好きだった芸人・ポール牧氏が座右の銘とし、好んで色紙に書いていた言葉に「ドーランの下に涙の喜劇人」というのが在る。「御笑いを生業にしている者は、どんな状況でも自分を殺し、人を笑わせなければならない。仮令近しい人間が亡くなっても、悲しみを人に感じさせてはいけない。」という強い覚悟を表した言葉だ。そんなにも強い覚悟を持って人を笑わせる職業だからこそ、御笑いの人が悲しい最期を遂げた時、一般人の死以上の遣り切れなさを、自分は感じてしまう。ポール牧氏が自殺した際や牧伸二氏が自殺した際は、そんな感じだった。
志村けん氏の訃報に接してから1日過ぎた。大好きな芸人の1人だった事に加え、新型コロナウイルス肺炎による急死という、想像だにしていなかった悲しい最期が、今も自分を立ち直らせていない。本当に本当に本当に・・・寂しい。
「“志村さん”が御笑いの世界に興味を持つ様になった切っ掛けが、彼の父親に在った。」という事は、結構有名な話だ。学校の先生だった志村さんの父親は、非常に真面目で厳格な人で、冗談を言ったり、笑顔を見せたりする事は無かったそうだ。家族揃っての夕食は、黙々と食べるだけという感じだったとか。
そんな或る日、何時もの様に黙々と夕食を食べていた志村一家だったが、点けていたTVで放送されていた喜劇を見て、父親が歯を見せて笑った。「えっ!?親父も笑うんだ。」という驚きと共に、「こんな堅物の親父をも笑わせるなんて、御笑いって凄いな。」と、志村さんは思ったと言う。其の経験が彼を御笑いの世界に進ませた訳で、「そんな凄い事を仕事に出来ているのだから、本当に幸せだと思っている。」と、志村さんは以前語っていた。
御笑い好きになったのは、父親の影響が大きい。自分が子供の頃、父親は良く御笑い番組見ていたし、冗談が大好きな人だったから。「面白い歌が流れていたので、レコードを買って来た。」と言って聞かせてくれたのが、大流行する前の「金太の大冒険」【動画】で、家族で大笑いしたっけ。真面目な家庭に育った母親も、父親の影響で冗談を好んで言う人になった程。
母方の祖父母は非常に真面目で、冗談を言うなんて事は余り無かった。冗談を言う場合でも、「勇気を振り絞って言う。」という感じだった。祖母が病で入院した際、祖父の家を夜に訪れた事が在る。母親が作った料理を持って行ったのだが、祖父が見ていたTV番組が「8時だョ!全員集合」で、「真面目な爺ちゃんも、こういう番組見るんだ。」と驚いた。更に驚いたのは、「8時だョ!全員集合」を見て、祖父が大笑いしていた事。当時、低俗番組だ何だと叩かれていた番組を、超真面目な祖父が見て大笑いしている。「御笑いって凄いな。」と自分が思ったのは、志村さんの父親の話を知る随分前の事。
息が詰まりそうな時代だからこそ、腹の底から笑える御笑いが必要だと思う。