以前にも書いたけれど、新聞の読者投稿欄を読んでいると「世の中には、色んな人が居るんだなあ。」と熟思わされる。同じ事柄を取り上げていても、人によっては全く正反対な受け取り方をするケースも在ったりするから。例えば或るテレビ番組に出演していた女性ゲストに付いて、或る人は「寒い中でも半袖&短パン姿の彼女に元気付けられた思いがし、非常に良かった。」と書いていても、別の人は「TPOを弁えない寒々しい格好に、堪らなく不快さを感じ、直ぐにテレビを消してしまいました。ああいうゲストは、もう出演させないで下さい。」と書いていたりする。「何方の意見が正しくて、何方の意見が誤っている。」といった問題では全く無いのだけれど、「受け取り方が色々在るからこそ、世の中は面白い。」と思う一方で、「十人十色だからこそ、此の世から争い事が絶えないのだろうなあ。」と思ったりも。
東京新聞の読者投稿欄「発言」。4月23日付け(朝刊)の同欄に、次の投稿が載せられていた。投稿者は71歳の男性。
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「図書館での昼寝やめて」
私の家の近くに、築十年の図書館があります。館内は真新しさも手伝ってか、週末になると利用者で大にぎわいです。
先日警備の方とお話しする機会があり、開館以来一件も窃盗事件の類いはないとのことでした。大変喜ばしいことだと思いました。ところで、私も調べ物をするため時々伺うのですが、残念なことが一つあります。
それは一部の中高年の方の利用法です。机に向かって小説を読んだり、書き物をしている人はいるのですが、一方でつい眉をひそめてしまう人がおります。それは行き場所がないのか、居眠りをしている人が実に多いのです。
何をされようと勝手ではありますが、ボランティアに時間を費やしたり、何か趣味をお持ちになるかなどして日々生活されたらいかがでしょうか。残念に思います。
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最初に断っておくが、こういう考え方が在る事を全面否定はしない。「世の中に色んな考え方が在っても良い。」と思うから。でも此の投稿を読み終えて、正直嫌な思いを持ったのは事実だ。同じ様な気持ちになった方が他にも居られた様で、1週間後の4月30日付け(朝刊)の同欄に、29歳の男性が次の投稿をされていた。
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「図書館利用 寛大な心で」
23日付本欄「図書館での昼寝やめて」を悲しく読んだ。投稿者は一部の図書館利用者の居眠りに苦言を呈し、「何をされようと勝手だが」と居丈高に前置きした上で、ボランティアや趣味に打ち込んではどうかと勧めているが、過干渉も甚だしい。
走り回る子どもや携帯電話などは迷惑でしかないが、居眠りにまで目くじらを立てる必要があるのか。先の投稿者は居眠りする人に対しご丁寧に「行き場所がないのか」と邪推しているが、差別発言とも取れる。
時間をつぶすために訪れる人もいるだろう。それぞれに事情を抱えた彼らを白眼視する権利は誰にもない。調べ物や読書のためだけに図書館が存在するのなら、これほど息苦しいことはない。
たかが居眠りぐらい見逃してあげたらどうか。お互いいい大人。寛大な心を持ちたいものだ。
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“嫌みのスパイス”を利かせ過ぎている点は気になるが、彼の主張には自分も同感。大きな鼾をかいたり、机の上を涎だらけにした儘帰ってしまった等、他者に対して“明々白々に”迷惑な行為をしたというのなら話は勿論別だけれど、「図書館で居眠りしていただけ」で人格否定とも思える“様な”指摘をされなければいけないものなのだろうか?
