4日前に「大好きな芸人の復活を信じている!」という記事を書いたが、自分を含めた多くの人達の祈りは届かなかった。今日、「大好きな“芸人”・志村けん氏が29日、新型コロナウイルス肺炎にて70歳で亡くなられた。」という報が。
“志村さん”が倦怠感を訴えたのは17日の事。19日に発熱と呼吸困難の症状が出始めた為、20日に訪問診察を受けた所、重度の肺炎と診断されて緊急入院。23日は新型コロナウイルスの陽性と判明した。
「意識は在り、容態は安定している。」という報道にホッとする一方、志村さん本人の言葉が一切報じられない事に大きな不安も感じていた。「あんなにも元気そうな志村さんが、緊急入院から僅か9日で亡くなられた。」という事実に、改めて新型コロナウイルスの怖さを思い知らされる。「若いから大丈夫!」と“無根拠な自信”を持っている若い人達も含め、多くの人が新型コロナウイルスに感染しない様に十二分の用心をして欲しい。
「自分は幼い頃より御笑いが大好き。『“本当の芸を持っている人物”は“芸人”だが、“芸を感じられない人物”は“御笑いタレント”。』というのが自分の考え。御笑いの世界に興味を持たせてくれた芸人は少なからず存在するが、去年の記事『嘗ては馬鹿にしていた筈なのに・・・』でも書いた様に、別格の存在の芸人がビートたけし氏とザ・ドリフターズ。今のビートたけしには全く興味無い(理由は、「嘗ては馬鹿にしていた筈なのに・・・」の中で書いているが。)けれど、志村氏の笑いは今も大好きだ。」と、上で紹介した「大好きな芸人の復活を信じている!」の中で書いた。幼少期、土曜日の20時になると“ドリフ”の「8時だョ!全員集合」を毎週見ていて、大笑いさせて貰った。当時の子供、否、子供に限らない多くの人達が自分と同様だったと思う。
ドリフのメンバーの中でも特に人気が高かったのは荒井注氏と加藤茶氏だったが、そんな“注さん”が「体力の限界。」を理由にドリフを抜けたのは1974年3月の事。人気絶頂の中の脱退は、子供だった自分にも大きな衝撃だった。同時に「注さんが抜けたドリフは、どうなってしまうんだろう?」という不安も。「ドリフの付き人で、『8時だョ!全員集合』にも良く出演していたすわしんじ氏が新メンバーになるのだろうな。」と子供心に思っていたら、新メンバーに選ばれたのは志村さんだった。彼もドリフの付き人で、同番組にも出演はしていたが、すわ氏に比べると華やかさに欠けており、「大丈夫かなあ?」という不安が。実際、新メンバーになって暫くの間、志村さんに対する子供達の反応はパッとしなかったと記憶している。
そんな彼が人気者になったのは、加入から約2年経った時。彼の歌う「東村山音頭」【動画】が切っ掛けだった。同曲は「当時の日本では、知らない人が存在しないだろう。」と思える程の大ヒット。“カトちゃん”と共にドリフの人気を牽引し、数多くのギャグを生み出して来た。
売れっ子になって以降、悪い意味で“文化人振る御笑いの人”が少なくない中、志村さんは(自分が大好きだった芸人の1人で在る)由利徹氏同様、最後の最後迄芸人で在り続けた人だった。人柄も好きだったし、“御笑いの世界の宝物”と言って良い志村さんが、こういう形で亡くなられたのは本当に悔しい。
20年前に注さん、そして16年前には“長さん”が亡くなられ、今回の志村さんの死。ドリフが大好きだった自分にとって、喪失感は余りに大きい。
15年前の記事「歯磨いたか?風呂入ったか?宿題やったか?」の中で、長さんが亡くなった際に寄せられた“嘗ての子供”の書き込みを紹介させて貰った。ドリフ・ファンの1人として強く心を揺さぶられたし、滂沱してしまった書き込みだ。今回の志村さんの訃報を受け、改めて紹介させて貰う。
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ババンバ、バン、バン、バン♪
御別れするのは辛いけど♪
時間だよ(ハハハン)♪
仕方が無い(ハハハン)♪
次の回迄、御機嫌よう♪【動画】
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志村さん、大好きでした。長い間、楽しませてくれて、本当に有難うございます。悲しいけれど・・・さようなら。
合掌。