合集散を繰り返す、節操のない政治家にはうんざりするばかりです。
野党の小者が互いに足を引っ張り合っている場合じゃないのに。
右や左を抑えつつ、大義の名のもとに大同団結する・・・なんか戦国ドラマのような表現ですが(苦笑)、そんな気概と包容力のある政治家が野党の中からどんどん出てこないものでしょうかね。
頂戴した御意見、全く同感です。以前にも書いた事ですが、母の知り合いの兄が共産主義に傾倒していて、共産党に入ってたそうです。でも、組織自体に疑問を感じ、最終的には抜けたのだけれど、抜ける迄が色々在って大変だったそうです。どんな組織で在れ、入るのも自由ならば、抜けるのも自由でなければどうかと思う。「入るのはウエルカムだけれど、抜けるのは許さない!」という組織を、自分は完全に信を置く事が出来ない。
そういう意味で、共産党に政権を取って欲しいとは思わないし、現実から乖離し過ぎた党是にはシンパシーを感じ得ない。
けれど、“権力監視役”という意味で、此の政党の存在価値は高く評価しています。権力に対する情報収集力や追及力は、他の政党の比では無いから。
又、“嘗ての”自民党に関しては、完全否定では無く、評価出来る部分も在った。其れは悠々遊様も指摘されている様に、嘗ての自民党には左も居れば、右も居て、中庸も居たという懐の深さが在ったから。極端に右に触れたら、党内で抗争が起こり、次は左に触れるという、或る意味バランスが取れていた。然し、今は・・・。
日本人って結局、“御上の顔色を窺い、寄らば大樹の陰的なスタンスが好きな国民性”なんだと思います。“冒険”が出来ない国民性”とも言え、そういった部分が斬新なアイデアを模倣するのは上手だけれど、エポックメーキング的な物を生み出すのは難しいという面に繋がっているのではないかと。