「○○はXXでなければならない。」といった「must的思考」の人が、近年増えている様に感じる。色んな考え方が在って良いのだけれど、其れを他者に強要する人迄増えているのは本当にウンザリ。(今回の両投稿者が、そういう人達だとは言わないけれど。)「寛容さが全く無い社会」なんて、考えただけでゾッとする。
今日久しぶりにブログを更新しましたので、お時間ありますときに、是非お立ち寄りください。
さて、図書館ですが、うちの周りには分館のような施設があります。確かに図書館では静かに調べ物をしたり、読書をしたりするのでしょうが、静かにしているのなら、別に昼寝をしていてもいいのではないかな?と思います。夏になると「冷房が効いていてタダだから・・」という理由で図書館に行く人もいるとか・・・。
私の周りにも「子育てはこうしなければいけない!」と断定的な考え方の女性がいます。私の子育てにも否定的(・・・というか、せっかく自分の子育てを教えてあげたのに、全く同様にしないことが納得できない様子)で、兄弟喧嘩をするたびに「この子たちは、きっと愛情不足なのよ。あなた、もっと抱っこしてあげたら?私はいつも抱っこしてあげていたわよ。」となります。
子供の声が「元気でいいね。」と取る方もいれば、「うるさい!」と取る方もいます。
全てに関して、考え方や受け取り方は十人十色。自分の考えを述べるのはいいと思いますが、それを相手に押し付けるようなことは、どうなのかな・・・・と考えさせられました。
追伸
今日久々にPCを開いたので、溜めこんでいたネタ?をブログに一気に放出しておきました(笑)
我が家ではもんちゃんワールド炸裂です。
さっきまで静かに昼寝していたもんちゃんですが、今目覚めたようで、一人でワウワウ言ってます。
流石に「居眠りする目的」で行った事は在りませんが、昨年は「涼み乍ら読書するという目的」で、休みの日は良く図書館に足を運びました。「異常な迄の猛暑の中、家でクーラーを付けると電気代が馬鹿にならないしなあ。」というセコイ思いからですが(笑)、そういう方も居られる事でしょう。
どんな考えを持とうが其れは個人の自由だけれど、其の考えだけが「唯一無二的に正しいのだ!」と他者に執拗に強いるのは迷惑以外の何物でも無い。明々白々に他者に対して迷惑を掛けているケースや、明々白々に違法行為のケースは当然別ですが、そうで無かったら他者から無理強いされる筋合いなんて無いのですから。
何から何迄自分の思うが儘に強いて、其の結果生まれた「画一的な社会」にどんな楽しさが在るのか?そんな潤いの全く無い、砂漠の様な社会なんか、自分は真っ平御免です。
P.S. ブログを再開されたとの事で、後程御邪魔させて貰いますね。
自分は投書欄はたまに読みますが、人生相談コーナーは苦手です。回答者が「あきらめろ」とかなだめるばかりで何の解決にもならないことを言いがちだからです。
人生相談も、結構突っ込み所が多かったりしますね。前にTV番組で高齢の母親が「親に金銭を集る息子」に付いて相談を持ち掛けていましたが、回答者の一人だったのが長嶋一茂氏。「申し訳無いけれど、御母さんは息子さんを甘やかし過ぎです。親の金銭を当てにさせちゃいけません。」といった趣旨の回答をしていましたが、「あれ?じゃあ親父の記念品等を黙って売り払い、妹達から猛批判されていたのは誰だったの?」と突っ込んでしまいました。
ただそれなら係員に言えばいいだけの話で
(それもちょっとどうかと思いますが)
新聞に投書するまででもないこと。
話は変わりますが
よくテレビ局に苦情の電話が云々ということを目にしますが、その行動が理解できません。
嫌ならチャンネルを変えたり、テレビを消したらいいのですから。
両方に共通するのが「上から目線」。
「過ちは直さなければならない」とおもっておられるのでしょうか。
また、他の読者に「そのとおり。いい指摘だ」と思ってほしかったのかも。
でも残念ながら、社会の考えは多種多様
あなたは絶対のルールブックではありません・・・
ハムぞー様の書かれている事に、全く同感です。以前にも記事にしたのですが、ネット・サーフィンしていると「何だろうなあ・・・。」と思ってしまう事に、しばしば出くわします。或る事柄に関して多くが和気藹々&長閑な雰囲気で書き込みを続けている中で、唐突に「自分は其の話題に全く興味無いので、今後は書かないで下さい!」といった感じの書き込みをする人が居たりする。(実際には、もっとエキセントリックな書き方。)「興味無かったら、覗かなければ良いのに。」と思ってしまう訳ですが、結局は「構って欲しいちゃん」なんでしょうね。