父方の祖母は、非常に負けん気の強い人だった。元々女性上位の家では在ったのだけれど、祖父が早くして亡くなった事も在り、祖母が家長的な存在で家を牛耳っていた。思い遣りの在る優しい人だったが、大きな欠点の1つが気の強さで、其の事で回りが振り回されていた所が多々。そんな祖母を見て来たので、「年を取ったら、可愛げの在る老人にならないと、無用なトラブルを生んでしまう。」という思いが強い。
去年12月の記事「コロナ禍が長期化している影響なのか?」でちらっと触れた様に、「確り者だった高齢夫婦が、共に認知症に罹患し、近所でトラブルを起こしている。」という話を、知人から何度か聞いた。其の御夫婦(以後、Aさんと記す。)、悪い人達では決して無いのだが、奥さんの方が認知症に罹患する以前から、兎に角負けん気が強い人で、「他人に弱い所を絶対に見せたくない!」という思いが強過ぎて、延いては「自分を、実際以上に大きく見せたい!」と“御金持ちアピール”をする事も多かった様だ。
とは言え、基本的に悪い人では無いし、近隣トラブルを起こす事も無かったので、周りは「負けん気が強い奥さんだから・・・。」と苦笑で済ませていたが、認知症を罹患して周りに迷惑が掛かる様になると、苦笑では済まされなくなった。
例えば「決められた曜日以外に、出してはいけない塵を大量に出し、収集されないで残った儘になっている。」という事が何度も何度も続いた為、塵当番の方が仕方無く残された塵袋の中身をチェックした。すると、中からAさん宛ての郵便物が見付かったので、Aさんの奥さんに“やんわりと”「気を付けて貰えないでしょうか?」と“御願い”した所、「家は、そんな事してません!!」と切り口上に返されたそうだ。
「でも、残された塵袋の中からAさん宛ての郵便物が確認されたのですが・・・。」と言っても、「知りません!兎に角、家はきちんとルールを守って、塵を出してます!!」を繰り返すだけ。Aさん御夫婦が認知症を罹患している事は知っていたので、塵当番の方も「そうですか。」と引き下がったと言う。
病気なのだから、そういう行動を取ってしまうのは仕方無いと思う。でも、問題は言い方。負けん気が異常に強く無ければ、「家ではきちんとルールを守って塵を出している積りですけど、間違って出してしまった事が在るのかも・・・済みませんでした。」と“柔らかな返し方”が出来ただろう。“芯の強さ”は決して悪い事では無いけれど、負けん気が強過ぎてしまうと、無用なトラブルを生むだけ。実際問題、他にもトラブルが続出し、余りに負けん気の強さを見せ続ける事から、Aさんは近所で浮いた存在に成りつつ在るとか。
「他山の石以て玉を攻むべし」という諺が在るけれど、祖母やAさんの事を思うと、「可愛げの在る老人になりたい。」という思いが強くなる。仮に病気で性格が変わってしまったとしても、元々が“可愛げの在る老人”だったならば、周りの見る目もそうは厳しくならないだろうし。